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9 雌雄を決す
ラーマの麒麟第2隊隊長のチャンドラと近衛兵団第2師団師団長のバラジの2人はそれぞれ、『安底羅玄武』と『羅刹黒鯨』を剣のように操り、馬上で激しく叩き合わせていた。
『安底羅玄武』と『羅刹黒鯨』がぶつかり合う度に、白くまばゆい雷光がほとばしり、地を震わせるような雷鳴が轟き渡った。
マントラの力と力が激しくぶつかっていた。
くそジジイがっ!
至近距離で戦って、斬撃波を撃たせないつもりだが。
バラジはイラついてきた。
至近距離では斬撃波が撃てないなんて、思い込みも甚だしいことを思い知らせてやるがっ!
バラジは、『羅刹黒鯨』の刃に近い部分の柄を両手で握り、さながら短剣でも握っているような構えになった。
至近距離からの斬撃波、喰らってみろっ!
バラジが短く持った『羅刹黒鯨』を小さい振り幅で数回振ると、刃から生じた斬撃波がチャンドラに襲いかかった。
「うぬっ!」
チャンドラは避ける間もなく斬撃波を胸や肩に受けてしまった。胸や肩の防具は斬撃波を受けた衝撃で砕け、チャンドラの体を切り裂いた。
振り幅が小さくて、距離が近い分、威力もそう大きくはなかった……
じゃが、何度も受けてしまうと、ちと堪えるわい……
それに、距離が近いと避ける間が無い。
一度離れるか……
チャンドラは手網を引いて馬を下がらせた。
下がらせながら、両手の手のひらを開いてマントラを唱えた。
「バキラヤソバカッ!」
バラジはチャンドラの行動を予期していたかのように、ほぼ同時にマントラを唱えた。
「バキラヤソバカッ!!」
行動が単純だがっ!
同じマントラの力が空中でぶつかり合うと、その効果を打ち消し合うように蒸発してしまった。
「前回とは逆になったがっ!」
バラジは満足気に言い放った。
「ふーっ。
同じマントラを使うことは不毛の戦いだがっ!」
「そうとは限らんぞっ!大男っ!」
チャンドラは、そう叫ぶと、『安底羅玄武』を空高く放り上げて、再び、バラジに向かってマントラを唱えた。
「バキラヤソバカッ!」
「何度でも打ち消してやるがっ!
バキラヤソバカッ!!」
バラジもマントラを唱えた。
バラジがマントラを唱えた瞬間、空中に放たれた『安底羅玄武』が、バラジに向かって真上から襲いかかって来た。
バラジは、その巨大な体つきからは想像も出来ないくらいの素早さで馬から飛び降りると、地面に身を屈めて、『安底羅玄武』をかわした。
『安底羅玄武』は馬の背とバラジの頭をかすめて地面に突き刺さった。
「そんな子供だましは、通用しないがっ!」
チャンドラが地面に突き刺さっている『安底羅玄武』の方向に右手の手のひらを向けると、『安底羅玄武』は、吸い寄せられるようにチャンドラの手元に戻ってきた。
「バキラヤソバカッ!!!
はぁ、はぁ、はぁ……」
チャンドラは体力の消耗が激しいことをものともせずに、3度目のマントラを唱えた。
すると、バラジの身体はチャンドラのマントラの力に押さえ付けられた。
「うがっ!ジジイめっ!
どこにそんな体力が残っているんだっ!
ふーっ。」
バラジは、『安底羅玄武』の攻撃をかわしたことで、気が緩んでいた。その上、短時間のうちにチャンドラがマントラを唱えるとは思ってもいなかった。
「やかましいわいっ!」
左手でマントラの力をバラジに送っていたチャンドラは、渾身の力を込めて、右手に持っていた『安底羅玄武』をバラジに向かって投げつけた。
投げた後のチャンドラは、顎が上がって、肩で息をしていた。
チャンドラの手を離れた『安底羅玄武』は、空を切り裂きながら一直線にバラジめがけて飛んだ。
「うおおおーっ!!!」
バラジは、『安底羅玄武』が迫り来る中、雄叫びを上げながら全身全霊を込めて身をよじらせた。
すると、マントラの力が弱かったせいもあって身体を動かすことが出来た。
ほぼ同時に、『安底羅玄武』がバラジに襲いかかった。
ガコッ!!
鈍い音を立てて、バラジの胸当てが砕け散った。
そして、そのまま『安底羅玄武』がバラジの胸に突き刺さったが、身をよじらせることが出来たおかげで、斜めに刺さり、致命傷には至らなかった。
「こ、このレジスタンスジジイっ!
また、俺様の胸に傷を付けたがっ!
絶対に許さんがっ!」
バラジは、『安底羅玄武』を胸から引き抜くと、チャンドラに向かって投げつけた。
「ちゃんと『安底羅玄武』をわしに戻してくれるなんて律儀な奴じゃの。」
『安底羅玄武』はチャンドラの手の中に戻ってきた。
マントラが弱かったか……
怒り心頭のバラジは、『羅刹黒鯨』を左右に大きく振り払いながら、手負いの熊のようになってチャンドラに向かって来た。
「ふーっ。
いい加減に死にさらせっ!」
『羅刹黒鯨』の刃から生じた無数の斬撃波が、群れを成して、馬上のチャンドラに襲いかかって来た。
チャンドラは、滑り落ちるように馬から降りて、その陰に屈み込むと、斬撃波をかわした。
「ジジイのくせして、すばしっこいがっ!」
バラジは、大股で歩いて大きく回り込むと、馬の陰にいるチャンドラに立て続けに斬撃波を放った。
チャンドラは、身を屈めて斬撃波をかわそうとしたが、かわし切れずに腕や太ももに突き刺さった。
チャンドラの四肢からは鮮血が吹き上がった。
「ぐっ!」
こいつは、まずい……
「バキラヤソバカッ!!」
バラジは息つく間もなくマントラを唱えた。
「ハマったがっ!」
「……ハマったな。自分の使うマントラに掛かるとは、自分が情けないわい。」
チャンドラは体中の関節が固まってしまったかのように動けなかった。
右手には『安底羅玄武』を握ったままだった。
「ふーっ。
さあ、クライマックスだがっ!潔く最期を迎えろっ!」
バラジは左手でマントラの力を送り続けたまま、右手に持った『羅刹黒鯨』を上下に2度大きく振った。
『羅刹黒鯨』の切っ先から放たれた2つの大きな斬撃波は、チャンドラの頭部に向かって、空中を伝って行った。
チャンドラは、バラジを睨みつけたまま、僅かに微笑んだ。
身体がピクリとも動かんわい。
あやつのマントラの力は強いのう。
為す術なしか……
ジョディ、あとは頼んだぞ。
チャンドラが最期の覚悟を決めた時、なぜか斬撃波が突然空中に溶け込むように消え失せてしまった。
そして、不思議なことにチャンドラの身体も圧力から解放されたように軽くなった。
なんじゃ?どうなった?
身体が動くぞ……
マントラが消えたのか?
うん?
チャンドラは、自分の身体に視線を落とすと、緑色の光に包まれていた。
……これは……
チャンドラは後ろを振り返った。
そこには、右手の人差し指と中指を立てて胸の前で印を結んだマナサが、「オンキリキリバサラバサリ」とマントラを唱え、チャンドラの身体の周りに結界を張っていた。
「すみません。勝手なことをしてしまいました。」
マナサは振り返ったチャンドラに頭を下げた。
「何を言うのじゃ。この老兵を死の淵から救い出してくれた。
マナサ、感謝するわい。」
チャンドラは緑光の結界の中で『安底羅玄武』を構えた。
「あなたはラーマの麒麟に無くてはならない人です。
ここで死ぬ運命ではありません。」
チャンドラはマナサにうなずいた。
「マナサに救われたこの命。ちっぽけな命じゃが、この国を人民の手に取り戻すために今一度貢献させてもらうわい。」
『羅刹黒鯨』を構えていたバラジは、チャンドラの後ろにいるマナサを見つけて叫んだ。
「ふーっ。
ジジイめっ!援軍が来たのか?
2人だからって、俺を倒せるとでも思っていたら、大間違いだがっ!」
「そんなにイキるな。マナサには結界を張る以外の手助けはしてもらわん。
わしとお前、マントラを使わずに槍と鉾で勝負をつけようじゃないか。
のう?」
「ふん。望むところだがっ!」
「じゃあ、勝負ぞっ!」
「ああ、勝負だがっ!」
2人のやり取りにマナサが割って入った。
「チャンドラ隊長、その傷の状態で大丈夫ですか?戦えますか?」
「……マナサよ。
命を救ってくれたことには重々痛み入るが、ここから先は手助け無用じゃ。
わしにも、くだらないプライドがあっての。
この老兵の我がまま、どうか許してくれ。」
「……はい、分かりました。」
マナサは結界を解くとチャンドラの数歩後ろに下がった。
「よぉし、仕切り直して勝負じゃ。」
チャンドラは右手に持った『安底羅玄武』を地面にドカッと突き立てた。
「ふーっ。
偉そうにお前が決めるな、死にぞこないがっ!」
バラジは、両手で『羅刹黒鯨』を頭の上に掲げると、勢いよくグルグルと回し始めた。
肩や四肢から流血しているチャンドラと胸から大量の出血をしているバラジ。
呼吸も浅く速くなっている満身創痍の2人は、雌雄を決すべく、それぞれ槍と鉾を構えて対峙した。
チャンドラとバラジは、躊躇することなく前へ進み、互いに間合いを詰めだした。
「うっしゃあ!」
バラジは、『羅刹黒鯨』を頭上に構えると、そのままチャンドラ目掛けて突き下ろした。
「ふんっ!」
チャンドラは、『羅刹黒鯨』の一撃を『安底羅玄武』の柄で受け流すと、下からバラジの腹部を突き返した。
くそっ!受けた傷のせいで思ったほど力が入らんわい……
「がっ!」
バラジは、見かけによらず機敏な身のこなしで上体を反らせると、『安底羅玄武』の切っ先をかわした。
だが、上体を反らせたせいで胸に受けた傷口から勢いよく鮮血が吹き上がった。
「くっ!おのれっ!
これをかわせるものなら、かわしてみろっ!」
バラジは、『羅刹黒鯨』を両手で握り、連続して突くような動作をして、チャンドラの身体を左右から狙った。
チャンドラは、『安底羅玄武』を身体の中央に構えて、バラジの攻撃に備えた。
どっちを突いてくる?右か左か?
バラジの動作をジッと観察していると、僅かに重心が左足の方に傾いた。
大男、右だな。右側から突いてくる気だな。
チャンドラは、バラジに悟られないように、『安底羅玄武』を身体の右側に気持ち傾けた。
「ふーっ。ふんっ!」
バラジはチャンドラの予測通りにチャンドラの右腹辺りを突いてきた。
チャンドラは、余裕をもって『羅刹黒鯨』をなぎ払った。
力が入らん分、攻撃を予測できないと、かわすのは骨が折れるな……
ジジイめっ!
ギリギリで俺の攻撃を防いでいるが、手足の傷で思うように力が入らんようだな……
力で押し通すか。
バラジは、全体重を『羅刹黒鯨』に乗せて、真っ正面からチャンドラの胸を突いてきた。
チャンドラは、『安底羅玄武』の柄の部分を使ってなぎ払おうとしたが、バラジの全体重を乗せた『羅刹黒鯨』の威力は凄まじく、数メートル後方に飛ばされてしまった。
ズザザーッ!
チャンドラは地面に叩きつけられた。
「くっ!」
やりおるな……
まだ、そんな力が残っておったか。
チャンドラはふらつきながら立ち上がった。
「まだ、起き上がるのか?死にぞこないめっ!」
バラジは、再び『羅刹黒鯨』を構えると、反射的に左右に振って、チャンドラに斬撃波を放った。
マントラを使おうが使わまいが、勝利の事実に変わりはないがっ!
斬撃波か……
喰らってしまいそうだ。
チャンドラは、『安底羅玄武』を水平に持って、斬撃波に備えた。
斬撃波はあっという間に目前に迫った。
「オンキリキリバサラバサリッ!」
その時、マナサがマントラを唱えてチャンドラに結界を張った。
バラジの放った斬撃波は、結界に触れると、チャンドラに突き刺さる目前で音もなく消滅してしまった。
「マナサ、すまんな。手出し無用だと言っていたのに、また救ってもらった。」
「私こそ、出過ぎた真似をしてしまいました。
ただ、相手がマントラを使ったので……」
「みなまで言うな。分かっておる。」
チャンドラはマナサからバラジに視線を移した。
「バラジよ。貴様がそう出るなら、わしも戦い方を変えねばなるまい。」
チャンドラは手にしていた『安底羅玄武』をバラジにめがけて投げ込んだ。
『安底羅玄武』は、バラジを大きく逸れて、斜め後ろの地面に突き刺さった。
「ふん。どこを狙っているがっ?腕に力が入らんようだな……」
バラジはチャンドラを小馬鹿にするように鼻で笑った。
「その臭い口を閉じていろっ!」
チャンドラはバラジを挑発した。
「口の減らないジジイだがっ!
ふーっ。」
バラジは顔を真っ赤にして怒りをあらわにすると、チャンドラに向かって突進してきた。
「うらーーーっ!!」
……まったく、熊のようじゃの。
バラジがチャンドラに掴みかかろうとした瞬間、チャンドラは身を屈めてバラジをかわした。
かわされたバラジは、勢い余って、チャンドラの後方へ雪崩を打つように倒れこんだ。
「ゔっ!」
バラジは断末魔のような叫び声を上げた。
「……な、何でここに槍があるんが?……」
バラジは、呟くように言った後、動かなくなった。
「お前がマントラを使ったから、わしも一度だけマントラを使って『安底羅玄 武』を移動させておいたわい。
と言っても、もう聞こえんか……」
バラジはぐったりとして、中腰のまま固まっていた。
地面に突き立っていた『安底羅玄武』の切っ先が、その巨体の腹部から背中にかけて静かに貫いていた。
「ふーっ!」
チャンドラはバラジよりも深く大きな息を吐いた。
「チャンドラ隊長、決着が付きましたね。」
マナサがチャンドラの傍らに駆け付けた。
「ああ、マナサのお陰でな。」
「一刻も早く、受けた傷を手当てしましょう。」
「なぁに。こんな傷、ほっといても治るわい。」
「ダメですよ。応急手当てをさせて下さい。」
マナサは半ば強引に手当てし始めた。
チャンドラは罰が悪そうな表情を浮かべて身をゆだねた。
その時、アシュウィンの声が響いた。
「マナサッ!」
チャンドラとマナサのところに馬に乗ったアシュウィンとジョディがやって来た。
アシュウィンとジョディの後には第2隊の騎馬隊が続いていた。
「こっちも決着が付いたようだ……」
アシュウィンは、動かなくなったバラジを目の当たりにして、戦闘の終結を悟った。
「チャンドラ隊長、怪我は大丈夫ですか?」
マナサに手当てされているチャンドラに尋ねた。
チャンドラはアシュウィンの問いかけに右手の親指を立てて答えた。
「わしよりも、ジョディは大丈夫なんか?」
チャンドラはアシュウィンの後ろにまたがっているジョディを心配した。
「はい、私は何ともありません。
隊長。隊長の怪我の具合はどうなんですか?」
ジョディは馬から軽やかに飛び降りるとチャンドラに駆け寄った。
「かすり傷じゃ。まだまだ、戦えるわい。」
チャンドラは、バラジの方に右手の手のひらを向けた。
すると、バラジの身体を貫いていた『安底羅玄武』は、その身体から抜け出て宙を飛び、チャンドラの元に戻って来た。
中腰の状態になっていたバラジの身体は、支えを失って地面に突っ伏すと、その振動で砂煙を巻き上げた。
バラジの変わり果てた姿を目の当たりにしたアシュウィンは、安堵感と虚無感が入り混じったような、何とも言えない感情が湧き上がってきた。
「チャンドラ隊長、隊員を守り切れませんでした……
4名の隊員が……」
「……そうか。アシュウィンもよくやってくれたんじゃろ?
尊い犠牲だが、彼らも覚悟の上で入隊した隊員だ。
立派な最期だったと信じておる……」
「はい。最期まで任務をしっかりと全うしました。」
騎馬隊の隊員が答えた。
「みんなもご苦労じゃった。あれだけの戦力差、よく戦ってくれた。
ついに第2師団を倒すことが出来た。
まさに隊長冥利に尽きるわい。」
「でも、本当によく勝てましたね。
マナサ隊長とアシュウィン副長の加勢がなかったら、どうなっていたことか……」
ジョディが噛み締めるようにつぶやいた。
「ああ、強引に巻き込んでしまってすまなかったが、2人には助けてもらった。
もし2人がいなければ、違った結果になっていたの。」
チャンドラは四肢を包帯でグルグル巻きにされたままマナサとアシュウィンに頭を下げた。
「でも、勝てて良かったですね。戦う前は、正直、不安でした。」
マナサはしみじみと言った。
「確かに。あれだけの人数、よく勝ったって感じだな……」
アシュウィンも、チャンドラやジョディが負傷した姿を目の当たりにして、強がったことを言えなくなった。
「マナサとアシュウィンは、これから英雄の丘に行くんか?」
チャンドラはマナサに聞いた。
「はい。戦士の墓の社に行きます。」
「『毘羯羅麒麟』を取りに行くんじゃな?」
「はい。このまま向かいます。」
「すまんな。予定を大幅に遅れさせてしまって。」
「いいえ、気にしないでください。すべきことをしただけですから。」
「そう言ってもらえると救われる。
アシュウィンが『毘羯羅麒麟』に受け入れられることを祈っておるぞ。」
「俺が正当な後継者らしいですから、安心してください。」
アシュウィンは微塵も心配していなかった。
「そうじゃな。
英雄の丘か……今は近衛兵団の支配地域になっているが、元々はバジットたちも含めてマントラの能力を持った我々一族の起源の地だからな。」
チャンドラは懐かしそうに言った。
「起源の地ですか。」
アシュウィンは、あまりピンと来ていなかった。
「ああ、そうじゃ。
じゃあ、くれぐれも気を付けて行ってくれ。」
アシュウィンとマナサは、チャンドラ以下第2隊の騎馬隊に見送られると、英雄の丘に向かって出発した。
「よっしゃっ!わしらもアデリーに戻ろうぞっ!」
アシュウィンとマナサの姿が見えなくなると、チャンドラは騎馬隊に号令をかけた。
「了解しましたっ!!」
騎馬隊は異口同音に叫んだ。
程なくして、第2隊の騎馬隊はアデリーに向けて出発した。
◇
「隊長。受けた傷、痛みますか?」
ジョディは、アデリーへ続く道を進みながら、チャンドラに訊いた。
「マナサの手当てが上手くてな。痛みが引いてきた。
ジョディの腕の傷はどんな状態だ?」
「私も大丈夫です。」
「ジョディがそんな傷を受けるとは、カビーヤとかいう兵士長もなかなかの手練れだったんじゃな。」
「はい、実力者でした。私が負けても不思議じゃありませんでした。」
「……そうか。
因縁深い相手じゃったな。」
「好敵手……って言うんですかね。」
「……ああ。」
◇
なんだ?
明るい……
日が差したのか?
朝か?
起きるか……
ん?
い、息が出来んっ!
く、苦しいっ!
あまりの苦しさに、大きく口を開いて空気を吸い込んだ。
「くはぁーっ!」
バラジは大きく目を見開いた。
俺はどうしていたんだ?
今置かれている状況を理解しようとした時、身体を真っ二つに引き裂かれそうな激痛が全身を襲った。
「ぐわっ!!
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
くそっ……
……そうか、思い出した。
あの時、チャンドラの槍に刺されて……死線をさまよっていたのか……
チャンドラはどうした?俺が死んだと思ったか……
まだ、俺は生きている?
身体を動かすことは出来んが……
バラジは、身体を動かせずに、うつ伏せになったまま、目だけを動かして周りの状況を確認しようとした。
そのバラジの視界に人影が入ってきた。
誰だが?
その人影は、時折立ち止まりながら、ゆっくりと歩いてバラジに近づいてきた。
ま、まずいが……レジスタンスか?
身体を動かせないバラジは、その人物の足元しか視界に入らなかった。
あの靴は師団の靴だが?
部下か?カビーヤか?
激痛に襲われて、朦朧とする意識の中で、バラジは必死に理解しようとしていた。
その人物は、しゃがみこんでバラジの顔を覗き込んだ。
「師団長……まだ、息があるみたい。
大丈夫ですか?生きていますか?」
「あ、あぁ。
師団の兵士か?」
「……はい。まあ、そうです。」
「名前は?」
「アンシュといいます。」
「そうか。アンシュ、すまんが俺を仰向けにしてくれ。
このままでは、上手く息が出来ん。」
「分かりました。」
アンシュは、そう言ったものの、血だまりの中に倒れている巨漢のバラジをひっくり返すのには骨が折れた。
「よいしょっと……」
剣をテコ代わりにして、何とかバラジを仰向けにした。
「……よし。
俺には手当てが必要だが、お前は衛生兵じゃないな?
衛生兵を連れて来てくれ。」
「他には誰もいませんよ。
僕の近くにいた他の兵士たちも、戦闘でやられたか、どこかに逃げて行ってしまいましたよ。」
「じゃあ、お前でいい。俺の傷口を塞いで出血を止めるんだ。」
「部下のことが心配じゃないんですか?
それに、僕、兵士を辞めようと思っているんです。」
「辞めたいなら仕方がない。それはいいが、早く血を止めてくれ。」
「だから、辞めるんですよ。僕の話、聞いています?」
「……分かった。とにかく、頼むが。
ふーっ。」
「しつこいなぁ……」
アンシュは、うんざりしたような表情をして、おもむろに腰の剣を抜いた。
「剣を抜いてどうするが。出血を止めてくれと言っているんだ。」
アンシュは、何も答えずに、抜いた剣をバラジの首筋の頸動脈の辺りに添えると、躊躇することなく一気に首を切った。
「貴様っ!」
バラジは、白目をむくと、その太い首から鮮血が流れ出した。
……
程なくして、バラジは両目を見開いたまま動かなくなった。
アンシュは、無表情のまま、しばらくバラジを見下ろしていたが、その死を確認すると、踵を返してその場から離れて行った。
だが、アンシュは、数メートル進んだところで立ち止まると、足元にあった小石を軽く蹴飛ばして、何を思ったのか、すぐにバラジの屍のところに戻ってきた。
そして、バラジの傍らに転がっていた『羅刹黒鯨』を拾い上げると、太陽にかざして、しげしげと眺めた。
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