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序 章 ~遺魂の海~
天頂に輝く太陽と紺碧の空。
見渡す限りの大海原には島影ひとつ見当たらず、二色の深蒼が遥か彼方で交わることのない弧を描いている。
そこに突然、一人の少女が宙に現れた。
ショートの黒髪に学生服姿の彼女は、仰向けで目を閉じたままゆっくり降りてくると、そのまま海に吸い込まれていった。
柔らかな陽がさす海中を少女は漂った。そして心地よい微睡みから覚めたかのように目を開くと、水面越しに揺れる太陽を見つめ、そっと手を伸ばして掴もうとする。
しかし、急にハッとなり両手で口を塞いだ。そこが海の中だと気付いたようだ。慌てて海面へと向かうが、呼吸が出来ていることに気付くと動きを止め、困惑の表情で辺りを見渡し始めた。
そこは不自然なほどに透明な海の中だった。だが光が届かない海底には闇が沈殿している。
その闇に惹き付けられるかのように凝視していた少女だったが、唐突に目を見開くと表情を強張らせ、逃げるように海面へと急いだ。
何かが闇の中から近付いていたからだ。
それは色鮮やかな民族衣装を纏った琉球人形だった。光さえ吸い込む漆黒の瞳が少女を捉えると、その白く美しい顔が口角を吊り上げる。そしてあっという間に少女に追いつき足首を掴んだ。
「いやっ!」
その手は力強く、払うことができない。
人形は抵抗する少女の足から腰、背中へと這い上がり、正面へと回り込んだ。そして恐怖に怯える少女の頭を両手で掴むと、その白顔を引き寄せて口角をさらに吊り上げる。
「ひっ!」
少女はそのまま海底の闇へと引きずり込まれていった――。
「え?」
次の瞬間、少女は砂浜の上で仰向けに倒れていた。
眩しい日差しに手をかざしながら慌てて上体を起す。
辺りは白い砂浜と森。そして遥か彼方まで見渡せる深蒼の海と紺碧の空、天頂には太陽。
何が起きているのか理解できず、混乱を払うかのように頭を振った。そして立ち上がり、服に付いた砂を払う。がしかし、その手もすぐに止まった。
海上に漂う白い靄に気が付いたからだ。よく見るとそれは人の形をしている。
一歩、また一歩と後退りする少女に対し、その白い靄はスーッと距離を詰めると、ゆらゆら揺れる両手を差し出した。
「な、なに……?」
その靄に触れた途端、再び周りの景色が一変した。
今度は夜だった。少女はアスファルト舗装された路面の上に倒れていたのだ。場所は分からないが濃い霧に覆われ、何処からともなく波の音が聞こえてくる。
起き上がり闇夜の霧に目を凝らす。
すると近くに巨大な物体があることに気が付いた。近付くとそれは貨物用のコンテナだった。しかも相当な数が整然と積み並べられている。どこかのコンテナ置き場のようだ。
その並びに沿って進むと徐々に霧が消え、前方に歩く人の後姿を捉えた。安堵の表情を浮かべた少女は駆け寄ろうとするが、その異様さに足を止めた。
後ろ姿で顔は見えないが、背丈が一九〇センチ以上あると思われる大男が、フード付きの黒いローブを身に纏っていたからだ。
少女が訝しがっていると、大男が不意に足を止めた。だがそれは背後の少女に気付いたからではないようだ。並べられたコンテナの合間に視線を向けている。
その視線を追った少女は、そこにもう一人いることに気付いた。
同じように黒いローブを着てフードを深く被っているので顔は見えないが、華奢な体格と胸の膨らみから女性だと判る。
その女の足元に視線を向けたとき、ハッとなって息を飲んだ。そこにもひとり、Tシャツにジーンズ姿の女性が俯せで倒れていたからだ。
「もうじきあの世行きよ。検死では心不全にしかならないから安心して」
ローブを着た女の声だった。
少女は慌てて身を隠そうとした。しかし規則正しくコンテナが並んでいるため、すぐ近くに身を隠せられるようなスペースなど見つからなかった。
「ふん。こそこそと嗅ぎ回りやがって」
大男から吐き捨てるような言葉が出た。しかし対照的に女は上機嫌だった。
「でも収穫だってあったじゃない。ようやく長年の夢が叶うわ」
「浮かれてないで、さっさと行くぞ。誰かに見られたら面倒だ」
大男が体の向きを変えた。
わずか数メートル程の距離で向き合う格好になってしまい、少女は目を強く瞑り下を向いた。
カッ、カッ、カッ、カッ。
近付く二人の足音に体をビクつかせる。がしかし、二人は何も言わずにすぐ横を通り過ぎて行った。
ゆっくり目を開いて振り向いたとき、既に二人の姿はどこにもなかった。
全身の力が抜け呆然とする少女だったが、横たわったままの女性が気になり視線を向けた。
そして恐る恐る歩み寄ると、回り込んで顔を覗き込んだ、その途端。
「お母さんっ!」
叫んだ少女の頭の中に、見知らぬ映像が流れ込んできた。
――蚊帳が張られた畳敷きの大部屋。
その中に敷かれた布団で、浴衣着の若い女が一人横になっている。
そこへ二人の男が入って来た。一人は若い男でもう一人は白髪の翁だ。二人とも紋付き袴姿で、各々がその両手に何かを大切そうに抱えている。二人は蚊帳をめくり中に入ると、若者が女のすぐ枕元に、翁は一歩離れたところに腰を下ろした。
若者が女に何かを告げた。
だがその声は聞こえない。まるでサイレント映画のようだ。
女が上体を起こした。長く艶やかな黒髪に色白で切れ長の目をした美しい女性だった。
その女が若者に何かを尋ねる。すると若者と翁は互いに困惑した表情で目を合わせると、各々が抱えていた物を女に見せた。
それは白無垢に包まれた、生まれたばかりの双子の赤ん坊だった。
驚く女の肩に若者は手をおき、宥めるように何かを言った。
しかし女はその手を振り払い、涙を流して訴えた。
その態度に気圧された若者だったが、翁が毅然とした態度で何かを告げると若者もそれに続いた。
すると女は絶望の表情でうな垂れた――
そこで映像が途切れると、今度はささやく声が聞こえた。
《うすらいきょうこに気を付けて……》
「お母さん?」
《真代……ごめんなさい》
真代と呼ばれた少女はその場で意識を失った。
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