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11 『毘羯羅麒麟』を求めて
チャンドラやジョディたちと別れたアシュウィンとマナサは、英雄の丘に向かって馬を走らせていた。
「アシュウィン、このままでは英雄の丘に着く頃には日が暮れてしまうわ。」
マナサは並んで馬を走らせているアシュウィンに言った。
「それだとまずいのかい?」
アシュウィンはマナサに振り向いて言った。
「あの一帯は近衛兵団の支配地域だから、夜に遭遇する可能性があるわ。
ここは慎重を期して、この辺りで野営しましょう。
そして、早朝に出発するようにしましょう。」
「でも、一刻も早く、あの剣をこの手にしたいなぁ。」
「その気持ちはよく分かるけど、セシルに見つかったら元も子もないでしょ?
『毘羯羅麒麟』を取り戻すことが目的。戦闘は回避。」
「そうだよね。分かった。」
アシュウィンとマナサは街道から離れた林間地で野営の準備を始めた。
「野営をする予定がなかったから、装備品がほとんど無いわね。
取りあえず、火を起こしましょう。」
「火起しは得意だ。任せてくれ。」
アシュウィンが火を起こすと、辺りはとっぷりと日が暮れていた。
2人は、日中の戦闘の疲れを癒すように、焚火の側に腰を下ろすと、パンとコーヒーで食事をとった。
「チャンドラ隊長が、別れ際に英雄の丘は俺たち一族の起源の地だと言っていたけど、起源の地って、どういうこと?
俺、親父から一族の話を聞いたことがほとんど無くて…
親父、変わり者だから。」
アシュウィンは、焚火の揺らめく炎を眺めながら、唐突にマナサに尋ねた。
「起源の地、そうね……
今まで、あまり私たちの歴史についてアシュウィンに説明していなかったものね。
……今から500年くらい前、山々に囲まれた英雄の丘に私たちの祖先が住む小さな集落があったらしいわ。」
マナサも焚火の炎を見つめながら話し出した。
赤橙色の炎の光に映し出されたマナサの表情は、より一層艶やかに映えていた。
「古より信仰心の厚かった祖先は、天上界の仏尊を崇めるためにマントラを使っていたの。
そんな時、祖先の1人アルジュナが、英雄の丘にはある種の霊力が宿っていることを知った。
そして、マントラを唱えることで、マントラの持つ言霊の力によって、その霊力を自らに取り入れることが出来ると信じるようになった。
当然、集落に住んでいる他の人々は、そんなおとぎ話のような話を信じる人は誰一人いなかった。
それでも、アルジュナは、己の信念を貫いて、長年の修行の末、ついに霊力を取り入れることに成功したらしいわ。」
「うん、うん。
アルジュナは霊力を身に付けることが出来たんだな。
その後、どうしたの?」
アシュウィンは興味深げにマナサの話に耳を傾けていた。
「それだけじゃなくて、マントラを唱えることで、身体の内面に取り入れた霊力から様々な効果を外部に発動できることを知った。」
「マントラの能力のこと?」
「そうそう。
私たちが使っているマントラの能力。」
「ちょっと待って。
そのアルジュナって人、色々な能力が使えたの?
今の俺たちは、一人に一つの能力しかないよね?」
「そうなのよね。でも、アルジュナは私たちが使うことができるマントラの能力をすべて使うことができた。
というよりも、アルジュナが発現させた能力の一部をその子孫の私たちが受け継いでいるの。
500年前に発現したアルジュナのマントラの能力が、現在まで、子から子へと綿々と受け継がれてきた。
ただし、アシュウィンも知っているように、アルジュナの能力がすべての子孫に遺伝する訳ではないの。
誰にどんな能力が遺伝したのかは、本人がマントラを唱えるまでは分からない。
遺伝する人としない人、その差は何なのか、今でも分かっていないの。」
「ふーん……俺たちの能力って、謎が多いんだな。」
「そうね。分からないことが多いわね。」
「でも、すべての能力を持っていたアルジュナは、無敵だったんだろうな。」
「そうでしょうね……
でも、アルジュナは、いたずらにマントラの能力を使うことはしなかったらしいわ。
自分たちが住む集落が外部の敵から侵攻された時だけに、その能力を駆使して戦ったらしいの。」
「なんか、正義のヒーローそのものだな。」
「友達になれそう?」
マナサは笑いながらアシュウィンに聞いた。
「どうだろう。なんか鼻に付いたりして……
……それじゃあ、マントラの武器を作ったのもアルジュナなの?」
「そうね。お目当ての『毘羯羅麒麟』はアルジュナが作った武器だと伝えられている。
ただ、武器の中には、その時代その時代の強力なマントラの能力を持った子孫が作ったものもあるの。
ちなみに、私の『真達羅朱雀』はアルジュナの孫娘に当たるマーヒが作ったといわれているわ。」
「マーヒ……そうか……
アルジュナが作った伝説の武器……早くこの手にしたい……」
アシュウィンは両手を握り締めた。
「なんかワクワクしているみたい。」
「ワクワクっていうか、とっとと『毘羯羅麒麟』を手に入れて、バシット卿のヤツを倒して、この国に平穏を取り戻さないとならないだろ?」
「そうね、そうよね。そのために尊い犠牲を払っている……
この戦い、早く終わらせなければ。」
「……それにしても、マナサの話じゃ、バシット卿たちも俺たちと同じく、アルジュナの子孫ってことだろ?」
「……うん、そう。」
マナサの表情が曇った。
「私たちの一族は、元々英雄の丘にあった集落で慎ましく暮らしていたの。中には集落を出て、他の土地で暮らし始めた者もいたけど。
片田舎にある集落に侵略者がやって来ることなんて滅多になくて、みんな穏やかに過ごしていたらしいわ。
バジット卿が近衛兵団に入団するまでは。」
「バジット卿が近衛兵団に入ったせいで、みんな穏やかに過ごせなくなった?」
「過ごせなくなったどころじゃなかったの。一族の絆が崩壊してしまった。
バジット卿は野心家なの。私たち一族の中にあって、群を抜いて支配欲が強い人間。
近衛兵団に入団するや否や、マントラの能力を駆使して、すぐに頭角を現してきた。
バジット卿の野望は、王族に代わって、この国を支配すること。
残念なことに、その野望に賛同する一族の者も出てきた。
特殊な能力を持つ我々がこの国を支配すべきだと。選ばれし人間だと。
集落に住んでいた一族は、否が応でも、今まで通りの生活を望む者とバシット卿に与する者とに二分されてしまった。」
「それで、どうなったの?」
「バシット卿は集落を捨てて出て行った。その後、バシット卿に賛同する者も一人、二人とバシット卿に続いて出て行ったわ。
そして、バジット卿が近衛兵団の実権を握るようになると、集落は度々近衛兵団の襲撃を受けるようになった。まさに、恩を仇で返されているような惨状。
このままでは一族以外の住民がいわれなき被害を受けるし、今まで通りの生活が望めなくなって、結局、反バシット派の者も集落を捨てざるを得なかった。
それでも、一族以外の住民もまた集落を離れて行って、結局、集落は消滅してしまった。」
「それで、マナサたちはレジスタンスになった……」
「私の場合はちょっと特殊なケースだけど、集落を離れた者の内、一部が反バシット反王政のレジスタンスになった……」
「なるほどな……
みんな、それぞれがそれぞの宿命を背負って戦っているんだな。」
「そうかもね……
さあ、明日は早いわよ。そろそろ、横になりましょ。
休養を取らないと……」
「だね。」
疲労困憊している2人は、焚火を挟んで横になると、ごわついて肌触りの良くない毛布に包まった。
「この毛布、肌触りが悪いな。こんなんで、熟睡できるかな?」
アシュウィンは疲れのせいで悪態をついた。
「毛布があるだけでも十分でしょ?
作戦行動中は贅沢言えないから、有難いと思って寝ないとね。」
マナサはアシュウィンを相手にしないで目を閉じた。
「あれっ?もう寝たの?つれないなぁ……」
そう言いながらも、アシュウィンもすぐに寝息を立てだした。
◇
翌朝
朝の陽ざしをまぶたに受けて、マナサは目を覚ました。
消えた焚火の向こう側に横になっているアシュウィンを見ると、アシュウィンは豪快にいびきをかいて寝入っていた。
「アシュウィン、起きて!出発の準備をしないと。」
マナサはアシュウィンの頬を数回軽く叩いた。
「う、うーん……もう少し、寝かせてくれ。」
「だーめ。」
マナサはアシュウィンの両腕を引っ張って無理やり起こした。
「何のためにここまで来たと思っているの?」
「ふぁーあっ!」
アシュウィンは両腕を伸ばして大あくびをした。
「よーし、目が覚めた。マナサ、さっさと出発だっ!」
「ったく……」
マナサは、愚痴りながらも、表情はほころんでいた。
「チャンドラ隊長たちは無事にアデリーに着いたのかな?」
「第2師団を壊滅させたから、無事に着いたと思うわ。」
「俺たちも『毘羯羅麒麟』を手にして、早くアデリーに戻ろう。」
「そうね。じゃあ、出発しましょ。」
2人は、馬にまたがり、英雄の丘に向けて馬を走らせた。
暫く馬を走らせていると、徐々に道が険しくなってきて、気が付くと、林道が山道になっていた。
眼前には青々とした山々がそびえていた。
「あの山を越えた向こう側が英雄の丘よ。」
マナサは前方の山を指さした。
「しっかし、すげーところにあるな。」
アシュウィンはマナサが指した山を見上げた。
「近くにセシルの師団がいる可能性があるから、注意を怠らないでね。」
「……そうだった。」
「……まさか、忘れていたの?」
「わ、忘れる訳がないよ。失礼な……」
「そうですかね……」
こいつ、忘れていやがったな……
マナサはアシュウィンの顔をしげしげと見つめて呆れ顔をした。
大小の山々に囲まれた、うねっている山道を、2人が慎重に馬を進めていると、しばらくして、立ち込めていた霧が晴れるように一気に視界が開けた。
開けた視界の先には、草木の生い茂った、なだらかな丘陵が広がっていた。
「ようやく着いたわね。ここが英雄の丘。
山間地にこんな草原の丘陵が広がっているなんて、なんか奇跡っぽくない?」
「ぽいね。何だか、天と地のパワーが集まっているような感じがするな。
ここでアルジュナがマントラの能力を発現させたんだな。」
アシュウィンは感慨深げに言った。
「ずっと先の方に見えているのが戦士の墓よ。」
マナサの視線の先にある戦士の墓は、雑草が生い茂っているようだった。
「その奥にあるのが社。」
2人は、戦士の墓にたどり着くと、馬から降りた。
間近で戦士の墓を見ると、墓碑や祈念碑は、倒れていたり、崩れていたりして、雑草に覆われていた。
「戦士の墓も近衛兵団の襲撃に遭って破壊されてしまったわ。
今はもう管理する人もいない……」
マナサは寂しそうに言った。
「酷いものだな。戦士も浮かばれない。」
「そうね。
ただ、戦士の墓と言っても、戦士だけが埋葬されている訳では無いの。
集落の人、みんなが埋葬されている。
……私たちもこんな状態で放置しておくのは心苦しいんだけど、一帯は近衛兵に支配されているから、なかなか管理することが出来ないのよ。
言い訳する訳じゃないけど……」
「……そうなんだ。この土地も近衛兵から解放しないとな。
ところで、アルジュナの墓はどこにあるの?」
アシュウィンは辺りを見回した。
「一番奥の社の手前にあるお墓がアルジュナの墓碑よ。」
「えっ?あれがそう?」
マナサが指した墓碑は、見落としそうなくらいに小さく、みすぼらしかった。
「アルジュナは、自分の事に頓着が無かったらしいから、自分の遺志だったみたいよ。」
「それは好感が持てるな。」
アシュウィンはマナサと一緒にアルジュナの墓前で祈りを捧げた。
「アシュウィン、それじゃ社に行きましょうか。」
「うん。社はあまり崩れ落ちていないようだね。」
「幸いにも、社は近衛兵団の襲撃を受けても、ほぼ無傷だったの。
奥まった場所にあったからかもね。」
石造りの3階建ての社は、そばで見上げると、想像以上に高くそびえていた。
数十年もの間、人の手が入っていなかったせいで、社の壁は一面苔むしていて、ツタに覆われていた。
2人は、扉が取れて無くなっている入り口から中に入ると、室内の空気はヒンヤリとしていて、かび臭さが鼻に付いた。
部屋の中央には朽ちかけている木製の祭壇があって、床には壊れたイスやテーブルの残骸が散乱していた。
「うっしゃっ!剣はどこだ?親父の奴、どこに隠したんだ?」
アシュウィンは、意気揚々として、1階の室内をきょろきょろと見まわした。
「あるとすれば、祭壇の所かしら?」
マナサは答えながら、祭壇の下の方を覗き込んだ。
「きゃっ!」
マナサは、短い叫び声を上げて、後ろに飛びのいた。
「どうしたっ?何があった?」
アシュウィンは慌ててマナサの所に駆け寄った。
「ゴメン。ネズミ……
苦手なの。」
マナサはアシュウィンに謝ると肩をすくめた。
2人で祭壇の周りや内部をくまなく探したが、『毘羯羅麒麟』は見つからなかった。
「無いな。」
「無いわね。」
2人は同時に声を上げた。
「でも、アシュウィンのお父さんも、こんな分かり易いところには置かないでしょうね。」
「確かにね。
じゃあ、2階に行く?」
「そうしましょ。」
アシュウィンが先になって2階に上がる階段に向かった。
「階段、崩れるかも知れないわ。大丈夫?」
マナサが注意した。
「え?昇る前に行ってよ。」
アシュウィンの足が止まった。
「ごめん、ごめん。」
マナサはおどけた。
2階に上がると、そこには壁一面に書棚が備え付けられていて、骨董の陶器や古書が収められていて、日に焼けた古書の独特の臭いが室内に充満していた。
ただ、書棚の多くが朽ち果て、陶器は床に落ちて砕けていた。古書もそのほとんどが、かびが生えて、シミが浮かんでいた。
ここにも無さそうだな……
2人は口に出さなかったが、同じ思いだった。
書棚の棚や書棚の裏を入念に探したが、『毘羯羅麒麟』は何処にも無かった。
「ここにも無いか……」
アシュウィンがため息をついた。
「まだ、屋根裏部屋が残っているわ。
そこにある可能性が1番高いと思うしね。」
マナサは屋根裏部屋に登るハシゴ階段を見ながら言った。
「でも、あのハシゴ、行けるかしら?」
「よし、俺が行ってみる。」
アシュウィンは、ハシゴに両手を掛けると、ハシゴの強度を確かめながら、慎重に登り始めた。
「どう?行けそう?」
マナサが下から声をかけた。
「ああ、意外としっかりしている。大丈夫だ。」
アシュウィンが上がった屋根裏部屋は、他の階とは違って明かりを取り入れる窓が小さく、薄暗かった。天井も低く、アシュウィンが手を伸ばすと、天井に手が届いた。
「どう?見つかった?」
あとから登ってきたマナサが聞いてきた。
「今のところは何も……」
アシュウィンは、うず高く積まれた黄ばんだ寝具の間や、埃の被った衣装ケースの中を探していたが、何も出てこなかった。
「本当にあるのかな……」
さすがにアシュウィンの声には落胆の色が滲んでいた。
「大師の話だから間違いはないと思うけど。」
「でも、そもそも俺の親父が大師に嘘をついていたら、ここには無いんじゃない?」
「嘘をついても大師は見抜くと思うわ。」
「くそーっ!親父の奴、どこに隠したんだよっ!」
アシュウィンが少しイラついて壁を拳で叩いた時、階下で「ガタンッ!」と音が響いた。
アシュウィンとマナサは、目を見開いて顔を見合わせた。
「今、下の方で物音がしたわよね?」
マナサが小声で訊いた。
「ああ、確かにした。なんだろう?」
アシュウィンも小声で答えた。
「近衛兵かも知れないわ。
とにかく確認しないと……」
「じゃあ、下に降りて確認しよう。」
「真下の階にいたらどうするのよ?厄介なことになるでしょ?
まず、様子をうかがいましょう。」
2人は、ハシゴの所に行って、そっと階下を覗き込んだ。
社の2階は、しんと静まり返って人の気配が無かった。
「よしっ、大丈夫だ。降りよう。」
アシュウィンは音を立てないようにハシゴを下った。
マナサも静かにハシゴを下ると、足音を立てないように1階へ続く階段の方に移動した。
「1階に誰がいる?」
1階に続く階段を数歩降りて、階下の様子を確認していたアシュウィンに訊ねた。
「いや……いないな。聞き間違いかな?」
「2人とも聞いているから、聞き間違いじゃないと思うけど。
外に出たのかしら?
それとも、犯人はさっきのネズミかしら?」
「そうかもな。」
「まさか、近衛兵が社の周りを取り囲んでいるんじゃないわよね……」
マナサは慌てて2階の窓越しに外の様子を確認した。
窓から見る眼下の光景は、マナサとアシュウィンが戦士の墓に来た時と変わらずに、他の人の姿はなく、草花がそよ風に揺れていた。
「ほっ……」
マナサは安堵のため息をついた。
「マナサ、近衛兵がいた?」
アシュウィンがマナサに駆け寄った。
「ううん。私の思い過ごしみたい……」
「そうか……良かった。」
「ん?」
外を見ていたマナサが眉間にしわを寄せた。
「何?近衛兵か?」
「違うの。あそこを見てっ!」
マナサが下の正面入り口の方を指さした。
「えっ?どこ?」
アシュウィンはマナサの隣に立つと窓から身を乗り出した。
マナサが指した方向を見ると、正面入り口横の外壁の一部が隠し扉のようになっていて、その扉が少しだけ開いていた。
「もう一つ、別の入口があるみたいだ……」
「そうなのよ。知らなかった……」
「何であんなところに扉があるんだ?」
「もしかすると、地下壕のようなものかしら。外部の敵が侵攻して来た時の避難場所。」
「なるほど、避難場所か……」
「ネズミじゃなかった……たぶん、物音を立てた人物はあの中ね。
そして、『毘羯羅麒麟』もきっとあの中。」
「じゃあ、そいつも剣を狙っているってことか?
ヤバいっ!先を越されちまう。
マナサ、早く行こう!」
「ええ。でも、慎重にね。」
2人は1階に降りると息を潜めて慎重に外に出た。
辺りに誰もいないことを確かめてから、入り口の横にある隠し扉の前に立った。
「こんなところに扉があったのね。全然知らなかった。」
マナサは扉に手を掛けながらつぶやいた。
その扉をゆっくり開けて、薄暗い中の様子を窺がうと、地下に降りる階段が続いているようだった。
そして、時折、動く明かりが階段をほのかに照らし出していた。
「この階段の先、地下室になっているみたいね、やっぱり。」
「あの動いている明かりって、まさか幽霊とかじゃないよね?」
アシュウィンは不安になってマナサの顔を見た。
「違うわよ、たぶん……
人がランプか何かを持って歩いているんだと思う。」
2人は、顔を合わせてうなずくと、剣に手を掛けたまま、階段を下りて行った。
足音を立てないようにして下まで降りると、地下室の様子を確認した。
地下室の空気は湿って淀んでいるようで、かび臭い刺激臭が鼻をついてきた。
石積みの壁がむき出しになっている、陽の光が届かない地下室だったが、壁に数個のランプが灯っていて、予想以上に明るかった。
その中で、1人の男が、こちらに背を向けて、ランプを片手にしゃがみ込んでゴソゴソと何かをしていた。
マナサとアシュウィンは、まずその男が武器を所持しているのかを確認した。
すると、その男はしっかりと腰に剣を差していた。
それを目にしたアシュウィンとマナサは静かに剣を抜くと、気配を消して、その男にゆっくりと近づいた。
そして、男の背後のすぐ近くまで来た2人は剣を構えた。
『真達羅朱雀』を構えているマナサは冷静に男の背中に声をかけた。
「ここは戦士の墓の社だと分かっているの?」
その男は、マナサの声に驚いて、ビクッと少し飛び上がった。
「誰だっ?」
振り返ると、剣を構えた男女が目に飛び込んできた。
その男は、反射的にマントラを唱えた。
「バキラヤソバカッ!」
「くっ!」
マナサは、男の念動力で『真達羅朱雀』が手から離れて行きそうになるのを、必死に握って抵抗したために、身体ごと横方向に飛ばされた。
「こいつ!
バキラヤソバカッ!!」
アシュウィンもすぐさまマントラを唱えて、その男の動きを封じた。
マナサは、素早く起き上がると、印を結んで「オンキリキリバサラバサリ」とマントラを唱えて、周りに結界を張った。
そして、アシュウィンに動きを封じられた男に素早く近づくと、男の剣を取り上げた。
「……あ、あれ?」
アシュウィンは、男の動きを封じたまま、一歩、二歩と近づいて、その顔をしげしげと観察した。
「突然女性の声が聞こえたもんだから、反射的に念動力を使ってしまった。
お前が一緒だと分からなかった……
女性に手荒なことをして、すまなかった。」
その男が自分の行為を誤魔化すように笑い声を上げると、その声が地下室中に反響した。
「ち、ちょっと、もしかして……親父?」
アシュウィンはマントラを解いた。
「アシュウィン、久しぶりだな。」
「えっ?アシュウィンのお父さん?」
マナサは、目を丸くして驚くと、アシュウィンの父親のアジットから取り上げた剣を床に落としてしまった。
「久しぶりって……突然蒸発して10年以上経つのに、最初の言葉がそれか?」
「久しぶりは久しぶりだろ?」
「母さんは、親父のせいで、苦労したまま亡くなったんだぞっ!
分かっているのか?」
「……分かっている。知っている。
身勝手に出て行ったことは、すべて俺が悪い。弁解するつもりは一切ない。
母さんとアシュウィンに苦労をかけてしまった。親として失格だ。
ただ、出て行ってからも、俺なりに母さんやアシュウィンのことを気にかけていた。
それだからこそ、俺はここに来たんだ。」
「なに訳の分からんことを言ってるんだ?どういう意味だよ?」
「まあ、それは二の次だ。
それよりもアシュウィン、お前が探している物はこれだろ?」
アジットは床板の下から一振りの剣を取り出した。
「そ、それって……」
「そうだ。『毘羯羅麒麟』だ。
もっとも、俺は鞘から抜いたこともないけどな。
抜いたこともないっていうか、俺には鞘から抜くこともできない。
とにかく、外に出よう。
ここはジメジメしてカビ臭い。」
3人は、階段を上って社の外へ出ると、ほぼ同時に深呼吸して、新鮮な空気を体一杯に取り入れた。
「アシュウィン、ほら。」
アジットは『毘羯羅麒麟』を無造作に投げて寄こした。
「おっと。」
アシュウィンが受け取った『毘羯羅麒麟』は、鞘の表面全体に、深紅の炎を纏っている麒麟が彫られていた。
漆黒の柄の部分は、赤紫の光に包まれ、妖しく輝いていた。
「柄を握ってみろ。今は赤紫色に光っているだろ?
鞘から剣を抜くことができる、真の承継者が柄を握ると、光の色が青緑色に変わるらしいぞ。
お前のじいさんが言っていた。」
「なんか緊張するなぁ。」
さすがにアシュウィンは指先が震えた。
色が変わらなかったら、どうしよう?
アシュウィンは意を決して、『毘羯羅麒麟』の柄を強く握り締めた。
3人が『毘羯羅麒麟』の柄を凝視していると、柄の発光色は赤紫のままで何も変わらなかった。
「嘘だろっ?何でだよっ!!」
アシュウィンは、力任せに『毘羯羅麒麟』を鞘から引き抜こうとしたが、ビクともせずに、抜くことが出来なかった。
「くっそっ!!」
「待て、待て。そんなに焦るな。
真の承継者が持ったとしても、そんなにすぐには『毘羯羅麒麟』は反応しないはずなんだ。
しっかり握って、『毘羯羅麒麟』が反応してくれるのをじっと待つ。
いいな?」
「あ、ああ。分かった。」
アシュウィンは、アジットに言われた通り、『毘羯羅麒麟』をしっかりと握って気を静めた。
「……で?
親父はここに剣を取りに来たのか?
10数年ぶりの親子の再会なのに何の感動もないな……」
アシュウィンはアジットの顔をじっと見つめた。
「アシュウィンの事は今まで色々と情報を得ていたからな。
俺としては、久しぶりの再会って感じがしないんだよなあ。
今、ラーマの麒麟に所属しているんだろ?」
「ああ。マナサの下で戦っている。」
マナサは、アジットと目が合って、作り笑顔をした。
「当然、『毘羯羅麒麟』を探しに来ると思ってな。
本来ならば、親から子へ、俺が直接アシュウィンに譲り渡すべきだったんだが……
若い頃の俺は、反抗的なことばかりしていたから、その剣も見つけ難いところに隠してしまっていた。
それで、アシュウィンが来る前に取り出そうと思っていたんだが……
アシュウィンたちが先に着いていて、幸か不幸か、かち合ってしまったという訳だ。」
「つくづく自分勝手だなぁ。」
「アシュウィン。」
アジットは真顔になった。
「実を言うとな、俺も今はレジスタンス活動をしている。」
「は?何?
……俺が小さい頃、散々じいさんの悪口ばかり言っていたじゃないか。
今でもはっきり覚えている。
それが何で同じことしているんだよ。レジスタンスって、我が父親ながら理解に苦しむよ。」
「アンチを憧れるっていうか……生きてりゃ、色々あるんだよ。
それ位、分かるだろ?
俺はいつまでも過去に捕らわれない。」
「自分で言うなよな。」
「アシュウィン、今、お前に言えることは、俺は今でも父親であり、同志であるということだ。」
「……すんげぇ、自分を美化するなぁ。」
そんな親子の会話にマナサが割って入った。
「アシュウィン、『毘羯羅麒麟』を見てっ!親子の会話を邪魔して悪いけど……」
「うおっ!」
「うおっ!」
アシュウィンとアジットは同時に同じ声を上げた。
アシュウィンが握っている『毘羯羅麒麟』の柄の部分が青緑色に発光していた。
「お前は俺と違って、『毘羯羅麒麟』の承継者の資格があるようだ。
お前のマントラの力が『毘羯羅麒麟』に注がれたようだな。
さあ、剣を抜け。」
アジットは嬉しそうに言った。
「ああ。」
アシュウィンは、アジットに促されて、左手に鞘を持ち、右手で柄を握って、ゆっくりと『毘羯羅麒麟』を引き抜いた。
『毘羯羅麒麟』は、先程とは打って変わって、何の抵抗もなく滑らかに鞘から抜くことが出来た。
抜いた瞬間、鞘の中からまばゆい光が溢れて、見惚れるくらいに美しい刀身が現れた。
その刀身は降り注ぐ陽の光を受けて虹色に輝いていた。
3人は我を忘れて、『毘羯羅麒麟』の刀身の輝きに心を奪われた。
「『毘羯羅麒麟』は雷を生み出す。それが能力だ。」
アジットは感慨深げに言った。
「雷?」
アシュウィンは目を輝かせた。
「ああ、そうだ。見たことはないけどな。」
「だろうな……」
「想像以上の威力らしい。」
「どうやるんだ?」
「残念ながら、知らん。お前のじいさんに聞いてみるといい。」
「そうするか。マナサは聞いたことある?」
「いいえ、聞いたことないわ。そもそも『毘羯羅麒麟』を知っている人があまりいないから。」
「そうだよな。」
アシュウィンはそう言いながら、『毘羯羅麒麟』を空高く掲げた。
すると、『毘羯羅麒麟』が段々と重くなっていくように感じた。
まるで、空中に漂う目に見えない物質でも吸収しているかのようだった。
アシュウィンは『毘羯羅麒麟』を見上げたが、外見上の変化は特になく、陽の光を受けてキラキラと虹色に輝いているだけだった。
アシュウィンはその重さを払い除けるように、『毘羯羅麒麟』を勢いよく振り下ろした。
その瞬間、空気を振動させる雷鳴が轟き、切っ先からは白光がほとばしった。
その白光は爆発的に大きく広がりながら、50メートル先の地面に直径10メートル程の大穴を空けた。
……3人は目を丸くして顔を見合わせた。
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