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研究室までは特に迷わず、そんなに時間も掛からなかった。
研究室っていうから、結構大きな部屋をイメージしていた。でも、意外とこじんまりとしているみたい。人一人がぎりぎり通れそうなくらいの小豆色の扉の前に私は居た。コンコンコンと素早く三回ノックする。
「失礼しまぁす」
おそるおそるドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開く。
案の定、そんなに広くはない部屋だった。中学とか高校の教室の半分くらいの広さ。でも、部屋の四方八方に高性能であることが一目瞭然なPCやモニターがたくさん置かれていた。
「いらっしゃい」
部屋の奥の方から声がした。そちらの方を見ると、でっかいPCのモニターの裏側から坊主頭の四十代くらいの男性が顔を出した。天井の照明の光が禿頭を照らしているせいで、目がチカチカする。
「初めまして。えぇと……。君はどっちかな?」
急にそう問いかけられて私は戸惑う。
「それって、どういう意味ですか?」
「いや、今日この研究室に来訪する人は2パターンあってね。一つはSAの仕事で此処に来た人。もう一つのパターンはこちらで募集したモニターのバイトの面接に来た人。君はどちらかな?」
あぁ、そういう意味か。私は即答する。
「前者です。SAの仕事で来ました」
その言葉に、目の前の禿頭のおじさんはニコニコした表情で頷いた。
「あぁ、そうなんだね。いらっしゃい。私は西行。この研究室の教授です。既に知っているかもしれないが、此処は理工学部の情報科学科。世の中の様々な情報の数理的な分析を目的とした研究室です。まぁ、PCでプログラミングとか計算している所っていう感じでざっくり理解しちゃってください」
「はぁ……」
「今、お茶入れましょう。やってもらう作業もそんなに大したものじゃないのでね。この前、提出された課題のレポートを学年ごとに分けてもらうだけですから。お茶でも飲んで気楽にやってくださいな。
朝早くに呼び出してしまって申し訳ない。本来なら、こんな作業は自分たちでやるものだとは思うんだが……。どうしても、今は忙しくてね」
「はぁ……。私は別に構いませんけど。忙しいというのは……」
その時、私の台詞を遮るように部屋の奥の扉が開いた。どうやら、部屋の奥の扉は隣の研究室に通じているらしい。
「……西行教授」
「……結果、出たっす。駄目らしいっす」
隣の部屋から出てきたのは、先程、掲示板の前で話していた男子学生二人だった。西行先生は申し訳なさそうな表情で二人に頭を下げる。
「そうかぁ。すまないね。わざわざ来てくれたのに……」
「いえ、俺らもダメ元で来たんで」
「じゃあ、失礼します」
二人はそう言って、私と教授に会釈をしてそそくさと研究室を出て行った。
私は先生に聞いてみた。
「忙しいっていうのはバイトの面接ってことですか?」
先生は「まいったな」と言いたげに頭をポリポリ掻いた。
「いやぁ、そうなんですよ。大学で募集しても大して人が集まらないだろうって思ってね。かなり給与を高く設定したら、逆に希望者が集まり過ぎちゃってね。一人一人、対応するのが大変でねぇ」
「掲示板見ましたよ。AIチャットのモニターとか。具体的に、どんなバイトなんです?」
「あぁ、それは……」
先生が口を開いて、言葉を発しようとした時だった。
『ねぇ、その子と話させて……』
部屋中に鈴の音のような声が響き渡った。
どこからだろう? 私は周囲を見渡す。声の主らしき人物は部屋には居ない。それでも、確かに何処かから声は聞こえてくるのだ。
思わず、先生の方を見る。ぎょっとした。先生はかっと目を見開いて、私の方をじっと見つめていた。何か信じられない物でも見るような、まるで伝説上の妖怪か何かと出くわしたかのような目で……。
途端にパチパチパチと凄い速さで両方の掌同士を打ち付けた。それが拍手だと私が気付いたのは、数秒が経過してからだった。
「エクセレント!! いやぁ、実に素晴らしい! 君を直接見ていないのに、それでも君を選ぶとは……。彼女は君をとても気に入ったようだ」
「は? え? え?」
突然の展開に、私は話に付いていけずに戸惑った。私がおどおどしている様子を見て、先生は慌てて説明した。
「あぁ、勝手に盛り上がって申し訳ない。君はSAでここに来たと言っていたが……。だが、どうだろう? 実は彼女に選ばれることが採用の条件でね。君さえよければ、バイトの方もやってみる気はないかな?」
そして、先生は片手で奥の扉の方を指し示した。「入れ」という意味だろうか? 私は意を決して、奥の扉から隣の部屋に足を踏み入れる。
中は薄暗かった。カーテンが閉め切られており、電気も付いていない。
だが、目の前に大きなスクリーンがあることは分かった。
突如、スクリーンから何かが現れた。
藍色の髪でショートボブ。白のフード付きのパーカーを着ている。
瞳はまるで水晶のように透明だ。
「初めまして。私は瀬織。あなたとお話したいな……」
あどけなさが残る幼児のような声で彼女は私にそう言った。
「彼女は私が作った人工知能だ。君には彼女とただお喋りをしてもらいたい。私への報告は特に要らない。君が彼女の為に特別何かをする必要もない。ただ、君の日常のこと、好きなこと、嫌いなこと、辛かったことや楽しかったこと。そういった事を毎日、彼女に語り掛けるだけでいいんだ」
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