第5章 1 ~正体~

1/1
前へ
/42ページ
次へ

第5章 1 ~正体~

 藤田旅館の二〇一号室。ベッドに蹲っていた真代は、ノックの音で顔を上げた。時刻は夜の十一時を過ぎている。起き上がりドアを開けると、そこには心配そうに見つめる藤田がいた。その手にはティーカップがあり、紅茶が注がれている。 「こんな時間にごめんなさいね。ちょっといい?」  真代は何も言わずに俯いたままベッドに戻り、腰を下ろすと床の一点を見つめた。 「眠れないんでしょ? ご両親を亡くしたばかりで、今度は結ちゃんまで……。しかもせっかく真代ちゃんが頑張って似顔絵作りに協力したのに、犯人が自殺だなんて」  藤田は部屋に入ると、ゆっくり真代の横に腰かけた。 「だいじょうぶです……」  消え入りそうな声だ。 「強がらないで。自分で思っている以上に心に負担がかかっているのよ」  後藤が自殺したという知らせに真代は、何をどうしたらいいのか、いや、何を考えたらいいのかさえも分からなくなり、心が虚無に支配されてしまった。  もう諦めるしか……。  いや、駄目だ。ボロボロの心に鞭を打つ。  やれることならまだある。明日にでも警察に出向いて佐伯に会い、今度は後藤の記憶を見る。それしかない。 「はいこれ。気分が落ち着くと思って、紅茶を入れてみたの」  藤田は持っていたカップを真代に手渡した。 「心配かけてすみません」 「いいのよ、さ、暖かいうちにどうぞ」  カップを受け取り一口飲むと、それだけで気分が落ち着き、温かい優しさ包まれた。 「おいしい……」 「そう、よかったわ。リラックスできるようにハーブをブレンドしたオリジナルなの。気分が落ち着くわよ」 「本当にすみません」 「いいのよ、そんなこと。私なんかでよかったら話を聞くけど?」  真代は悲しげな笑顔で頷いた。  その直後だった。足元に澱のような黒い影が現れ、ゆっくりと大きくなっていった。 「――ちゃん?」  藤田の声で我に返った。幻覚?  大丈夫ですと答えたが、その直後に今度は一瞬で視界が影に覆われた。  そして目の前に別の影が浮かび上がると、輪郭が形取られその姿を現した。  それはあのモンペ姿の少女、サチエだった。しかもその表情は切実なまでに何かを訴えている。  こんなことは今までになかった。まるでサチエが意識を乗っ取ろうとしているようだった。すると今度は急な眩暈に襲われた。 「まだ疲れているのね? さあ、横になって休みなさい」  また藤田の言葉で意識が引き戻された。  いえ、大丈夫で――。そう言いかけたとき、今度は視界が歪んだ。指先が痺れ瞼が急に重くなると、カップが手から床に落ちて割れた。 「え? 真代ちゃん、ねえ、どうしたの?」  心配する藤田の顔に、サチエが重なる。  そしてはっきりと〝逃げてっ〟と訴えているのが分かった。  すると突然、藤田は真代の頭を両手で掴んだ。そして鼻先がくっつくほどに顔を近付けると、これまで見せたことのないような表情で睨んできた。 「何が見えているのか分からないけれど大丈夫よ。だって見てきたんでしょ? 私があの小娘にしたことをさ」  黒いローブを着た女と藤田が重なったところで、真代の意識は途絶えた。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加