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リュックをしょっているくせに、ボクはここからほとんど出たことがない。
ここ以外のどこを知っているかというと、ここに来る前にいたステキなおうち。ボクは美菜さんの友だちとしてパパさんからプレゼントされ、そのおうちに住むことになったんだ。
「ほうら、クマさんだよ」
「ありがとうパパ! リュックを背負ってるのね。そしたらあなたの名前は『りゅっクマん』でどうかしら? そうね、旅が好きで世界のあちこちに出かける『旅行戦士』なのよ」
美菜さんはそう言って、むねの中につつみこむように抱きしめてくれた。
美菜さんのよくうごく大きな黒目がボクは大好きだった。美菜さんもボクを「大好き」と言い、ママさんにねだって「あなたとあたし、お友だちのしるしよ」と、美菜さんのハンカチと同じししゅうを肩に入れてくれた。なのはな、っていうお花のししゅう。
でも、旅行せんしなのに、ボクはこのおうちから出ることはなかった。いつも美菜さんとおままごと、おしゃべり、となりにすわったりいっしょにねる。
だけど本当はきどう力があるんで、美菜さんがつまづきそうなコードを片づけたり、忘れそうなノートなんかをそっとランドセルにしのばせたりした。
でも、長いことそうやって過ごすうちに頭も背中もけば立った。うでのつけねのほつれはママさんがぬい合わせてくれたけど、まもなくリュックがどこかへなくなった。リュックのまん中にあったボタンをおすと「おはよう」とか「さあ出かけよう」とか言えるんだけど、できなくなった。片足をワンコにもがれ、外へ持ってかれてしまった。
中の綿もすっかりつぶれ、ボクはやせた。洗たくで干してくれるママさんも、取れない手あかにため息をついた。
「美菜ももう来年中学生だし、りゅっクマんとはお別れしようか」
ママさんが家のあちこちを整理しているのは知ってる。引っこしするからと言って、パパさんもおしいれのあれこれをまとめてはゴミぶくろに入れていた。
でも美菜さん、ボクを見すてたりしないよね――
「ごめんね、りゅっクマん。だれかいい子にかわいがってもらってね」
美菜さんは目に涙をいっぱいためて、ボクを公園のベンチにすわらせ、走っていった。
その直後、急にどこからかあらわれたやつが、ボクの足をざつにつかんだ。乱ぼうにひっくり返したりゆすったり。そうやってぶん回しながら歩き出したそいつのうでのすき間からさかさまに見えたのは――
美菜さんがかけもどってきてベンチのまわりをたしかめている。ボクをさがしている。「やっぱりいっしょに帰ろう」って。
美菜さん、ボクはここだよ!
でも。声はとどかなかった。声、でないから。
こうしてボクはここに来た。
つれてきたのは貴早くん。そしてここは、貴早くんのお父さんの、「おもちゃのびょういん」だった。
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