第1章 5 ~死の依頼~

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第1章 5 ~死の依頼~

 同日の夕方。テレビでは岡部CEOの不審死と女子高生猟奇殺人事件の話題で占められていた。  警察による聞き取り調査を終え、自宅のリビングで額に汗玉を蓄えたまま終始落ち着かない様子の佐藤中は、そんなテレビを食い入るように見ていた。彼が見ていたのは六葉グループCEO、岡部幸一の不審死についての報道だ。それは佐藤自らが現場に居合わせていたから、という訳ではなかった。その表情は驚きよりもむしろ怯えている。 「ま、まさか……、本当だったのか?」  そう呟くと、一昨日の夜に訪れた奥多摩の山中にある廃神社での出来事を思い返した。 ――清田前CEOの元で様々な裏工作をしていた佐藤には、長い付き合いになる情報屋がいた。そして清田が辞任した今でも、政財界の様々な裏情報をその情報屋から仕入れていた。そんな情報屋から都市伝説のような話を聞いていたのだ。  佐藤は聞いた通りに一人でその廃神社を訪れた。  戦前に建てられたという神社は、参拝者が途絶えて相当な年月が経っているようで象徴である鳥居も崩れ落ち、神社名すら分からない有様で闇夜に溶け込んでいた。  佐藤は鳥居の残骸を横目に、懐中電灯の小さな灯りだけで背丈以上に伸びた雑草を掻き分けながら、境内の奥へと足を踏み入れた。足元にはかつて参道だった頃の石畳があったが、雑草によって下から押し上げられ凹凸になっていて歩き難くい。  それでも奥へ進むと、懐中電灯の灯りが本殿らしい建物を照らした。  蔦が壁から屋根まで覆っていて、渡り廊下でつながっている社務所も辛うじて玄関が判る程度だった。  こんな所に人がいるのか?  佐藤は本殿の前で足を止めた。すると崩れかけた壁の隙間から、僅かに揺らぐ灯りが見えた。懐中電灯を消すと、本殿の中からこぼれている灯りだと分かった。  どうやら人が居ることは間違いなさそうだ。しかし今度は、そもそもこんな所に居るとは一体どんな人物なのか? と考え始めた。知り得たのはこの場所と訪れる際の幾つかの手順だけで、それ以外のことは情報屋でも知らなかったのだ。  佐藤は覚悟を決めると、情報屋から聞いた通り社務所の玄関前に立った。そして戸を強くゆっくりと2回ノックし、4回柏手を打ってから再び3回ノックした。  するとややあってから閂が外れる音がして、砂混じりのひきずる音と共に扉が開かれた。  佐藤は我が目を疑った。  そこに現れたのが女だったからだ。黒いローブを着てフードを深く被っているので口元しか見えないが、色白で痩せ気味の顎に真っ赤な口紅が印象的な女だ。 「どうぞ中へ」  心地よく通る声で女がフードを捲り上げると、その異様さに佐藤は息を呑んだ。  女は顔の上半分を隠す白い仮面を着けていた。そして長く艶やかな黒髪に色白の肌は蠱惑的であり妖艶さを纏っている。しかもまだ若い。 「さぁ、どうぞお入りください」 「あ、ああ」  女に心を奪われていた佐藤は、我に返った。  そして同時に、長年裏工作をしていた経験からくる直感が、この女は危険すぎると訴えていた。だが引き返す訳にもいかず、促されるがまま中へと入った。  意外なことに建物の外見とは違って中の傷みは少なかった。軋む床板を女の後ろに続くと、本殿内部の広い祭壇場へと通された。そこは天井が相当高く、中央には囲炉裏が設けられていて、膝丈くらいの高さに組まれた櫓が燃え盛る炎に包まれていた。外で見た揺らぐ灯りはこの炎によるものだ。 「そこへお座り下さい」  櫓の前には座布団が敷かれていた。佐藤が座ると、女は櫓を挟むようにして反対側に向かい合って座り、ゆっくりとした口調で問い掛けてきた。 「ここへ来ることは〝ご家族〟を含めて、だれにも話しておりませんね?」 「あ、当たり前だ。それくらいは心得ている」 「左様でございますか。それはよろしゅうございます。ここへ来たことは今後とも一切、他言無用でお願いします。もし誰かに話したら……。ご理解は頂けていますね?」  くどいな、と内心舌打ちした。わざわざ家族を強調するのは脅しているつもりなのだろう。 「ああ、勿論だ。俺だってこんな事が表沙汰になったら、ただでは済まないからな」  そう言いつつも佐藤は半信半疑だった。目の前の女が、大金さえ積めば相手が誰でも殺すという裏社会でも都市伝説的な殺し屋なのか、と。  そんな相手に佐藤が依頼する内容、それは岡部CEOの殺害だった。 「資料は用意した」  佐藤がA4サイズの封筒を櫓の横の床上に投げて渡すと、女はそれを手にして中から資料を取り出した。 「約束通り金なら払うが、どんな方法だ? 先ずはそれを教えてもらおうか」  佐藤はあえて見下す様な態度を取った。いかなる状況でも常に優位に立たなければならないからだ。だがそんな佐藤の心理を見透かしたかのように、女は薄ら笑いを返した。 「簡単ですよ。呪い殺すのです」 「の、呪い殺すだと?」  突拍子もない話に佐藤の声は裏返った。そしてすぐにでも帰るべきだと考えた。信用できる情報屋から得た情報だったが、まさか呪い殺すだとは……。  もしかしたら、この女はこれをネタに強請ってくるのかもしれない。今も近くに仲間が隠れていて、帰ろうとすると突然姿を現し取り囲み脅してくる。実際におかしな連中に取り囲まれる自分を想像した。  しかし、そんな程度の脅しなら対策も考えてある。裏社会には裏社会の人間を使えばいい。広域指定暴力団、久慈武会の会長に後の処理を頼めばいいだけのことだ。少々の出費は痛手だが、ここは一つ冷静に対処しようと切り替えた。 「呪い殺すだと? 信じられんな。本当にそんなことができるのか?」  女は資料に目を通し終えると、穏やかだが凄みのある声で言った。 「できます」 「ふん、そんな非科学的な……」  しかし佐藤は、すぐに思い当たった表情になった。 「ああ、そうか、分かったぞ。呪いに見せかけて殺すってことか? しかし日本の警察は優秀だ。そんな映画のように上手く行くものか。僅かな証拠から、あっという間に割り出されてしまうぞ」  すると女は漆黒の瞳で薄ら笑いを浮かべ、 「日本の警察がいくら優秀でも、問題ありません」  と断言した。  そんな女の態度に佐藤は後悔した。そして同時に自己正当化を始めた。  岡部にもう少し柔軟な思考があればよかったのだ。自分の話を聞き入れ、久慈武会との癒着なんかには目をつむり、清田前CEOを告発するなどという暴挙に出なければ……。これは全て岡部自身が招いたことだ。後悔混じりの溜め息を佐藤は静かに吐いた。  女は手にした榊を振って呪詛を唱えはじめた。何を言っているのか理解できないが、以前テレビでカルト教団絡みの事件を扱った番組を見たとき、教祖と名乗った男が唱えてた口調にどこか似ている。  自分は悪質なカルト宗教に関わってしまったか? いやそんなはずはない。確かな情報によるものだ。そんな疑いが頭を巡っては打ち消し、また巡るという事を繰り返しているうちに儀式は終わりを迎えたのだった―― 「――ですか? あなた?」  不意に声をかけられ、佐藤はハッとして顔を上げた。  妻の麻美が、すぐ横で心配そうに見ている。テレビからは清涼飲料水のCMが流れている。 「疲れているのですね。何度も声をお掛けしたのに……顔色も優れませんが、どこか具合でも?」 「あ、ああ。大丈夫だ。ちょっと考え事をしていただけだ。それより、この後の予定は?」  ハンカチで額の汗を拭きながら、佐藤は湯飲みに残っていた茶を流し込んだ。 「関東テレビから出演依頼がありましたでしょ? そろそろ出かけませんと……」 「わかった。すぐに出る」 「体調がすぐれないのなら辞退なさったら?」 「馬鹿を言うな。いまグループは混乱してる。おれがテレビに出て混乱を治めなければならんのだ。瀬戸にばかりいい気にさせる訳にはいかん」  岡部CEOの不審死以降、瀬戸はメディアに出てグループの混乱を抑えようと躍起になっていた。佐藤にはそれが、次期CEOは自分だとアピールしているようにしか思えなかったのだ。 「行ってくる」  そう言って佐藤は家を出た。  都内の某路地裏。  停車している一台の黒塗り大型高級セダン。その後部座席にはフード付きのローブを着た二つの人影があった。一人は大男でもう一人は若い女だ。運転席にはチンピラ風の若い男がハンドルに手を置いて辺りを警戒している。  大男がため息まじりに口を開いた。 「しかし、証拠が残らないのはいいが無駄に騒ぐ世間は鬱陶しい限りだな」  隣の女がクスッと笑った。 「まあ、庶民なんてそんなものでしょう。ただの病死よりも陰謀や暗殺といった刺激的な話題が好きなのですよ。ましてあれ程あからさまな不審死ともなれば。でも、ひと月もすればきっと別の話題になっていますわ」 「ふん。まあいいだろう。おかげで佐藤も完全に手中に落ちた。資金面は確保できそうだ」 「国内大手のグループ企業ですから。チンピラごときのおもちゃにしてしまうには勿体ないですわ」 「まったくだ。そう言えば、あの神社で随分と面白い事をやっていたな。あれはなんだったんだ? 隣の部屋で笑いを堪えるのに必死だったぞ」 「あれですか? あれは依頼人向けのパフォーマンスですよ。本当の儀式を見せる訳にはいきませんから」 「たしかにな」 「それでも十分に効果があった筈ですよ。今頃テレビの前で青くなっているんじゃないかしら? なにせ自分が〝生き証人〟になってしまったのですから。ふふふ」 「そうだな。と言いたいところだが、このあと特番に出るらしいぞ」 「あら、そうですか? 意外と神経が太いなのかしら」 「いずれにせよ、奴は使い勝手のいい駒になるさ」 「ふふふ、そうですわね。じゃあ次のステップへ行きましょうか」 「そうだな。おい、車を出せ」  男が運転席に向かって言うと、車は静かに動き出した。
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