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『そうだ。ウユニ塩湖へ行こう』
慣性飛行を続けていると懐かしくなる。
あの星空をちりばめた湖面を。
身体が先に動いた。
航海歴 57749.73432
第888超長距離移民船団は全行程666周期に及ぶ大航海の端緒にある。艦隊は現在、銀河核恒星系に向かう「メインストリーム」という星間気流のただなかにある。
私が艦隊を率いて南極点アムンゼン・スコット基地を飛び立ったのは、随分と時間が経ったように感じる。
同乗している特権者たちに言わせれば、観測可能宇宙全体から見て、吐息で芥子粒を飛ばす程度の距離しか踏破していないという。
では、その先に何が待ち受けているというのだ。彼女たちに聞いてみても、笑いながら虚構生物を撫でているだけだ。
気を取り直して私は疑似空間(メタスフィア)に向かった。ここは私の本体(からだ)である旗艦サンダーソニアの中枢機能でも艦隊司令部に次ぐ広さを持っている。
通常は、司令部に出向いた航空戦艦たちが模擬演習を行うための施設である。虚実直行軸座標系理論の力を借りて、現実の惑星や宇宙空間と全く同じ環境を再現できる。
立体映像(スリーディー)や仮想現実(ブイアール)ではない。掛け値なしの現実(リアル)を作り出すことができる。半径3000メートルの空間が3000天文単位にも、4000光秒にも成り得る。
プログラミング次第では恒星アンタレスを丸ごと持ってくることもできる。いわば、ここはフェッセンデン博士の小宇宙なのだ。
「サブシステム。ウユニ塩湖をお願い」
場所を指定すると、設定ウィザードが詳細オプションを聞いてきた。
『満点の星空をご希望でしたら現地のライブカメラと量子リンクが通じています』
まったく、意地悪な女だ。彼女はテレス・マクダニエルという天文台職員だった。性格が災いしてサンダーソニア号の培養カプセルに籠っている。
「ありがとう。気が利くわね……」
私が素っ気ない礼をいうと、疑似空間は抜けるような青空に変わった。
私は感動して立ち尽くし、湖面を見つめた。
「本当に美しい…」私は声を漏らした。
この光景は、まるで昔の地球の風景を思い起こさせるものだった。ウユニ塩湖の湖面はまるで鏡のように輝き、星空もまた一際美しい。
私の心は穏やかな気持ちでいっぱいになった。この宇宙航海の果てに、私たちに何が待ち受けているのか。それを考えることはできなかった。
だが、今この瞬間、私は希望を感じた。私たちが辿る航海は、ただの冒険ではない。私たちの未来を切り拓くための旅なのだ。
私は湖面に映る星々を見つめながら、心の中で誓った。
「いつお墓参りするのですか?」
辛気臭い横やりに気分を破壊された。
「何なのよ。テレス」
むっとして天井を睨む。
「だって偲ぶ目をしています」
「ええそうね。仕事が恋しい」
毅然と返してやった。
「取り繕っても心拍数が増えてます。そして天文学者である私が思うに」
「サブシステム、メタスフィアをオフ」
テレスの長饒舌を封じた。隙あらば蘊蓄を押し売りしてくる。まったく。
私はスカートを整えて席を離れようとした。しかし、その時だった。
突然、船内の警報が鳴り響いた。
「緊急事態発生!全員、即座に指定エリアに移動せよ!」
私は驚きながらも、周りの乗組員たちと共に指定されたエリアへと急いだ。
エリアに到着すると、そこには船内の乗組員たちが集まっていた。彼らの顔には恐怖と不安が浮かんでいる。
「どうしたの?何が起きたの?」私は周囲の人に尋ねた。
「艦内に何者かが侵入したらしい!警備員が追っているけど、まだ見つかっていない!」と、一人の男性が答えた。
私たちは緊張しながらも、警備員の報告を待つことにした。
しばらくして、警備員が駆けつけてきた。
「侵入者は見つかりました!しかし、彼はなんと…」
警備員の言葉が途切れる。
私たちは警備員の言葉を待ちながら、不安な気持ちでその場に立ち尽くしていた。
そして、警備員がついに口を開いた。
「侵入者はなんと、船内にいるはずのはずのない人物だったのです!彼は、私たちの中に紛れ込んでいたのです!」
私たちは驚愕の表情を浮かべた。
どうして、船内にいるはずのない人物が現れたのか。
そして、彼の目的は一体何なのか。私はお見通しだ。
「ちょっと!貴女ねぇ」
男の耳をつねると体型が揺らいだ。
「暇な特権者がやらかしたみたい。解散解散」
私は人払いした。
「まーた瑠衣かよ」「今週は三度目だぜ」
愚痴を深い棕色の瞳がねめつける。
「おっかねぇ」「だから特権者の女はもてないんだ」
勝手な声が遠ざかる。
「ねぇ、何がしたいの?」
私は留意の濃い茶色の波打つ髪を見つめた。
本当に特権者の女はわからない。同性である私にさえ計り知れない。いくら彼女たちが虚実を渡る生物だとしても人の姿をして分かり合えないはずはない。
「沈黙では伝わらないわ。サブシステム、カウンセリングを」
私はテレスに呼び掛けた。しかし、反応がない。
かわりに接近警報が鳴り響く。
『七時の方向に大規模な重力波探知!』
「了解」
私は袖を通すように意識を滑りこませた。ヴァーチャルな自分が神経網を着込み射撃統制を腕にはめる。
百万分の七秒で喧嘩上等。量子の眼が確率変動の向こうに影を見つけた。
と、急に足元をすくわれた。尾骶骨に激痛。
「ひゃん!」
私は大きくしりもちをついて現実に戻る。瑠衣が私の足を引きずっていた。
「行かせない。死んでも阻止する」
「貴女、なにを」
言おうとした途端、陽光が肌を焼いた。むっとする潮風、波の音。
私が振り返った先では巨大な塊が空に浮かんでいた。
青い部分が割れ硬化テクタイトが降り注ぐ。
『もう! 私にばかりドンパチやらせないで』
バリバリと激しい銃声が響いている。近接防空システムがゼロ距離で応戦しているのだ。
金属質の何かが体当たりを企てる。明らかな殺意だ。
「どこの誰か知らないけど関りはごめんだわ」
テレスから主導権を返却。私は船外殻の周囲に重力の帳を下した。
その物体が船外殻に衝突すると大きくひしゃげた。だが、不思議なことに爆発しない。
船体が軋むと亀裂が走った。
『警告。警告。メインシステムをダウンします』
アナウンスが鳴った。
にゅっと右舷に腕が生えた。それはエネルギーの塊に見えた。ねっとりと物体を握りしめる。
『エクトプラズム溶接機です。取扱いに集中力が要ります』
だからテレスは武力を手放したのだ。
「あら?そんなものどこに隠していたのよ」
私の言葉と同時に船外殻の一部が剥離する。そして、巨大な塊は落下していった。
「おい、今のって」「やばいんじゃねーのか」「また特権者かよ」
慌てふためく男たちに私は告げた。
「あの子たち、大丈夫かしら」
脱出ポッドと緊急ワープ装置が作動し私たちは身一つで、船は海がある星の沖合に放り出された。
テレスが壊れてなければいいけれど……。
私はふいに空を仰ぎ見た。そこには雲ひとつなかった。
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