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1 幽霊師団を追え
ラーム王国の王都アデリーと港町ムンベイの国境付近
レジスタンス組織ラーマの麒麟第2隊の小隊20名は両側を雑木林に囲まれている一本道をムンベイに向けて進行していた。
辺りの空気は澄んでいて、朝もやの中、草木は露に濡れて朝日を反射させている。
耳を澄ませば、遠くから小鳥のさえずりも聞こえてきた。
騎馬隊列の先頭は第2隊隊長のチャンドラだった。
大型の馬にまたがったチャンドラは、そのがっしりとした身体に白髪交じりの無精ひげがよく似合っていた。
「そろそろ、目的地が見えて来るんか?」
チャンドラは、同じく馬にまたがり、並んで進んでいた副長のジョディに確認した。
「……ええ、そのはずです。
でも隊長、はやる気持ちを抑えてくださいよ。
相手に気づかれたら、元も子もないですから。」
ジョディは冷静にチャンドラを制した。
「うわっはっはっ!
いつものことながら、どっちが隊長か分からんの。
ジョティのように冷静沈着な人間が副長でいてくれるから、わしは安心して戦うことが出来るんじゃ。」
チャンドラは満足げに笑った。
「隊長を補佐することが私の役目ですから。」
ジョディは表情ひとつ変えずに言った。
「まさに静と動やな。」
チャンドラはジョディを見た。
「動と静ですよ。」
ジョディはまたも表情を変えずに言った。
「相変わらず正確やのう。
うわっはっはっ!」
チャンドラは豪快に笑い飛ばした。
「しかし、ようやく幽霊師団の正体を拝める時が来たのう。
どんな奴らなんだろうな……
楽しみじゃなぁ。」
「想像もつきませんけど、意外と普通の師団と変わりがないんじゃないでしょうか?
なーんだ……全然、幽霊じゃないじゃん。
人間じゃん。
普通じゃん!
……ってなるような気がします。」
ジョディは珍しくおどけて見せた。でも、表情は真顔のままだった。
「そ、そうかのう……」
チャンドラは反応に窮した。
「隊長。第1隊のインジゴ隊長からの情報では、向こうに見えている建物に第3師団が駐留しているはずです。」
ジョディは普段のジョディに戻っていた。
朝もやの中に大きくて古そうな建物が浮かび上がっていた。
「あれかい?馬の姿もあるの……
じゃが、あの騎馬は近衛兵の騎馬とは、ちと違わないか?
あの建物にいるのは、本当に第3師団かの……」
チャンドラは猜疑の眼つきで、道沿いに建っている建物を観察していた。
「うーん、決め手に掛けますね。
まあ、幽霊師団と噂されるだけあって、実態が分かりませんから。」
ジョディも判断がつかなかった。
「よっしゃっ!
ひとっ走り、わしが確認しに行ってくる。」
チャンドラは馬から降り立った。
「ま、待ってくださいっ!
隊長では目立ってしまって、簡単に見つかってしまいますよ。
何度も言っているじゃないですか。」
ジョディは慌ててチャンドラを制止した。
「しかし、ここら辺りで体を動かさんと、なまってしまって、しようがない。」
チャンドラは両腕をぐるぐると回した。
「そういう問題じゃありませんから。」
ジョディはあきれ顔になって馬から降りた。
「私が確認して参ります。
隊長はここを動かないで下さい。
いいですね?」
ジョディは険しい顔つきになって、子供でも諭すような言い方をした。
「わ、分かった、分かった。
分かったから、そんな怖い顔をするな。」
チャンドラはたじろいだ。
ジョディはチャンドラに釘を刺すと、前方に見える建物に向かって歩き出した。
「ジョディ、万事ぬかりなくな。」
チャンドラは愛槍『安底羅玄武』を頭上に掲げて、ジョディの無事を祈った。
チャンドラが掲げている『安底羅玄武』は、柄に蛇皮の文様があしらわれていて、刃の部分の穂は、朝の陽射しを受けて黄緑色に輝いていた。
ジョディはチャンドラの方に振り返ると軽く頭を下げた。
取り敢えず、気づかれない距離まで近づいて、様子をうかがうとするかな……
ジョディは、木の陰に身を隠しながら、目的の建物に近づいて行った。
木造の平屋の建物は、元々何かの倉庫だったらしく、大きな扉が四方にあって、壁には小さな窓が並んでいた。
その窓越しには、時折、人影が横切るのが見えた。
建物の外には騎馬が13頭繋がれていたが、建物の中に何人の人間がいるのかは、よく分からなかった。
騎馬をよく観察すると、たてがみの手入れがされておらず、口元に付けているハミの色形も近衛兵団の騎馬隊のそれとは相違していた。
隊長の言った通りだな。
……うーん。
近衛兵団ではないのか……
だとすると、建物の中にいる集団は、一体何者なんだろう?
こんな倉庫のような建物の中で何をしているんだろうか。
結果的にインジゴ隊長の情報は誤りだったのか?
建物の内部を偵察したいところだけど、これ以上近づくと気づかれますね。
どうすべきか……もう少しこのまま待機してみますか。
ただ、そろそろ隊長がしびれを切らしている頃かもしれない……
◇
ジョディの読み通り、チャンドラは待つことに飽き始めていた。
「ジョディのやつ、遅いの。
今、どんな状況じゃ?
手っ取り早く、わしが行った方がよかったんじゃないか……」
チャンドラは、その場で行ったり来たりして、じっとしていられなかった。
「隊長。もう少し辛抱して、副長の帰りを待ちましょう。」
チャンドラの側にいた隊員が進言した。
「うん?……そうだな。もう少しだけ待つとするかの。
でも、もう少しだけだぞ。」
チャンドラは、鼻息荒く、『安底羅玄武』を地面に突き立てた。
◇
建物付近でジョディが木の陰から建物の様子を窺っていると、突然、建物横の扉が勢いよく開いて、1人の男が外に出てきた。
その男は、紙巻きタバコを口にくわえて、昨日の酒がまだ残っているのか、赤ら顔のままフラフラと歩いていた。
酔い覚ましの散歩ってところかな……
よしっ、これはチャンスだ。
彼から話を聞くとしよう。
手荒なことをしたくないので、あまり騒がないことを祈ります。
ジョディは、前屈みになって、その男に気づかれないように息を殺して背後から近づくと、右腕で軽く男の頸動脈を締めながら、左手でくわえていたタバコを取り上げ、口を押えた。
男は突然の出来事に何が起きたのか理解できずに手足をバタつかせた。
「しっ!静かにしてくださいっ!
手荒な真似はしたくありません。
大人しくしてくれたら、危害は加えません。
少々、聞きたいことがあるだけです。」
ジョディは諭すようにそう告げると右腕に少し力を込めた。
そうすると、その男は、ジョディの言葉を聞き入れて観念したのか、頸動脈を締め上げられたせいなのか、手足の動きを止めて、大人しくなった。
「……ありがとうございます。
では、差し支えがありますので、こちらの方に移動しましょう。」
ジョディは、そう言いながら、他の人間に見つからないように男を茂みの方に引き連れて行った。
「誰なんだっ?俺から何を訊きたい?」
ジョディが左手を男の口から離すと、男は自分が置かれている状況の割には冷静な口調で質問してきた。
「もっと、小さな声でお願いします。
そうじゃないと、後悔しますよ。」
ジョディも負けずに冷静に言った。
ジョディの慣れた対応に抵抗することを諦めたのか、その男は「分かった……」と小声でつぶやいた。
「それは良かった。
物分りのいい方で安心しました。」
ジョディは満足げにうなずいた。
「では、早速お聞きしますが、あなたは近衛兵の方ですか?」
「なにっ?近衛兵?
本気で言っているのか?
俺が何者かも知らずに、こんなことをしているのか?」
その男は半ば呆れたような口調だった。
「ええ、まあ、そうです。
ただ、あなたが近衛兵だとは、私も思っていませんけど……
それで、あなたは何者ですか?
戦闘術を知らない素人のように装っているようですけど、違いますよね?
私があなたの首に腕を回した時、あなたは絞め落とされないように私の腕とあなたの首筋の間に指を挟んで防御している。
それに、体幹も強そうだ。
あなたを拘束している私が少しでも隙をみせたら、反撃しようとしていますよね?」
「反撃?そんなことしないよ。こうして捕まっているのに。
見ての通り、俺は二日酔いの中年だぜ。一体何ができるって言うんだ?
抵抗でもして、あんたに殺されたくない。
俺もまだまだやりたいことがあるからな。」
男はとぼけて見せた。
「そうですか……まぁいい。
私の予想では、あなたはレジスタンスの方だと思うのですが……
いかがですか?」
「……だったら、どうするんだ?」
「やはり、そうですか。
ちなみに、あなたのリーダーはどなたですか?」
「そんなことを軽々しく言える訳がないだろう。」
「でも、あなたは今、私に捕らえられて、尋問されているんですよ。
あなたも認めた通り、窮地の状況じゃないですか?」
「簡単に拉致られた俺が悪い。これ以上は何もしゃべらない。
拷問でもして口を割らしてみるか?
死ぬのは御免だが、口は堅いぞ。」
「思っていた以上に意思がお強そうですね。
……もしかすると、リーダーはあなたなんじゃないですか?」
「レジスタンスのリーダーが、二日酔いになって、1人でフラフラと外に出てくるか?
そんなリーダーいないだろう?
俺だったら、そんなリーダーの下で命を懸けて働くのは、まっぴらごめんだね。」
「それはそうですね。」
ジョディは妙に納得した。
「そう言うあんたは何者だ?あんたも同業者かな?」
「繰り返しますが、尋問しているのは私です。
……ただ、あなたたちの敵ではありません。それだけは確かです。」
「……そうか。それだけで十分だ。
ラーマの麒麟だな?」
「ご想像にお任せいたします。
最後にもう一つ、お聞きします。」
「何だ?」
「あなた方がいる建物には、あなた方が来た時に近衛兵団はいましたか?」
「いや、ただの空き倉庫だった。近衛兵はいなかった。」
「近衛兵がいた形跡はありましたか?」
「それもないな。いた形跡もなかった。
……そうか、あんたは近衛兵を追っているのか?
まあ、単独行動ではないだろうから、この近くにお仲間がいるんだろう?
こんな人気のないところで近衛兵を探していないで、アデリーの街へ行けば、近衛兵なんてウジャウジャいるだろう?」
男は皮肉っぽく言った。
「それはそうですが……
我々は、ある師団を追っているので。」
「そうか……
幽霊でも捕まえようとしているのかな?」
「さあ、どうでしょうか。
色々とありがとうございました。
荒っぽいことをしたことを謝ります。
お戻りください。私も消えます。
勘の良いあなたならお分かりだと思いますが、私のことは他言無用です。
もし、私のことを他の同志の方に喋ったりすると、取り返しがつかないことになって、一生後悔しますよ。いいですね?」
「かわいい顔して、怖いねぇ。分かっているさ。
俺だって、二日酔いで外に出てきたら、ラーマの麒麟に捕まって尋問されていたなんて、口が裂けても言えないよ。
格好悪すぎる。」
男は首をめぐらせてジョディの顔を見た。
「そのうちに、またどこかでお会いするかも知れませんね。」
「俺もそんな気がするよ。
同じ目的を持つ者同士、進む道は違ってもたどり着く所は同じ。
近いうちに嫌でも顔を合わせることになるだろうな。お互い生きていれば……
ところで、あんたの名前は何ていうんだ?」
「またお会いした時には、自己紹介させて頂きます。
今はこのままで……
お互いに生き抜いて、もう一度お会いしましょう。
では、さようなら。」
ジョディは、男を解放すると、あっという間に茂みの中に消えて行った。
「なんだか、不思議な奴だな。」
解放された男は、首元をさすりながら、そう呟くと建物の中に戻った。
男が建物の中に戻ると、12名のいかつい男たちは出発の準備を整えていた。
「おっ、みんな準備は出来ているようだな。」
「団長、どこに行っていたんですか?心配しましたよ。」
12名の中でも特に大柄な男が応じた。
「いや、なに、朝の散歩だよ。酔い覚ましの。
心配かけて、すまなかったな。」
「結構長かったですね。」
「そうか?散歩していたら、ちょっと面白いやつに出会ってしまったから。」
「えっ?なんですか?誰かいたんですか?」
「まぁな。」
「こんなところに俺たち以外に人がいたんですか?」
「ムジナがいたんだよ。ムジナが。」
「ムジナですか?人じゃなくて?」
「ああ、そうだ。
同じ穴のムジナってやつがな。
まあ、話はこれくらいにして、そろそろ出発するぞ。
いつまでもこの建物に駐留していると、近衛兵と間違えられるからな。
面倒なことになっちまう。」
◇
一方、チャンドラの所に戻ってきたジョディ。
「隊長、今戻りました。」
「おお、どうじゃった?正体は掴めたか?」
ジョディの帰りを、首を長くして待っていたチャンドラが、ジョディに駆け寄ってきた。
「はい。結論から申し上げますと、第3師団ではありませんでした。」
「ほうか、残念じゃの……そいじゃあ、何者だ?」
ジョディの偵察結果をある程度予測していたチャンドラは、若干落胆した程度だった。
「敵ではありません。
我々と志を同じくする者。レジスタンス組織の者でした。
ちょうど、あの建物に駐留していたようです。」
「近衛兵じゃなくて、レジスタンスだったのか。なんと、皮肉なことよの。
穴を掘ったら同じムジナがいたということか。
ただ、考えようによっちゃあ、わしらと目的を共有している者たちが現れていることは、ラーマの麒麟にとってプラスであってもマイナスにはならんものな。」
「はい、否が応でも反王政派の勢いは加速します。」
「結果的に情報は当らんかった……
まあ、そう簡単に幽霊は見つからんということじゃな。
千載一遇のチャンスじゃと思ったが……」
「……はい、残念です。
何せ相手は幽霊ですから、掴みどころがないのでしょうかね。
影も形もありませんでした。
レジスタンスの彼らも近衛兵を見ていないようです。」
「そうと分かれば、長居は無用。とっととアデリーに戻って、本隊と合流じゃ。」
チャンドラは『安底羅玄武』を背負うと馬にまたがった。
「そうですね。」
ジョディも馬にまたがった。
「それにしても、会えんとなると増々会いたくなったわ。」
「なんだか、恋人のようですね。」
ジョディは、チャンドラの顔を覗き込んで微笑んだ。
「ん?俺にとって幽霊は恋焦がれる恋人かい?」
「そんな風に見えちゃいますよ。」
「うあっはっはっ!
そんならそれでいいわい。
はよ、恋人に会いたいのう。
まだ見ぬわしの恋人は、一体どんな奴なんじゃろうなぁ。」
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