図書室の女の子たち

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「一人で昼ごはん食べるとかヤバ」 「うわ、マジじゃん」  昼休み、自分の席でお弁当をつついているとそんな声が聞こえた。卵焼きをつかむ箸が止まる。顔を上げると、奈子(なこ)とエミが悪意のある笑みを浮かべてこちらを見ていた。 「あ、こっち見た」 「きもー」  目が合うなり、一週間前まで友達だったはずの彼女たちは私のことを(あざけ)った。  くすくす、と湿った笑い声が耳朶(じだ)に張りつく。  心臓がギュっと縮こまった気がした。  私はいたたまれなくなり、お弁当の蓋を閉めて、包みにくるんだ。そのまま、ランチバッグを腕のなかに抱えるように持って教室を出る。 「ははっ、逃げたし」 「まるでうちらがいじめたみたいじゃん、おおげさ」  背中にそんな声が刺さった気がした。 *  奈子とエミとは入学式当日に仲良くなった。席が近かったから話しかけられて、そのまま何となく三人で過ごすようになっていた。  人気のプチプラコスメのこととか、ネットでバズってる動画のことだとか、話す内容はそういうことばかりだったけれど、3人とも帰宅部で、オシャレに興味があるという共通点があったからか、一緒にいるだけでも楽しかった。けれど、それが変化したのはほんの一週間前――夏休みが明けてすぐのことだ。  私は、京谷(きょうや)くんという一人の男子に告白された。  男バスに所属している彼は、同じクラスだったけどあまり接点がない相手だった。勉強はあまりできないほうだったけど運動神経はいいし、顔も悪くなくて背が高くて、性格も朗らかで、一言で言ってしまえば女子からモテそうなタイプだった。  彼は、私と文化祭で同じ係になったときから私のことが気になっていたと照れながら教えてくれた。文化祭があったのは六月だから、三ヶ月も前からだ。 「どうして、私なの?」  告白された私は驚きを隠せず、咄嗟にそう訊いた。彼は包み隠さずに言った。 「ほら、うちのクラス本当はカフェやる予定だったけど、ほかのクラスも希望してて、結局おばけ屋敷やることになっちゃったじゃん。女子はみんな『カフェがよかった』って文句ばっか言っていたけど、大倉だけは何も不満とか言わないで一生懸命に仕事してただろ? なんか、それ見て『良い子だな、なんかカッコいいな』って思ったっていうか……。それに、顔とかもぶっちゃけタイプだし……」  告白されるのは初めてだったので戸惑った。でも、戸惑った理由はそれだけじゃない。  私は、ことを知っていたからだ。  奈子は、京谷くんと中学が一緒だった。中三の夏に、同じ高校を受験する者どうしということで一緒に受験勉強しているうちに、好きになったのだという。前にみんなで恋バナをしていたときに、はにかみながら奈子がそんな話をしていたのを覚えていた。  私は、もちろん京谷くんの告白を受けることはしなかった。告白されたことも奈子たちには黙っていようと思った。  でも、私が京谷くんから告白されたことはどうしてか早々にバレた。 「ねえ、京谷くんに告られたってマジ?」  告白された日から数日後、奈子は感情の読めない瞳で私に尋ねてきた。 「え、ほんとだけど……。なんで知ってるの?」 「友達が、京谷とめぐみが放課後に裏庭で二人でいるところ見たって。ねえ、なんか、抜け駆けとかしてないよね?」 「しないよ。するわけない……! 奈子が京谷くんのこと好きだったの知ってるし。それに私、京谷くんのこと好きじゃないから大丈夫だよ」 「ふーん……あっそ。まあ、いいけど」  その場はそれで収まったけれど、奈子はどこか不服そうだった。  その翌日から、奈子はエミと一緒になって私のことを仲間外れにするようになった。  奈子とエミは二人のときだと楽しそうな話しているし普通に会話も盛り上がっているのに、私が会話にまざろうとすると二人ともそっけない態度をとるようになったのだ。 「いま何話してたの?」と訊いても「いや別に」、「なんでもないから」と不愛想に返される。  そんな態度をとられつづけているうちに、私もどうしていいかわからなくなってしまった。いろいろ悩んだ末、このまま3人グループでいても事態が悪化するだけのような気がして、二人と少し距離をおいてみることにした。  けれど、奈子とエミはそれをいいことにますます私を避けるようになり、昼休みも私を一人にして二人だけで過ごすようになってしまった。  そして悪口を言われるようになったのが三日ほど前からだ。  友情ってこんなにも儚いものだったなんて、今まで知らなかった。 *  食べかけのお弁当が入ったランチバックをかかえて私はふらふらと廊下を歩いていた。人目から逃れるようにしていたら、いつのまにかだいぶ人けのないところまで来てしまった。  お昼ご飯、どこで食べよう……。  はやくしないと昼休みが終わってしまう。トイレで食べるのはさすがにちょっと嫌だし……。どうしよう。  ため息をついたとき、目の前に「図書室」というプレートが下がった部屋があるのが視界に映った。  図書室か……。図書室は飲食禁止だろうし、あそこでお昼ごはん食べるのは無理だよね……。 「図書室に興味があるの?」  凛とした声が耳の近くで聞こえた。 「ひゃ」  びっくりして飛びのく。  すると、私の背後に女の子が立っていた。  大きくて丸いレンズのメガネをかけている。しめ縄のような三つ編みが、肩から胸元にかけて垂れさがっていた。つややかな黒髪だ。  シャツのボタンも上までしっかり留めてるし、スカートもひざ丈だし校則順守派って感じの子。委員長とか風紀委員とか、やってそうだな……。 「図書室に興味があるの?」  彼女は再度そう言ってずいと顔を近づけてきた。地味子だけど、肌の手入れは行き届いているようでこんなに近づいても毛穴ひとつ見えない。 「え、あ、いや……お弁当を食べる場所を探してて……」 「教室で食べればいいじゃない。九月とはいえまだ暑いし、教室なら冷房だって効いてるでしょう?」 「……教室は、ちょっと居場所がなくて」  ギュっとランチバッグを抱きしめて俯く。  奈子とエミたちの顔を思い出したら、心に影がさしたような気分になった。 「あなた、もしかしていじめられているの?」  委員長のような子は、眉を左右で互い違いにしてみせた。 「そういうわけじゃないけど、友達とその……ちょっと喧嘩しちゃって」 「ああ、そうなの。女子って面倒よね」 「そうだね……」 「お弁当を食べる場所に困ってるなら図書室で食べて行けばいいわ。本当は飲食禁止なんだけど、どうせ私以外だれもいないもの」 「え、いいの? えっと……」 「北本砂羽(きたもとさわ)よ」 「北本さん、本当にいいの? 怒られない?」 「平気よ、バレやしないわ。それに」 「それに……?」 「気分が落ち込んでるときは、図書室へ行くにかぎるのよ」  ふっと微笑んで、北本さんはそんなことを言った。思わず目を瞬いた。  え、でも、気分が落ち込んでるときに行くとしたらせめて保健室とかじゃないの……?  イマイチ腑に落ちなかったけど、それ以上は聞けなかった。北本さんが図書室の鍵を開けてくれた。鍵をもっているあたり、図書委員なのだろうか。 「どうぞ」 「お、おじゃまします……」  北本さんに促されて、おそるおそる足を踏み入れた図書室は、思ったよりも広かった。当たり前だけど、背の高い本棚がたくさん並んでいる。少し薄暗いけれど、本当にだれもいなくて静かだった。  うちの学校の図書室ってこんなふうになってたんだ……知らなかった。  何せ入学してから一度も立ち入ったことがなかった場所だ。私、本とか苦手だし、校舎の隅にあるし。 「私は本を読んでるから、そこのテーブルでお昼ご飯をたべるといいわ」  北本さんは、貸し出しカウンターの椅子に腰かけながら、圧倒されている私にそう言った。 「あ、ありがとう」  私は、言われた通り広い閲覧席に着いてお弁当をランチバッグから出した。  私がお弁当を食べている間、北本さんは静かに本を読んでいた。めがねに三つ編みの女の子が分厚いハードカバーの本に視線を落とす横顔は、いかにも「文学少女」という感じだ。  その後、少しの間お互い何もしゃべらない時間が流れたけれど、どうしてだか沈黙が気まずくなかった。  不思議だ。ふつう初対面の人と沈黙がつづくと気まずいもののはずなのに。北本さんとの沈黙は、どうしてだか落ちつく心地がした。 「どうして喧嘩したの?」  北本さんが突如として沈黙を破ってきた。私はまだお弁当を食べてる途中だった。 「えっ?」 「お友達とよ。どうして喧嘩したのかしらってふと気になってしまって」  北本さんが、開いたハードカバーの本に視線を落としたまま尋ねてくる。その突拍子のなさにたじろいでしまう。 「えっと……」 「ああ、言いたくなかったら言わなくてもいいのだけど。ごめんなさいね。私ってちょっと悪い意味で変わってるらしいの」 「そ、そんなことないよ」 「そうかしら?」  彼女は顔を上げて首をかしげてみせた。 「うん。それに……話したくないわけじゃないし、どっちかっていうと話したいし。今まで誰にも相談できなかったから……」  正確には、相談できる相手がいなかったのだ。先生や親には言いづらいし、きょうだいもいない。それに、奈子たち以外には悩みを打ち明けられるような友達もいなかったから。 「そうなの? じゃあ聞くわ」  北本さんは、本から顔を上げて話を聞く体勢に入った。私はゆっくりと口を開いた。 「友達に、片想いしてる人がいて……」 「青春ね」 「でも、なんか私そのひとに告白されて」 「急展開だわ」 「特につきあいたいとかも思ってなかったし、もちろん、断ったんだけど……」 「英断よ」 「私が告白されたって、その友達に知られちゃって」 「面倒なことになるわね」 「それで……なんか仲間外れにされてるっていうか……。そんな感じで……」 「ひどい。ゆるせないわ」 「……やっぱり?」 「そうよ、嫉妬でそんなことするなんて最低ね」  怒っている北本さんを見ていたら、どうしてだか涙がこみあげてきた。今まで押し込めていた思いを吐き出せたからというのもあるし、北本さんが味方になってくれたのがどうしようもなくうれしかった。 「本当にひどい人たちだと思うわ。うちのクラスにいるあいつらにそっくり……」  はあ、と大きなため息をつく北本さんの目が、かすかに軽蔑の色を含んでいる。誰を思い出しているのだろう、メガネごしでもわかるハッキリとした侮蔑の眼差しだった。 「えっと、あいつらって?」 「私のクラスの奴らよ。いつも私のことをばかにするの。陰キャだの、ダサいだの貧弱な語彙でね」 「そうなの……?」 「そう。いつも一人で本ばかり読んで変わってるって。でも、私は人とおしゃべりするより一人で本を読むほうが好きで、彼らは友達とわいわい騒ぐ方が好きなんだから、わかりあえるはずないわよね。私も彼らもべつに悪くないわ、単に縁がなかった、ってことよ」 「縁が、なかった……」  気が合わない、とかいけ好かない、とかじゃなく「縁がなかった」というふうに表現する人を見たのは初めてだった。 「そうよ。たとえば、そうね……図書室ってたくさん本があるでしょう?」  北本さんは、座ったまま室内を見て言った。 「私は本が好きだけど、でもここにあるすべての本を読みたいと思うわけじゃないわ」 「そうなんだ」 「ええ、『手に取る気が起こらない本』、『手にとってあらすじまでは読むけれどすぐ棚に戻す本』……そういう本は多いわ。それに借りたとしても、『借りたはいいけれど読まなかった本』、『借りて途中まで読んだけど最後までは読まなかった本』もあるし」 「そっか……」 「人間関係も同じだと思うの。図書室にはたくさん本があるけど、教室にもたくさん人がいるわよね。でも、その人たち全員と仲良くなるわけじゃないし、仲良くなれるわけじゃない。私にとって、私の悪口を言ってくる彼らの存在は『手に取る気が起こらない本』のようなものなの」  その意見を聞いて、私はあっけにとられてしまう。私は普段本を読まないし頭も良いわけじゃないから、この気持ちをうまく言葉にできないけど、なんだかすごいと思った。北本さんという女の子のことを。 「あなたにとって、その喧嘩した友達はどのようなものなのかしら?」 「私は……」  奈子たちの顔を思い浮かべる。  入学式のときは優しく話しかけてくれた二人。一緒にしゃべりながら帰った楽しい時間。昼休みに私の悪口を言っていた声……。 「私にとって……奈子たちは、『借りたけど、最後まで読まなかった本』……みたいな感じかも」  気が付くと、私はそう口に出していた。  最初は気が合うと思った。実際、途中までは楽しかった。でも、それもあまり長くは続かなかった。そして、また楽しいと思えてたころに戻れると思えない。 「じゃあ私はどうなのかしら?」  北本さんが自分の顔を指してみせる。 「え、会ったばかりだけど……でも、ちょっと気になるかな」  私の返答を聞いて、くすりと北本さんは笑った。 「うれしいわ。じゃあ、図書室の本でたとえると、タイトルが気になってあらすじを読んでいる途中ってところかしら?」  言い得て妙だと感じ、私は「そうかも」と笑って頷いた。  なんでも図書室の本にたとえるあたり、やっぱり北本さんはかなり本が好きらしい。 「そういえば、落ち込んだときは図書室にいくに限るって北本さん言ってたけど、それはどうして? やっぱり北本さんは本が好きだから元気が出るとか?」 「たしかにあなたの言うことも一理あるのだけど……。そうね、一冊の本を書くのにはとても時間がかかるでしょう?」 「そうだね」  私は、北本さんが持っているハードカバーの本に視線を遣った。分厚い。きっとあの本を書き上げるのには、とほうもない時間がかかることだろう。 「あなたは、こんなに長く文章が書ける?」 「え! 絶対むり! 小説なんて書けないし、もし書いても途中で投げ出しちゃうと思う」 「ならメイクはどう?」 「え、メイク?」 「そう。あなたは、メイクを途中で投げ出すことはある?」 「ない……かな」  下地だけやったからもういいや、とかリップ塗るの面倒だしこれでおしまい、とかそういうふうに投げ出したことはない。朝、時間がないときも、朝ごはんを食べなくてもメイクだけは必ずやる。 「それはきっと、あなたがメイクが好きだからよ。私は、何十分もメイクに時間をかけるなんて無理。ベースメイクだけして、少し肌がきれいになったらもう満足してやめちゃうわ」 「そうなの?」 「ええ。人って、本当に好きなことは投げ出したりしないものよ。だから、こうやって最後まで本を書き上げられる人たちは、きっととても物語が好きな人たちだと思うの。だから、途中で投げ出さないで最後まで書けるんだわ。しかも、お話も面白いし、文章もすごく美しいものばかりなの。作家ってきっと、とてもたくさんの物語と向き合ってきた人なんじゃないかしら」  私は北本さんの話に、静かに耳を傾けていた。 「だから私、クラスで『いつも一人で本ばかり読んで、変わってる』とか馬鹿にされても、図書室に来てたくさんの本が並んでるのを見ると、『物語と向き合って生きてきた人がこれだけたくさんいるんだ』って再確認できたような気持ちになって、勇気づけられるの。私と同じように、物語を好きな人がこんなにたくさんいるって。……それに、私ほど本が好きじゃなくても、物語にのめりこんでいる間は現実を忘れられるでしょう? 落ち込んでるときの現実逃避にも打ってつけなのよ、本って」  語る彼女の横顔を見ていたら、自分でも不思議だけど、こんな気持ちが込み上げてきた。  この子のことを、もっと知りたい。  この子と、もう少し仲良くなってみたい。  そう思ったのだ。 「私、北本さんとは縁があるかもしれない」  気がつくと、そう口に出していた。 「奇遇ね。私も同じようなことを考えてたわ。私は一人で本を読むのが好きなのだけど、あなたほど喋りやすい人いままでいなかった」 「あの、明日もここに来てもいい?」 「歓迎するわよ。おすすめの本を教えてあげる」  にっこりと笑った北本さんは、読みかけのハードカバーの本を顔の横に持ち上げてみせた。 「えっと、できたらもうちょっと軽くて薄めの本だとうれしいかも……」 「ふふ、冗談よ。初心者向けのを紹介してあげるわ。そういえば、名前は何ていうの?」 「私、大倉めぐみ」 「めぐみ。よろしくね」  柔らかく微笑んだ北本さんを見て、なにかとんでもなく素敵な物語が始まる。そんな予感に、私は包まれた。
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