黒い男

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 私は衝撃を受けた。ある朝、目が覚めると、頭も、手も、足も、体全身が黒一色に染まっていたからである。頭の横にある携帯を手に取り、インターネットでこのような病気がないかと調べたが、見つからない。いったん、ベッドから起き上がり、食事をとり、仕事着に着替えた。独身で金はあるので、日本一と名高い名医がいる病院に症状を伝え、予約を押さえた。その際、なぜか病院の裏口からくるように、ということを言われた。  家を出て、病院に向かう道では、視線が自分に集まっている。仕方がない。私は少し顔を伏せた。しかし、話しかけてくる人や通報する人がいると思ったが、そんなことはなかった。  病院に到着し、指示された通りに裏口から入る。看護師と思われる白衣の女性に案内され、診察室の椅子に座った。しばらくすると医師が到着し、口を開く。 「あなたは、何の異常もありません。」 何を言っているのかがわからなかった。 「この見た目からわからないんですか!私は体が黒くなっているんです!」 衝撃から、荒い口調で言ってしまったが、医師の答えは極めて冷静なものだった。 「いえ。異常はないです。お帰りください。」 そう断言する医師には、何も言えなかった。 またも看護師に案内され、裏口から出た。気分が晴れない。落ち着こうと、少し目を閉じた。両親は既に他界し、独身。友好関係もない。相談相手がいないのだ。全身が黒くなったというのは、私の目がそう映っているだけなのかもしれない。目を開けた。とりあえず、出社しよう。  電車の乗り場についた。病院に行っている間に、かなり時間がたったようだ。 いつもの通勤ラッシュはもう過ぎて、落ち着いて電車に乗れる。久しぶりだ。私の他には、誰も乗車していない。電車の心地よい揺れで、少しだけ落ち着いた。  電車から降り、会社に向かった。オフィスにつくと、後輩から、仮面がはりついたかのような笑顔で、あいさつされた。また、この見た目のことは誰にも触れられなかった。全身が黒くなっているというのは、私の完全な思い込みだろう、と確信した。  夜、もう誰もこの見た目に言及しないのであれば、考えすぎるのも馬鹿らしいと思い、眠りについた。自分がおかしいということを、受け入れた。  翌日も、体は黒く映った。その翌日も。その翌々日も。しかし、気を楽に持ったほうがいいと、私はあまり気にしなかった。  八十二歳、老衰死。黒い男の死亡年齢と死因だ。結局、灰になるまで体は黒かったが、ひとりも指摘するものはいなかった。男の思い込みだったのだろうか。否。そうではない。確かに、体は黒くなっていた。周りは気づかないフリをしていた。 医師は、自分が治せない病気があるのを認めたくなかったため。 周囲では、一人がまず気付かないフリをする。その周りは、それに合わせる。 こうして、誰も言わなかった。
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