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 まだ暗いうちに目が覚めて、布団から重い体を起こした後、桶に入った水で顔を洗う。  隙間風が冷たくて、震えながら上着を着込んでから布靴に足を入れると、その冷たさにまたぶるっと震える。  かじかむ手に息を吹きかけてドアを開ければ、フィンの一日が始まる。  外へ出ると辺りがぼんやり明るくなってきたので、フィンは慌てて井戸からくんだ水を鍋に入れて火を起こした。  準備が遅くなればまた怒られてしまう。  野菜と肉を刻んでスープに入れて、しばらく煮込んで味を整えた頃、ぞろぞろと起きてきた人が食堂に入ってきた。  パンを並べて、スープと一緒にトレイに載せると、みんなあくびをしながら無言で受け取って、席に着いて勝手に食べ始める。  その様子を見て、ホッとしていたら、次々と人が入ってくるので、フィンは腕まくりをして食事の用意をした。  最後の人が食べ終わって食器を雑に戻したのを見届けたら、やっとフィンの食事の時間だ。  鍋に残ったスープをかき集めて、籠に残っていたパンを手に取った。  パンは少しカビ臭いのと、齧られたあとがあったが、お腹が空いているのでどうでもいい。  もぐもぐと口に含んでいると、ガチャリと音が鳴って食堂の扉が開けられた。  目つきの悪い治療師が入ってきて、食事をしているフィンをギロリと睨んだ。 「フィン、まだ片付けていなかったのか。早くしろ! 師団長がお呼びだ」 「え……、はっはい。今すぐに」  フィンはコップに入った水を飲んで、口の中のものを流し込んだ。  スープがまだ残っていたが、のんきに食べていたら怒られてしまう。  仕方なく他の食器と一緒に片付けると、急いで食堂を後にした。  フィンが暮らしているのは、アールトルテ帝国治療師団の駐屯地ベイ。  フィンはここで、一番下っ端の治療係として働いている。  治療係というのは、治療師の見習いのようなもので、治療師団が暮らす宿舎での雑用を任されていた。  治療師はこの国において重要な役目を持ち、貴重な存在として大切に扱われている。  神の力を持つ者は、国中からベイに集められて、何かあれば各地に派遣される。  世界を創りし神、シンの力。  その超人的な力は、ごく稀に変わった力もあると聞くが、ほとんどが他人の治癒能力を高める力として発現する。  治癒能力を高めることで、病や傷を治すことができるので、神の手と呼ばれて尊い存在とされていた。  人を助ける華やかな仕事に思えるが、持つ者として生まれてきた責任だと言われて、国中を移動し、朝から晩まで働かされることになるので、入団後に抜け出したまま帰ってこない者も多い。  そんな中で、フィンは特別使えないと言われている。  フィンは小さな村の出身で、家族はすでになく、頼るものもいない。  身分の低い身の上に加えて、治癒能力があるにはあるが、他のものに比べて圧倒的に少ない。  小さな傷を治すのにも、半日かかってしまい、役立たずと言われて、それからもう何年も治療係のままで、治療の仕事はさせてもらえない。  十年前、村を訪れた治療師に力があることを気づかれるまで、自分でも力の存在をよく分かっていなかった。  その治療師に首都に近いベイに連れてこられてからまた十年。  二十歳になり、成人を迎えたが、フィンの日々の生活は変わらなかった。  毎日誰よりも早く起きて食事を作り、各部屋を回って洗濯や掃除をして、何かを言いつけられればその場で走り回り、隙を見て食事を作り片付ける。  半人前は贅沢ができないと言われて、食事はみんなの食べ残しで、部屋だって物置の一つにボロ布を持ち込んで寝ているだけ。  それでもフィンは、今の生活にそれほど不満はなかった。  自分の力で誰かを助けたいだなんて、そんな大それた気持ちを抱いたことはない。  村にいた時は厄介者のように扱われていたので、ただ、安心して暮らせる自分の居場所が欲しかった。  だから治療師に声をかけられて、ついて行くことにしたのだ。  ここでは神力の強さがそのまま力関係になるので、一番力の弱いフィンには、冷たい人が多いが、誰もがそうではない。  中には食事を分けてくれる人もいるので、小さな優しさに触れるたびに、フィンはここに来てよかったと思っていた。 「解散……ですか?」  窓辺に立って背中を見せているのは、フィンの上司であるグローブ師団長だ。  治療師の制服である緑のロープを纏い、億劫そうにため息をついていた。 「お前も知っているだろう。大陸の中心にある我が帝国は今、両側の敵国から同時に攻められていることを」  雲のような白髪に、同じく雲のような髭を蓄えたグローブ師団長は、疲れた顔で顔に手を当てた。 「ええ、それはもちろん。戦線近くへ行く治療師を何人も見送りました」
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