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第2章 3 ~両親の死~
ぼんやりとした意識の中で、息苦しい程の熱が身体に纏わり付いた。まるで熱い蜘蛛の糸に絡めとられたかのように、じわじわと身体が火照り始める。
そこへ涼しげな金属音とともにやわらかな風が体を撫でた。それは絡みついた熱い糸をときほぐしてくれた。その心地よさにホッとしたのも束の間、またすぐ暑い糸が体を絡めとった……。
そこで神忽那真代は目を覚ました。
見慣れた天井。床の間からガラスケースに納まった琉球人形が涼しげな顔で見つめている。縁側に置かれた扇風機が首を振り、軒下の風鈴が弱々しくも涼しげな音色を奏でていた。
いつもの我が家。だが、いつもとは違う我が家。
真代は上体を起した。大広間と襖で隔たれた隣の和室。そこに敷かれた布団でタオルケットを掛けられ寝かされていたのだ。半開きの襖からは、見知った顔の親戚達が忙しなく動き回っているのが見える。
すると、近所に住む親戚の喜屋武吉美(きやん よしみ)と目が合った。
人懐っこそうな丸顔とふっくらとした体格。それでいて器用に何でもこなすことから、近所の子供たちからはドラえもんと呼ばれている。ただし本人がそれを良しとしているか否かは定かでないが。
「おや、大丈夫かい?」
その声にみんなの動きが止まった。
「いやぁ、びっくりしたさぁ。真代ちゃん、急に倒れるから」
心配顔の吉美を先頭に、大広間からぞろぞろと親戚たちが入って来た。
「まだ顔色が良くないさぁ。もう少し休んでいなさい」
みんなに囲まれ真代は事態が飲み込めず、きょとんとした表情を返す。しかしその視線が大広間に置かれた棺と母梢の遺影を捉えたとき、今夜が通夜だということを思い出して目を見開いた。
昨夜。梢は人に会うと言って出掛けたまま、いつまでたっても戻らなかった。携帯も繋がらず心配になり、親戚たちと手分けして方々を探したが結局は見付からなかった。
しかし今朝になり、港のコンテナ置き場の一角で女性が倒れているのを運送会社の警備員が発見。すぐに救急車を呼んだが、搬送先の病院で死亡が確認された。
警察からの連絡を受け身元確認のために吉美と一緒に病院へ向かった真代は、そこで梢の亡骸と対面し取り乱してしまった。そして冷たくなった梢の手を握った途端、その場で気を失い倒れたのだという。
司法解剖の結果、死亡推定時刻は深夜の零時ごろということ以外不審な点がなく、死因は心不全とされた。
四日前には父の辰巳が大学の講義中に倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。学校で連絡を受けた真代が駆け付けたときには、既に息を引き取った後だった。一足先に駆け付けていた梢から、倒れたときの目撃情報や検死の結果にも不審な点がなかったので、心不全だったと聞かされていた。
真代は気を失っている間に見た奇妙な夢のことを思い出した。どこか知らない海に落ち、海底から現れた琉球人形にそのまま引きずり込まれた夢だ。
床の間に目を向ける。そこにはガラスケースに納まった琉球人形がある。しかし明らかにこれとは違う。もっと古い感じだったし、大きさは等身大だった。
「――ちゃん? 真代ちゃん? 本当に大丈夫かい?」
日焼けした吉美の丸顔が心配そうに覗き込んでいる。真代はあわてて平静を取り繕った。
「だ、大丈夫。まだ少し疲れているのかも……え?」
だが、その目からは大粒の涙が流れ落ちる。そして戸惑っている真代を、吉美は優しく抱きしめた。
「二人続けてだもん、無理もないさ。泣きたい時は泣けばいいさぁ」
真代は堰を切ったように大声を上げて泣き崩れた。悲しみが実感を伴い押し寄せ、自分でもどうする事も出来なかったのだ。そんな様子に戸惑うばかりの親戚たちに吉美は目で合図を送る。
「そ、そうだな。こんな大勢に囲まれてたら、ゆっくりできないよな。何かあったら知らせるんだぞ」
吉美の胸で泣き続けた真代は、少し落ち着きを取り戻すと顔を上げた。
「……ごめんなさい。私も何か手伝わないと……」
「無理しないさぁ。もう少し休んで。準備は私たちがしておくから」
「でも……」
「いいから。ほら、横になって」
吉美にそう言われて寝かされると、真代は泣き腫らした目で大広間の様子を眺めた。そしてこれは現実なんだと改めて思い知らされた。心にぽっかりと開いた穴を塞ぐように、自分自身を抱きかかえて丸くなった。
背後から気配を感じたのはそのときだった。
この部屋に入るには、目の前の大広間か扇風機が置いてある縁側しかない。しかし誰一人として立ち入ってなどいなかった。
真代はゆっくりと寝返り床の間を見た。
すると琉球人形が入ったガラスケースの傍らに、一人の見知らぬ少女が佇んでいた。
可愛らしいおさげの十代前半と思われる少女だったが、その服装には明らかな違和感があった。元々白地であったと思われるブラウスは、汚れて綻びと穴が開いている。さらにブラウス同様に汚れているズボンが〝モンペ〟だと理解するのにも時間を要した。まるで歴史の教科書に載っているような、戦前から戦後にかけての服装そのものだ。
上体を起こして大部屋を振り向いたが、誰もこっちに気付いていない。
すると少女が一歩前に出た。血の気のない蝋人形のような顔色。そんな少女が悲しげな目で何か訴えようとしている。
この世の者ではない。そして、これまで見てきた霊たちとも明らかに違う。
真代が手を差し伸べると、少女はゆっくりと首を横に振り姿を消した。
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