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第2章 1 ~神忽那真代~
岡部CEOの不審死から一ヶ月が過ぎた頃になると、世間の話題は日本人スポーツ選手の活躍や芸能人の不倫騒動などで占められていた。
そんな中、夏本番を迎えた沖縄。
近年のクルーズブームで巨大な白鯨が横付けされる風景も珍しくなくなった那覇新港埠頭。その近くにある琉球国際大学付属高等学校三年の神忽那真代(かぐつな ましろ)は、数学の授業そっちのけで頭を悩ませていた。
数日後に迫った夏休み。そこで恒例となった『郷土史研究部』の調査活動をどこで行うか、まだ決めあぐねていたからだ。
郷土史研究部、略して『郷研部』。真代たち今の三年生が作った部活で、日本各地に昔から伝わる文化や風習、伝承などを現地に赴いて調査し、たまに美味しいものを食べて(これがメインかもしれないが……)、それらをレポートに纏めて提出するというのが主な活動内容だ。
現在の部員は全員で十人いる。一年と二年生がそれぞれ三人で、真代たち三年生が四人。夏休みの調査活動は学年ごとに別れて行うが、もともと低予算の部活のため普段からみんなアルバイトをして旅費を工面している。
そして今回、行先を決める担当の真代が頭を抱えていた一番の理由。それはレポートにあった。
去年の夏休み。二年生だった真代たち四人は四国へと赴き、お遍路さん目線で郷土史の調査を行った。さすがに全ての巡礼箇所は回りきれないので、数ヵ所の巡礼所で巡礼中だというお遍路さんに何人か会って話を聞き、それを『四国巡礼をゆく』というレポートにまとめた。
するとこれが教師陣から高評価を得ると、地元のテレビ局から取材を受けることになってしまった。当初はみんな大はしゃぎしたが、後になって複雑な思いをすることになった。なぜならレポートの出来次第によって部費が上乗せされることになったからだ。当然のように後輩たちからの期待も大きくなる。
それにしても……。窓際の席で真代は、下敷きをうちわ代わりに仰いだ。
今日が特別に暑いという訳ではない。しかし、エアコンの調子が悪い上に熱血教師の与謝野から発せられる声量のせいで、教室がいつも以上に暑苦しい。
真代は嘆息し窓の外を見た。
グランドの向こう側、公園を挟んだその先には那覇新港埠頭がある。今その埠頭には、世界一周旅行の途中だという大型クルーズ船が優雅な巨体を横付けしている。あれに乗ってどこかに行けないだろうか……いや、予算的に絶対無理だ。
「……はぁ、嫌になっちゃう」
ため息とともに思わず出た言葉だったが、タイミングが悪かった。与謝野が数式の説明を終えた直後で、クラス中が静けさに包まれていたからだ。
「神忽那、今何て言った?」
「へ?」
視線を教壇へ戻すと、チョークを黒板に当てたまま肩越しに睨む与謝野と目が合った。クラス中の視線も集まっている。
「え?」
真代は猫のような目をさらに丸くすると、ショートボブの傘が開くほどの勢いで頭を左右に振り、色白の頬を瞬く間にピンクに染めて俯いた。
「な、なんでもありません……」
消え入るような声で答えた途端、クラス中がどっと笑った。
「一体どうしたさぁ?」
隣の席から与那嶺結(よなみね ゆい)が覗き込んできた。真代とは対照的で小麦色に焼けた顔に、短いポニーテールが跳ねている。
「静かに!」
与謝野が呆れ顔で手を叩き黒板に向き直ったとき、授業の終了を告げる鐘が鳴った。その途端、生き返ったような表情をした生徒たちを与謝野は見逃さなかった。
「あー、今日やったところは試験に出すからな。ちゃんと理解しておくように」
生徒たちの表情が一変した。
「ええーっ」
「まじ? 俺、寝てたさぁ」
「私、ノートとってねえし」
「さてと、昼飯にすっかな。まぁ、分からない事があったら聞きに来い。じゃあな」
悲鳴と抗議の声を背に、与謝野は大人気ないニヤケ顔でさっさと退室していった。
「私もとってないさぁ。真代は?」
「半分……いや、四分の一くらい?」
「だよねぇ」
真代と結は同時に後ろを向いた。
短髪を茶に染め、結と同じくらいに日焼けした渡久地圭(とくち けい)と、マッシュルームカットの黒髪に黒ぶちメガネの宗根大樹(そね たいき)がいる。
二人は同時に圭を一瞥してから大樹に視線を向けた。
「大樹は?」
だが、そんな二人に圭が間髪入れずに抗議する。
「おい、そこの二人。ちょっと待て。今二人して《ああ、どうせこいつに聞いても無駄さぁ》って思っただろ? すげー心外なんだけど」
すると結があきれ顔で言った。
「だって圭はノートすら出してないさぁ」
そう指摘されると圭は、
「まったくだぜ」と他人事のように頷いく。
結はそんな圭を一睨みしてから大樹に視線を戻す。
「ねえ、大樹は?」
大樹はメガネのブリッジを右手の中指でくいっと上げて答えた。
「ああ、全部とってあるよ」
「やったー」
結と真代がハイタッチする。
「さっすが優等生! あとで見たいさぁ」
「私もお願いね」
「な、なあ、大樹。俺も……いいか?」
「ああ、いいよ」
「よっしゃ! そうと決まれば飯にしようぜ」
「まったく、圭はいつも調子いいさぁ」
笑いながら四人は机を向かい合せた。
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