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第2章 2 ~風雲急告~
この四人とは小学校以来の腐れ縁と言ってもいい。
真代と結と圭は幼馴染で、大樹は小学三年の頃に東京から転校してきた。
当時の大樹は何かと理屈っぽいことを口にする少年だったので、転校後も周囲に馴染めずにいた。それを見かねた圭がある日、真代と結を誘って近くの川遊びに行くのに、大樹を強引に連れ出したのだ。
大樹は川岸にある大きな岩の上に連れて来られ青ざめた。垂直より少し傾斜が川の方に突き出したその岩は、かなりの高さがあったからだ。下を見ると足元付近の川の色が他に比べて濃く見える。それだけ深さがあることを示していた。
「か、川の水質とか大丈夫なの? バクテリアとかいるんじゃない?」
「平気さぁ、みんな泳いでるさぁ」
「大樹君も泳ごうよ」
「バクテン? したけりゃ後でやれ。そら行くぞっ!」
「や、やめろっ! わーっ」
四人は服を着たまま岩の上から川へと飛び込んだ。と言っても大樹は圭に手を引っ張られての無理心中だったが……。
「ぷはぁー。気持ちいいさぁ」
「うん、すごく気持ちいい」
「ああ。やっぱ、夏はこれだなって……あれ? 大樹は?」
川面には三人の顔しかない。が、少し遅れて圭の後ろで大樹が浮上した。
「ぷはっ、はぁっ」
「おお、無事か?」
「大樹君、やったさぁ」
「どう? 気持ちいいでしょ」
都会育ちでこれまで自然と触れ合う機会がほとんどなかった大樹にとって、冷たい水の爽快感は感動的だったようだ。
「よし、これで大樹も俺たちの仲間だ。これからはずっと一緒だぜ」
「よろしくね、大樹くん」
「よろしくさぁ」
「う、うん。よろしく」
照れたように大樹が言うと、四人はがっちりと手を組んだ。
「あ、あのさ……も、もう一回いいかな?」
「おお、そうこなくっちゃだぜ」
この日以降、四人は一緒に行動を共にするようになり、同じ高校に進学して現在に至っている。そしてこの四人こそが、郷研部を創設した四人でもあるのだ。
「そう言えば、真代はいつにも増して授業に集中してなかったさぁ」
「いつにもって……まあ、うん。まだ行き先が決まらないの。もうすぐ夏休みなのに。リクエストない?」
「前にも言ったけれど、受験が控えているから遠出はやめて県内でいいさぁ。まあ、あえて言うなら私は波照間に……?」
そこで結は言葉を止め、訝しそうに振り向いた。真代が肩越しに視線を定め、箸を持つ手を止めたからだ。しかしそこには数人単位で机を向かい合わせ、昼食を取っているクラスメイトがいるだけだ。その先の廊下には誰もいない。
「どうした? 俺以上のイケメンでも通ったか? でもこの学校にそんな奴はいないぜ」
短い茶髪を手でセットする仕草の圭に、結があきれ顔になった。
「あんた以下がいない、の間違いさぁ」
「うわ、男を見る目がないぜ。数年もすれば俺は超有名人になって、テレビに出ない日なんてないんだけどな」
「犯罪者として?」
「うっ……本当、容赦ないぜ」
「どうでもいいさぁ。そんなことより……いるの?」
途端、結にあしらわれた圭も真顔になり、大樹はメガネを押し上げ廊下を凝視した。
真代は見えるままのことを伝えた。
「うん。背を丸めたお婆ちゃんがね、杖をつきながら歩いているの。この近くに住んでたのかな? もしかしたら、昼のお散歩かも」
「学校でも見えるなんて、ちょっと怖くねえか?」
圭に聞かれて真代は首を傾げた。
「小さい頃から見えているから、もう慣れっこかな」
真代は物心ついた頃から度々霊を見ることがあった。街の中で、学校の中で、ときには家の中でも。
だが、霊を怖い存在だとは思わなかった。死んだことを理解できなかったり、心残りが強かったりする人の魂は、生前の行動を繰り返したり思い入れのある場所を彷徨ったりして、すぐには逝くべきところに旅立てないのだと、母の梢から聞かされていたからだ。
「まあ現実的なところ、幽霊よりも生きた人間の方が怖いからな」
すると圭は、待ってましたとばかりに大樹に言った。
「お? 大樹が霊の存在を認めたぜ」
大樹は黒縁メガネを軽く押し上げた。
「認めたと言うか……。確かに霊なんて非科学的だと言ってしまえばそれまでだけれど、目に見える世界だけが全てだ、という考えに疑問があるというか、なんと言うか……」
すると結が頬杖をついた。
「私も最近じゃあ、すっかり見えなくなっちゃったさぁ」
「知ってたか? 霊は綺麗な心の持ち主じゃないと見えないんだぜ」
ゴン。
「痛てぇ。蹴るなよ……」
「圭には言われたくないさぁ。でも、さっきの大樹の台詞。転校してきたばかりの頃の大樹君に、是非とも聞かせたいさぁ」
すると大樹は、俯き小声でつぶやいた。
「い、いや、だからあの頃はそういうのは信じられなかっただけで……」
小学校を卒業する頃までは結にも霊が見えていた。圭は見ることはなかったが存在を感じることがあったので、三人でよく幽霊の話をすることも多かった。
しかし見ることも感じることもない上に理屈っぽい性格だった大樹は、その度に幽霊の存在を完全否定したのだった。
だがそんな大樹も、最近になって「幽霊は存在するかもしれない」と言い始めたのだ。と言っても、大樹自身が幽霊を見れるようになったとか霊的な体験をしたから、という訳ではない。
大樹は顔を上げ真代に視線を向けると、すぐに逸らして顔を赤らめた。
それを見逃さなかった圭と結はニヤケ顔になった。
「なになに~。もしかしてぇ~、運命的な出会いに気付いちゃったのかにゃ~?」
結が冷やかすと、大樹はますます顔を赤くして下を向いてしまった。
「そ、そんなんじゃなくて……」
大樹が真代に気があるということは、結と圭も知っていた。もちろん大樹にだってその自覚はある。しかし当の真代は、知ってか知らずか何のリアクションもしない。三人の会話を他所に、じっと廊下のお婆ちゃんを目で追っている。
「駄目だこりゃ」
結と圭が同時に嘆息して呟くと、ようやく真代も話題に加わった。
「ん? なになに?」
「だから、真代は大樹のことを、どう――」
「わー、わわわ」
慌てて遮る大樹に、どうしたの? という表情で真代は首を傾げた。
「は、話を戻そうか。うん、そうしよう。えーと、夏休みの行き先だよね? お、俺は端島、つまり軍艦島に行きたいな。天候が良ければ上陸もできるらしいし、世界遺産だからレポートにも困らないだろ?」
「はーい。どうせ九州に行くなら福岡だぜ。ほら、何年か前に集中豪雨で災害があったじゃん。そのときの行政の対応や復旧の過程、危機管理とかをレポートにするってどうよ?」
すると結が呆れ顔になった。
「もっともらしいこと言ってるけど、圭は福岡のアイドルを見たいだけさぁ」
「うっ……」
図星だったようで、圭は目を泳がせた。
「じゃ、じゃあ、結はどうなんだよ?」
「さっき言いかけたけれど、波照間島がいいさぁ。昔から水不足の問題に取り組んでいるから、その取り組みをレポートにしたいさぁ」
「ふん。どうせ南十字星が見たい~って、そう思ってんだろ?」
「そ、それは、まぁ……つ、ついでに見れたら、いいさぁ……」
「星なんかここでも見れんだろ。なあ大樹?」
「そ、そうだね。と、ところで、真代は、どこがいいの?」
真代は小さく伸びをしながら、
「うーん。それが思い付かないのよねぇ。いっそ、ダーツで決めようかなぁ……」
冷ややかな視線を一斉に浴びる。
「え? じょ、冗談よ、冗談。ははは……」
「本気でやりそうだから怖いぜ」
圭の言葉に大樹も頷いて補足した。
「真代は時々突拍子もない事を考えるからな。小六の時だって〝あの虹に登りたい〟とか言って、一人で虹のたもとを探しに行って迷子になったし」
「そ、その話はもういいって」頬を膨らませ俯いた。
「まあいいじゃない。みんなで真代を探しに出たことで御嶽とかがあちこちにあることに気付いて、土地の文化に興味を持つようになって、この郷土史研究部の発足に繋がったんだからさぁ」
「その節は大変ご迷惑おかけしました」
真代は机に三つ指をついて行儀よく礼をした。が、そのとき。右手の甲に小さな茶色い物体が飛び乗った。
「ん?」と自分の手を見た途端、真代は悲鳴を上げた。
「く、クーバーッ!」
その拍子に蜘蛛は机の上にジャンプした。大樹は一目見て冷静に言った。
「これはチャスジハエトリ。どこにでもいて害虫駆除をしてくれる蜘蛛だよ」
「無理、無理、むりーっ!」
クラス中が注目する中で真代は席を立ち、結の背後に回り込む。
大樹はやれやれと、蜘蛛をそっと自分の手の平に乗せ、窓から外へ逃がしてやった。
そんな様子を見ていた圭が、呆れたように言った。
「ったく。幽霊は平気なくせに、何であんな蜘蛛が怖いんだ?」
「だ、だってさ、だってさ、足がいっぱいあるさぁ」
「足がいっぱいって……、それなら百足の方が多いぜ。出たらどうすんだ?」
「うう……死ぬかも……」
「もう、しょうがないさぁ。真代は虫系が苦手さぁ。ほら真代、もう居ないから」
「う、うん」
それでも右手の甲を、しきりに制服のスカートに擦り付けている。
「神忽那真代、いるか?」
そのとき廊下から真代を呼ぶ声がした。それは与謝野だった。手招きされ廊下に出た真代は、短い会話を交わしてすぐに戻ってきた。その顔は青ざめている。
「ど、どうしたさぁ?」
「急いで帰らないと。お父さんが倒れちゃったみたい」
そういって真代は学校を早退した。
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