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第5章 1 ~正体~
藤田旅館の二〇一号室。ベッドに蹲っていた真代は、ノックの音で顔を上げた。時刻は夜の十一時を過ぎている。起き上がりドアを開けると、そこには心配そうに見つめる藤田がいた。その手にはティーカップがあり、紅茶が注がれている。
「こんな時間にごめんなさいね。ちょっといい?」
真代は何も言わずに俯いたままベッドに戻り、腰を下ろすと床の一点を見つめた。
「眠れないんでしょ? ご両親を亡くしたばかりで、今度は結ちゃんまで……。しかもせっかく真代ちゃんが頑張って似顔絵作りに協力したのに、犯人が自殺だなんて」
藤田は部屋に入ると、ゆっくり真代の横に腰かけた。
「だいじょうぶです……」
消え入りそうな声だ。
「強がらないで。自分で思っている以上に心に負担がかかっているのよ」
後藤が自殺したという知らせに真代は、何をどうしたらいいのか、いや、何を考えたらいいのかさえも分からなくなり、心が虚無に支配されてしまった。
もう諦めるしか……。
いや、駄目だ。ボロボロの心に鞭を打つ。
やれることならまだある。明日にでも警察に出向いて佐伯に会い、今度は後藤の記憶を見る。それしかない。
「はいこれ。気分が落ち着くと思って、紅茶を入れてみたの」
藤田は持っていたカップを真代に手渡した。
「心配かけてすみません」
「いいのよ、さ、暖かいうちにどうぞ」
カップを受け取り一口飲むと、それだけで気分が落ち着き、温かい優しさ包まれた。
「おいしい……」
「そう、よかったわ。リラックスできるようにハーブをブレンドしたオリジナルなの。気分が落ち着くわよ」
「本当にすみません」
「いいのよ、そんなこと。私なんかでよかったら話を聞くけど?」
真代は悲しげな笑顔で頷いた。
その直後だった。足元に澱のような黒い影が現れ、ゆっくりと大きくなっていった。
「――ちゃん?」
藤田の声で我に返った。幻覚?
大丈夫ですと答えたが、その直後に今度は一瞬で視界が影に覆われた。
そして目の前に別の影が浮かび上がると、輪郭が形取られその姿を現した。
それはあのモンペ姿の少女、サチエだった。しかもその表情は切実なまでに何かを訴えている。
こんなことは今までになかった。まるでサチエが意識を乗っ取ろうとしているようだった。すると今度は急な眩暈に襲われた。
「まだ疲れているのね? さあ、横になって休みなさい」
また藤田の言葉で意識が引き戻された。
いえ、大丈夫で――。そう言いかけたとき、今度は視界が歪んだ。指先が痺れ瞼が急に重くなると、カップが手から床に落ちて割れた。
「え? 真代ちゃん、ねえ、どうしたの?」
心配する藤田の顔に、サチエが重なる。
そしてはっきりと〝逃げてっ〟と訴えているのが分かった。
すると突然、藤田は真代の頭を両手で掴んだ。そして鼻先がくっつくほどに顔を近付けると、これまで見せたことのないような表情で睨んできた。
「何が見えているのか分からないけれど大丈夫よ。だって見てきたんでしょ? 私があの小娘にしたことをさ」
黒いローブを着た女と藤田が重なったところで、真代の意識は途絶えた。
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