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第4章 5 ~失意~
「それは瓦解した結ちゃんの魂に襲われたのね」
佐伯からの連絡を受けた弓削が病院に駆け付けて来た。その表情はさらに悲壮感を漂わせていた。
「やっぱり、関わるべきじゃなかったのよ。本当に大丈夫?」
「……はい」
真代はこのとき、弓削に対する疑惑を払拭できずにいた。目の前にいる弓削は、本当に悲しんでくれている様に見える。しかし、結たちの記憶でみたあの女かと問われれば、完全に否定することもできない。似ているようだがどこか違う。そんな曖昧なものでしかなかったからだ。だがもし大樹が仮説としてあげた、蠱毒を使う呪殺者の有珠来鏡子本人だったら――。それでも真代は冷静さを辛うじて保っていた。
「瓦解した魂?」
「遺魂の海で人の魂は、人の形をした靄のような状態で漂うの。それは真代ちゃんが実際に見てきたでしょ?」
「はい」真代は力なく頷く。
「でも、理不尽な命の奪われ方をした場合は違うの。恐怖や怒りといった感情を抱いたままだから、魂は人の形を保つことができずに、しかもその感情を辺りに撒き散らすの」
「それが瓦解……でも、どうしてあの女が結を?」
「それは分からないわ。でもまさか、世間を騒がせている一連の女子高生連続猟奇殺人事件の犯人と同一犯だったなんて」
そう言って弓削は口を閉じた。
本気で言っているのか、それとも演技なのか。真代には判別がつかない。
弓削は佐伯を見た。
「一連の猟奇殺人と不審死って、何か関連があったの?」
「ん? ああ、まだ断定には早いけど、岡部氏や瀬戸氏の件があった直前に連続猟奇殺人は起きていた。そして真代ちゃんのご両親が亡くなった直前にも都内で行方不明となった女子高生がいることが判明している。今は彼女たちの行方を追っているところだ」
それを聞いた弓削は、何かの確証を得た様な表情になった。
「もしかしたら蠱毒には生け贄が必要なのかもしれないわね」
「生け贄……」
真代たちは弓削を見た。
「それだけじゃないわ。真代ちゃんがこの前話してくれた〝眼〟を使う呪術なんて、調べた限り蠱毒とは全く関係のないのよ。もしかしたら、他の呪術を組み合わせているのかもしれないわね」
すると大樹は弓削に言った。
「弱点か制限があって、それを克服するための生贄ってことですか?」
その発言に弓削は頷いた。
「弱点なのか制限なのかまだ分からないけれど、その点がはっきりすれば対処も考えられるかもしれないわ」
「でも他の呪術まで組み合わせられるなんて、それこそ手に負えなくなりませんか?」
大樹の心配に今度は佐伯が口を開いた。
「そうとも言えるが、その逆とも言える。つまり他の呪術で補わなければならない事情が、呪殺者側にあるのかもしれない。今は一つ一つの証拠から手繰らなければならないけれど、必ず掴んでみせるさ。さっき作った似顔絵で指名手配することが決定した」
佐伯の発言は僅かな前進を意味している。これまで真代が見た死者の記憶以外、犯人の片鱗さえ掴めなかったのだ。事件関係者の身柄を拘束できれば、事件解決に大きな進展となるだろう。
だが、真代は浮かない顔で佐伯に尋ねた。
「教えてくれませんか? 父や母、そして瀬戸さんは一体何を知ってしまったのですか? 本当は有珠来鏡子についても何か知っているんじゃないですか?」
これは賭けだ。もし弓削が有珠来鏡子本人だったら、おそらく佐伯もグル。ここにいる三人なんて簡単に殺されるだろう。そんな真代の覚悟をよそに、佐伯は躊躇うように一度視線を落としたが、すぐに真代を正面から見た。
「真代ちゃんのおかげで、そのローブを着た女が女子高生連続猟奇殺人事件の犯人で、しかも蠱毒を使う呪殺者の有珠来鏡子だということが分かった。しかし警察はそれだけじゃ動けない」
「どうして!」
圭が怒りの目を向けた。隣で大樹が宥める。
「証拠がないからだ。百歩譲って適当な目撃証言として指名手配をしようにも顔を見ていない。つまりこの線から組織として捜査は進められない。すまない」
そう言って佐伯は頭を下げた。しかし顔を上げると真顔で追加した。
「六葉グループの岡部氏が変死した件で、自分は真相を調べていた。そんなある日、同じように岡部氏の死に疑問を持つ人に出会った。それが瀬戸さんだ。瀬戸さんは独自に調べて呪術の可能性を考え始めた。そして何人かの民俗学者や宗教学者に連絡を入れていた。それで君のお父さんや弓削さんとも伝ができたんだ」
真代は頷いた。
「そして四人で不審死について調べることになった。さっきも言ったが明確な証拠がなければ警察組織を動かすことは出来ない。しかも病死ということになってしまったからね。だから自分は独自に動機や利害関係という線から犯人を洗い直そうとした。岡部氏は六葉グループの経営方針を大きく変更しようとしていたからね。利益を失うかもしれない者たちから恨まれる可能性も十分に考えられたんだ」
「利益って。そんなことで人が人を殺せるんですか?」
「そう考えるのが普通だね。でも人は巨大な利害関係が絡むと、命など簡単に奪おうとするんだ。それが現実だ」
「そんな……」
「とは言っても、それは憶測の域を出ていなかった。殺人を前提とした場合、肝心の殺害方法が分からなかったからな。それを探っていたのが神忽那教授だった。でも教授から、蠱毒を使う呪殺者の存在を聞かされた時はさすがに驚いたよ。これだけ科学が発達した現代で呪殺とか言われても……ってね」
そのとき、真代はふと呟いた。
「私が有珠来鏡子に対抗できれば……」
すると弓削は、やさしく肩に手を置いた。
「気持ちは分かるけど、蠱毒を使う呪殺は殺人に特化した術よ。でもあなたは死者と遺族との意思を紡ぐだけ。まともに戦うことなんて無理だし危険よ」
結局自分は何もできない。そんな現実に、真代はひどく落ち込んだ。
しかしそれを見た佐伯が、
「でも今回は真代ちゃんが容疑者の顔を見ている。ここから先は任せてくれ。なんとしても身柄を拘束して、そこから切り崩して真相に辿り着いてみせる」
そう言って真代を見据えた。その目には強い覚悟が宿っていた。
真代の願いが通じたのか、数時間後には与那嶺結殺害の重要参考人として、後藤敦という男の存在が浮上。その身柄も確保された。
後藤は取り調べで意味不明な発言を繰り返したが、結の遺体に付着していた血痕付きの指紋と後藤の指紋とが一致すると、殺人の容疑で逮捕された。
だがその日の夜。
見回りの警官によって、留置場内で首を吊って死亡している後藤敦が発見された。
真相に迫る手段を失った捜査は振り出しに戻り、刑事たちの間にも絶望感が漂っていた。さらに憶測や想像が付加された猟奇殺人という言葉に、世間は混乱の様子を呈していった。
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