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第6章 3 ~逆恨み~
「……」真代は言葉をなくした。
「跡目争いだ。そんなもんに興味はなかったが、奴等は有珠来家でも私に従う者たちだけを殺した。そして庭に穴を掘り遺体を焼いて埋めた。だが私は虫の息だったが死んではいなかった。血の臭いの中で意識を取り戻すと、漂う怨念と死肉を喰らい、隙をみて焼かれる前にその場から逃げ出したのさ。そして身を隠して体力を回復させてから、私を殺そうとした奴らを一人残らず呪い殺したのさ」
戦時中に家系が途絶えた有珠来家。その真相は一族同士の殺し合いの結果、消滅したのだった。
「後になって私は、どうして自分がこんな目に遭うのかを教えられた。神忽那家の存在と双子の姉がいたこともな」
「教えられた? ……それがあの大男?」
「大男? ……ああ。そうなるな」
真代は違和感を覚えた。しかし鏡子は構わず続けた。
「人胆丸のことはもう知ってるな? 人間の肝臓とかを原材料として作った薬だ。有珠来家は江戸時代にそんな薬を作って財を築いた。何かの実験をしていたみたいだが、そんなことはどうでもいい」
「……お父さんが調べていた」
「そうそう。まさかその線から私に辿り着くとはな。幼かった頃に偶然、その人胆丸を口にしたことがあった。あれを食べると気分がとてもハイになるのさ。生き生きとするんだよ。でもあの頃は、それが意味する事に気付かなくてね」
話が見えてこない。
「……何が言いたいの」
鏡子はその問いには答えずに、また天を仰いだ。
「あの日。連中を皆殺しにしたあの日。それまで使ったことがないほどの強力な呪殺だったから、その反動も激しかった。そしてある山奥の神社で行き倒れると、そこで静かに死を待つことにしたんだ。もう目的は果たしたからな。だがそんな私を助けてくれた女の子がいたのさ。終戦直後の混乱期で、他人の事なんかに構っていられない状況だというのにな。だがそのとき私は生まれて初めて神に感謝した。これ程のご馳走を、私の目の前に用意してくれたのだからな」
「ご馳走って……まさか」
鏡子は笑いながら真代に視線を戻した。
「そうさ。頂いたさ。そしてその子の生き肝を食べたとき、体の細胞一つ一つが活き返るのを感じて理解した。これは蠱毒だ。私の生きる源なんだとな」
鏡子の言葉に合わせて勝手に流れ込む映像。真代は吐き気を抑えた。
「だが、生き長らえることはできても、私はそのとき呪殺者としての力は失っていた。力を暴走させたせいだ。まあ、どうせもう必要のない力なのだと、その時は思った。だから行き場のない夫婦を見つけてその子供になった。そして誰もいなくなった有珠来家を旅館としてその夫婦に任せたのさ。それからの私は平穏な人生を送っていた。時々若い娘をさらっては生き胆を喰らう程度の慎ましい暮らしをな。……ところがだ」
鏡子は真代を睨みつけた。
「そんな暮らしが何年も続いたある日。私は原因不明の高熱に襲われ生死の狭間を彷徨った。しかしそのときは、これも運命なんだと死を受け入れることにした。でもそんなときだ。奴が現れたのは。奴は全てを知っていた。双子の姉がいて、その姉が禁呪を使って私を殺そうとしている、ということもな」
鏡子の全身に、どす黒い澱が纏わり始めた。
「分かるか? 神忽那家は私の人生を狂わせたばかりじゃなく、今度は勝手に終わらせようとしたんだ。私はそんな神忽那家を、姉を憎んだ。そして復讐すると誓ったのさ。すると奴は、蠱毒を使った呪殺の力を取り戻す方法を知っていると言った。それから時間をかけて幾つかの禁呪を組み合わせることで、ようやく力を取り戻すことができたという訳だ」
真代は、心の底から湧き上る怒りを抑えきれず睨み返した。
「何よそれ。復讐? 何言ってんの? 光子お婆ちゃんは、あなたが多くの人の命を奪い続けていることを知って、それを止めるために自らの命を差し出したんじゃない。何も悪くない。あなたの逆恨みでしょっ!」
「黙れっ!」鏡子は全身から溢れる怒りを放った。
「私は姉を、神忽那家を絶対に許さないっ!」
そして目を大きく見開いた。その赤い瞳は細かく振動しながら分裂を繰り返すと、あっという間に目の全体が粒状の瞳で埋め尽くされ、両手の指先が赤黒い鉤爪状に変化した。地下室で見せたあの姿だ。
真代は踵を返して走り出した。がしかし、僅か数歩で背後から髪を鷲掴みにされ強烈な力で引き寄せられると、右肩に激痛が走った。
「痛っ!」
肩の肉が喰いちぎられた。真代はその場で膝から崩れると、左手で傷口を押さえた。指の隙間から血が滴り落ち、匂いが鼻をつく。
鏡子は肉片を咀嚼しながら真代の前に回り込むと、冷酷な数十もの瞳で見下し嚥下した。
「私も神忽那家の人間だと言ったろ。ここで実体化して自由に動けるのはお前だけじゃないんだよ」
真代は愕然としながらも、鏡子に悟られないよう海に意識を向けた。
「それにさっきは復讐するなんて言ったが、今では感謝をしているんだよ」
「感謝……?」
「そうだ。確かにいくつかの禁呪を組み合わせることで以前と同等の力を取り戻すことが出来た。しかしそれでも老いには勝てない。生娘の生き肝を喰らうことで若返りや老化を遅らせることは出来るが、止めることは出来ない。徐々にだけれど確実に力は落ちてきた。そしたら奴は、力を失わずに肉体だけを入れ替える術があると教えてくれた。しかもすでに実証済みだ」
「実証って……」
「お前には関係ない。だが、ここに来るためには神忽那家の血筋だけが持つ力がどうしても必要だった。だからそこだけは感謝しないとな。しかも私はお前と違い、わざわざ遺体に触れなくても遺魂の海と現世とを自由に行き来することが出来る。しかし特定の魂を呼び寄せる力はない」
「それでわたしを……」
「別にお前じゃなくてもここで誰かの魂を見つけて喰らい、現世に戻ればその肉体を手にすることは出来る。後はなりすまして機会を伺うことも可能だったが、どこの誰とも分からない魂じゃリスクがあった。だから言ったんだよ。おめでたい奴だって」
言葉をなくし俯く真代に鏡子は、
「欲しい肉体の持ち主を呪殺して、ここでその魂を引き寄せて喰らえば、その肉体を手にすることができる。どう? すばらしいでしょう? そのためだったら神忽那家の力だって利用するわよ」
まるで舞台女優のように両手を広げ、優越感に浸った満足そうな表情で見下した。
真代は顔を上げ、怒りの目で睨んだ。
「そんな事は絶対に許さないっ!」
しかし鏡子は、薄ら笑いを浮かべて問い返した。
「へえ、何を許さないんだ? これだけ圧倒的な力の差を前にして何ができる? 万が一にも勝てる要素なんてどこにもないだろ」
真代は肩の傷口を押さえながら、震える脚で立ち上がった。そして痛みに耐えながら、口元だけは笑ってみせた。
「……そうよね。あなたの言う通り、わたしでは到底あなたには敵わないわ。悔しいけれどそれは認める。でもね、わたしは一人じゃないの。輪廻の時を迎えていない魂はいつでも呼び出せるって知ってた? こんなやり方はあなたでも知らなかったでしょう?」
「あぁ?」
いつの間にか真代の背後には、靄状の二つの魂が寄り添っていた。光子と梢の魂だ。鏡子とやり取りしながらも、遺魂の海に意識を向けて呼び寄せていたのだ。
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