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3 姉妹
アシュウィンとマナサは、代々一族の長兄が受け継いできた秘剣『毘羯羅麒麟』を取り戻すべく、王都アデリーを出発して、英雄の丘にある戦士の墓を目指していた。
「もう少しで英雄の丘が見えてくると思うわ。」
馬上のマナサは、同じく馬に乗って並んで英雄の丘に向かっているアシュウィンに言った。
「おっ。いよいよだな。」
アシュウィンは、高ぶる気持ちを抑えて、道の先の方に視線を移した。
「でも、用心しないと、セシルの第4師団が駐留している可能性があるわ。」
マナサのこの言葉にアシュウィンが反応した。
「……マナサ、一つ聞いてもいいかい?」
アシュウィンは真顔で聞いた。
「ん?何?改まっちゃって。」
アシュウィンは、事実の真偽をマナサ本人から直接聞かない限り、隊長と副長の絆が強くならないような気がしていた。
「あのさ、マナサとセシルは実の姉妹だってシーラさんに聞いたんだけど、それって本当のこと?」
「えっ?
……そう。本当よ。
聞いてびっくりした?」
「そりゃあ、誰だってびっくりするよっ!」
「そうよね。衝撃の事実。」
マナサは、イタズラっぽく笑った。
「どうして、敵味方に分かれて戦っているんだ?
こんな状況、俺には理解できないよ。」
「話せば長いけど、副長となったアシュウィンには話しておくべきよね。」
「是非、聞かせてくれ。」
「……今から23年前かな。
私が2歳で、セシルが5歳の時、母親が亡くなったの。
それまでの父は私たち姉妹に優しかったのに、母が亡くなった頃から父がセシルに暴力を振るうようになったらしいわ。
小さかった私は、記憶が無いんだけど。」
◇
23年前
「おい、セシル。
テーブルの上を片付けておけって言ったろ?
まだやっていないのか?
母さんがいないんだから、片付けはセシルの仕事だ。
なんでそんなことも分からないんだ?
母さんはもう戻ってこないんだぞっ!」
そう言うと、父親はセシルの頭を叩いた。
「ごめんなさい……」
セシルは泣きながらテーブルの上を片付けだした。
「父さんに言われなくても、自分の仕事をしっかりするんだ。
お姉ちゃんなんだからな。
分かったな?
セシルがお母さんの仕事をしないといけないんだ。
いいな?」
「うん……」
セシルは、父親に理不尽な説教を受けている時、ふと足元に視線を落とすと、黒くて丸っぽい、名前も分からない甲虫がモソモソと地面を歩いて、足元に近づいて来ていた。
セシルは、無感情のまま、近づいて来るその甲虫を何の気なしに踏み潰した。
その時の靴の裏でぐしゃっと虫が潰れて死ぬ感触がセシルには忘れられなかった。
その後、セシルは成長するにつれて、猫や犬の小動物をいじめるようになっていった。
父親から自分が虐待を受けたように、自らも小動物を虐待して、無意識のうちにストレスを発散していた。
◇
セシル10歳のある日
「セシル、お前、野良猫とかいじめているだろ?
俺の母さんが見たって言っていたぞ。
そんなことして、いいと思っているのか?」
近所に住んでいるセシルと同い年の男子が広場にいたセシルに言った。
「何が悪いの?
人の言うことを聞かない野良猫が悪いのよ。
罰を受けるのが当然でしょ?
だから、私が罰を与えているのよ。」
「……なんか怖いよ、お前。
母さんがお前としゃべるなって言っていたけど。
動物をいじめたら、ダメなんだぞ。」
「いちいち、私のすることに口出ししないでくれる?」
セシルは、そう言いながら、しゃがみこんで近くに落ちていた小石を拾い上げた。
そして、表情一つ変えずに、躊躇なく男子の頭を小石で打ち付けた。
ゴスっ!
小石で男子の頭を打ち付けた瞬間、その感触が快感となって、セシルの身体中を電流のように駆け巡った。
小石で頭を打ち付けられた男子は、セシルの目の前で頭を押さえて泣きじゃくっていた。
「あんたが悪いんだからね。」
セシルは悪びれることもなく言い放った。
そして、もう一度、小石を持った手を振り上げた。
「うわぁぁぁ。」
その男子は、セシルに恐怖を感じて、泣きながら慌てて逃げ出した。
マナサはその一部始終を広場の隅で遠くから見ていた。
その男子が泣きじゃくりながら逃げ出した後、1人になったセシルに恐る恐る近づいた。
「お姉ちゃん……
友達を叩くのは、いけないことでしょ?」
マナサは思っていることを口にした。
「えっ?
ああ、マナサ。いたの?
別にいいのよ。あっちが悪いんだから。」
「でも、友達を石で叩いてもいいの?」
「いいのよ。悪い人間は罰を受けるの。当然でしょ。
それに友達でも何でもないし……
マナサも悪いことをしたら、罰を与えるからね。
妹だって、関係ないから。」
セシルは、そう言うと、手に持っていた小石を投げ捨てて、マナサを残して広場から出て行った。
マナサは、セシルの後ろ姿を見送っていると、段々とセシルが怖くなってきて、両足が震えていた。
◇
セシル12歳の時
ある日、セシルとマナサが自宅にいると、見知らぬ初老の男性が父親を訪ねてきた。
初老の男性は父親を目にすると口を開いた。
「私はバジットという者だ。初めて会うと思うが、知っているかな?」
「ええ、はい。知っています。
何のご用ですか?
私にはマントラの能力なんてありませんが……」
「それは分かっている。
今日、私が来たのは、君の娘のセシルに用件があってだ。」
「セシルにどんなご用件ですか?」
「私が千里眼で確認したところ、セシルにマントラの能力が発現したようだな。」
「セシルに……ですか?」
「知らなかったか?」
「はい、全然。」
「まあ、それはどうでもいいことだ。
今、セシルは家にいるのか?」
「はい。奥の部屋にいますけど。」
「すまんが、会わせてもらえるか?」
「……いいですけど。」
「ここへ呼んでくれるか?」
「分かりました。」
父親は、一旦、奥の部屋に消えると、セシルを連れて戻ってきた。
「バシット卿、娘のセシルです。
さあ、セシル、挨拶しなさい。
お前に話があるようだ。」
「……こんにちは。」
セシルは父親に促されて、知らない男性に渋々あいさつした。
「君がセシルか。もう少し、近くに寄っくれるか。」
「……はい。」
セシルは、伏し目がちに、嫌々バジット卿に近づいた。
バジット卿はセシルの目を覗き込むように見つめた。
「見た者を威圧するような、いい目をしている。
マントラの力を宿している目だ……」
「本当ですか?」
父親が口を挟んできた。
「ああ、確かだ。
私の目に狂いはなかった。」
「マントラって?」
セシルはぶっきらぼうに聞いた。
「セシルよ、お前にはマントラの能力がある。選ばれし者だ。
修練次第では素晴らしい能力を身に付けることが出来るぞ。」
バジット卿は満足げに答えた。
「能力?」
セシルは興味が湧いてきた。
「そうだ。普通の人間には持つことが出来ない、天賦の才だ。
どうだ?
そんな能力を手に入れたくはないか?
セシルよ。」
「どんな能力ですか?」
「それはまだ分からん。神のみぞ知るということだ。
修練して初めて、どんな能力を持っているのか分かるのだ。
ただ、どんな能力にせよ、素晴らしい能力であることには間違いない。
私と一緒に修練をしてみないか?」
「……してみたいと思うけど。」
「迷うことはない。眠っているマントラの力を呼び覚まして、選ばれし者となるのだ。」
「選ばれし者……」
セシルは高揚感で顔が紅潮してきた。
「ここから先は、セシルの父さんと話すことがある。」
バシット卿は、セシルをこの場から外すように、父親に目配せした。
「さ、セシル。
奥の部屋に戻っていなさい。」
父親は、セシルの背中を押すようにして、奥の部屋に下がらせた。
そして、バジット卿の方に向き直ると口を開いた。
「セシルを連れて行く気ですか?」
「何か問題でもあるのか?」
「突然訪ねて来て……」
「どうせ、ろくに子育ても出来ていまい?
セシルの幸せを考えれば、選択の余地はあるまい。」
「そんな一方的な……
セシルは私の大切な娘です。今まで手塩にかけて育ててきました。
娘たちは私の生き甲斐なんです。そう簡単には手放しませんよ。
……それに、ここまで育てるためにお金も沢山かかっています。」
「ふん。本音が出たな……
心配するな。支度金を用意している。お前が一生遊んで暮らせるだけな。」
「……ほ、本当ですか?」
父親は思わず顔がほころんだ。
「私が嘘をつくとでも思っているのか?」
守銭奴め。まったく底辺の人間だな、こいつは。
「いえいえ、滅相もございません。」
父親は欲にまみれた笑顔で答えた。
セシルは、そんな父親の愚にも付かない姿を奥の部屋から覗いていた。
セシルにとって父親は、もはや父親ではなかった。
お金を貰えば私は用済みってこと?……ゲス野郎……
あんな奴が親父だなんて、胸くそ悪い。
セシルは部屋の扉を勢いよく閉めた。
その日の夜
大金を手にすることになって、ひとり祝杯を挙げて深酒した父親は、寝室で大いびきをかいて寝入っていた。
父親の寝室の扉をそっと開けて、父親が熟睡していることを確認したセシルは、気配を消して寝室の中に忍び込んだ。
そして、大口を開けて、いびきをかいて寝ている父親の傍らに立つと、害獣でも見るような目つきで、その寝顔を覗き込んだ。
すると、セシルの心の中には瞬く間に嫌悪感が湧き上がってきた。
父親に対して何の未練もないことを確認したセシルは、大きく息を吸い込むと、手にしていた角材を振り上げた。
◇
翌朝、マナサは父親がなかなか起きてこなかったので、父親の寝室に様子を見に行った。
「お父さん?」
マナサはベッドの上に横たわっている父親に声をかけたが、父親は無反応だった。
嫌な予感がした……
マナサはベッドの傍に行くと父親の顔を覗き込んだ。
「あっ!」
マナサはそう言ったきり二の句が継げなかった。
ピクリとも動かない父親の前頭葉には大きくて深そうな裂傷があった。
その傷口から流れ出した血がどす黒い血のりとなって、父親の後頭部から首筋の辺りにべっとりと付いていた。
そして、シーツもまた同じ色に染っていた。
流血がほぼ乾いていて、裂傷を受けてからかなり時間が経過しているようだった。
怖くなったマナサは、父親の寝室から逃げるように飛び出ると、セシルを探した。
「お姉ちゃんっ?!どこなのっ?!
お父さんが大変っ!」
「どうしたの?血相変えて。」
キッチンの奥からセシルが現れた。
「お父さんが怪我して頭から血が出てるの。」
「死んでるの?」
「分かんないよ。
でも、動かないの。」
「じゃあ、死んじゃったのかもね。」
「ええっ?!
どうしよう?」
「どうしようか?」
「私、誰か呼んでくる。」
「呼んだって、しょうがないでしょ……」
「だって、どうするの?
私、呼んでくるもん……」
マナサは家を飛び出した。
重傷を負った父親は、マナサが助けを求めた近所の人の手によって病院に運ばれた。
そして、その付き添いのためにマナサも病院に行った。
◇
父親とマナサがいなくなった家に独りでいたセシルの元にバジット卿が再び訪ねてきた。
「セシル、父親が怪我したそうだな?」
「はい。泥棒でも入ってきたのかも知れません。」
「……そうか、泥棒か。」
「この辺、物騒なんです。」
「セシルと同い年くらいの泥棒かな?」
「え?……分かりません。」
「そうか……
このまま私と出て行っても大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。」
「妹がいるだろう?」
「死んだ母の親友のおばさんがいて、今までも色々と世話をしてくれていたんですけど、その人がいるのでマナサは大丈夫です。」
「別れのあいさつをしなくていいのか?」
「はい。仲良くないんで……」
「セシルがいいなら、すぐに出発しようか。」
「はい。」
セシルは、身の回りの物をカバンに詰め込むと、何の心残りも無く自宅を出て行った。マナサに一枚の書置きを残して。
◇
父親が入院している病院
頭に包帯をぐるぐる巻きにして、2日間昏睡状態になったままの父親が寝ているベッドの横のイスにマナサは座っていた。
マナサは、セシルにいつも暴力を振るっていた父親が嫌いだった。
ただ、それ以上に、その父親の寝込みを襲い、角材で頭を殴打して大怪我を負わせたセシルのことが許せなかった。
セシルはそれを認めた訳ではない。何者かが家に侵入して来て、父を襲ったんだと言い張っている。
しかし、マナサは、角材を手にして父親の寝室に入っていくセシルの姿を目撃していた。
マナサがあの日の夜のことを思い出していると、病室の扉が開いて、30歳位の女性が中に入ってきた。
「マナちゃん、大変だったわね。
連絡をくれたのに、すぐに来ることが出来なくて、ごめんね。」
「いいえ、大丈夫です。」
「お父さんの具合はどう?」
「全然目を覚ましません。」
「そうなの……心配ね。早く良くなるといいけど。」
「はい……」
「お父さん、誰に怪我させられたの?知ってる?」
「……分かりません。泥棒かも……」
マナサは、セシルをかばうつもりは一切無かったのに、怪我をさせたのがセシルだという言葉を飲み込んだ。
無意識の内に、そんなセシルの妹だと思われるのが嫌だった。
「泥棒?
……それで、お姉ちゃんはどうしたの?」
「バシットという人のところに行くと手紙に書いてありました。
もう、戻ってこないって。」
「えっ?バジット?
間違いない?
確かにバジットと書いてあったの?」
「はい。そう書いてありました。」
「それで、お姉ちゃんは本当に出て行ってしまったの?」
「出て行きました。」
「マナちゃんもそのバジットという男に会ったことある?何か話した?」
「私は見たことがあるだけです。」
「そのバジットという男の人、右手の甲のところに星形のあざのようなものがあった?」
「あざ?う~ん。黒っぽいものがあったかも……」
「そう……」
バジットがセシルを連れに来たということは、セシルがマントラの能力を宿しているということ……
セシルを守ることができなかった……
セシルにマントラの能力があるということは、妹のマナサもマントラの能力を宿している可能性が大きい。
せめてマナサだけでも守らなければ……
「マナちゃん、マントラって知っている?」
「マントラ?何?分かりません。」
「そっか……
お父さんやお姉ちゃんから聞いたこともない?」
「はい。知らないとダメなことですか?」
「ううん。別に知らなくてもいいの。
……マナちゃん、何があってもシーラおばさんが付いているから、何も心配しなくていいからね。」
「はい。
シーラおばさん、ありがとうございます。」
その翌日、父親はマナサに看取られて、意識を回復することなく人生の幕を閉じた。
◇
現在
馬上のアシュウィンとマナサ
「……それで、私はシーラ副官に引き取られて、ラーマの麒麟でマントラの訓練を始めたの。」
「なるほど……
セシルとは、それっきり?」
「うん。セシルが家を出て以来、敵同士になったから。
お互いに別々の道を歩んで、少しずつ憎しみを増幅させてきたっていう感じ。
なんか……闇って感じでしょ?」
言葉とは裏腹にマナサの表情は穏やかだった。
「私とセシルの関係は、もがいたり、あがいたところで変わるものでもないの。
この先どうなって行くのかは、運命に委ねるだけ。」
「運命……複雑な姉妹だね。」
「そうね……
時々、ふと思うことがあるの。
この世にたった2人の姉妹なのに、どうしてこんな関係になってしまったのかって……
どこで、運命の歯車が狂ってしまったのかって……」
「……マナサ……」
その後、2人は暫く口をつぐんだまま馬を進めた。
◇
「アシュウィン!ちょっと、止まってっ!」
マナサが突然叫んだ。
「何?どうしたの?」
アシュウィンがマナサの方を振り向いた。
「見てっ!北側の丘の向こう。」
アシュウィンはマナサが指さした方向に首をめぐらせた。
「あっ!あれ、もしかして近衛兵の師団?」
「ええ、間違いないわ。こんなところにいるなんて……」
「何をしているんだろう?」
「分からないわ。もう少し近づいて、確認しましょう。」
「そう来なくっちゃ!」
アシュウィンとマナサは、行く道を外れて、近衛兵団のいる北側の丘に向かった。
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