【レーヌ・ルーヴと密約の王冠 番外編】騎士が忠誠を知る夜

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 このひずみ(・・・)に気付いたのは、いつだったか。  一つ年下の‘妹’が、自分や他の兄姉(きょうだい)と違う毛色をしていることや、一人だけ琥珀色の瞳を持っていることは、それほど問題ではなかった。  確か、五歳の時だ。好奇心旺盛で活発な妹が馬によじ登ろうとして落ちたことがあった。普段なら我が子が落馬しようが傷は勲章だなどと笑って応急処置をする母が、血相を変えて妹に駆け寄り、顔や身体に傷ができていないか確かめ、泣くのを我慢する四歳の娘を割れ物のように大事そうに抱き上げてあやすのを見た。  当時は末の女の子だから特別なのだろうと感じていただけだったが、今なら真実が理解できる。あれは、純粋な我が子に対する愛ではなかった。主君への献身であり、敬愛であり、責務だったのだ。 「考えごとか、クイン」  目の前をビッ、と木刀が横切り、鼻の先に当たるか当たらないかのところで空を裂いた。風圧が眼に到達してまぶたを閉じる前に、クインは腰を反らせて体勢を低くし、背後で手をついて身体を支え、脚で大きく円を描くように相手の脚を払った。相手が倒れた隙に体勢を戻して腕へ打撃を与え、木刀を払い落として、起き上がろうとした相手の目の前に木刀の先を突きつけた。 「くそ」 「言葉が汚いぞ、オルフィニナ殿下」  クインは昨日までニナと呼んでいた‘妹’に向かってニヤリと笑い、木刀を下ろして手を差し出した。  オルフィニナは眉を寄せ、心底不愉快そうに琥珀色の眼を暗くした。 「その呼び方やめて」 「フン」  クインが不機嫌に鼻を鳴らすと、今度はオルフィニナがニヤリと笑ってその手を取り、身体を起こして立ち上がった。 「わかったぞ。寂しいんだな、クイン。わたしが本当の妹じゃないと知ったから」  オルフィニナは快活に笑って、一つに縛っていた髪を解いた。赤い髪が太陽の光線のように広がり、夕闇の迫るオレンジ色の空と同化した。 (――寂しい?)  そうなのだろうか。クインはオルフィニナの顔をじっと見つめ返しながら、内心で自問した。寂しさは、不思議なほどに感じない。それどころか、不可解な喜びがある。血が繋がっていなくても、オルフィニナと自分の関係は変わらないという確信があったからかもしれない。  あの日、母が落馬したオルフィニナの顔を真っ先に調べたのは、きっと将来的に王の娘として外交の材料になり得る尊顔を疵物にするようなことがあってはならないからだ。同じ理由で、他の姉たちには義務づけられていた特殊部隊(ベルンシュタイン)の訓練も、本人が望んだにもかかわらずオルフィニナだけに許されなかったに違いなかった。 「寂しいのはあんただろ。どうして平然としてるように見せる?もっと怒れよ。あんたこれから、国王の駒にされるんだぞ。身売りも同然だ」  オルフィニナはひどく気分を害したようだった。唇を結び、何か言いたげに大きく開いた琥珀色の目を向けて、そのまま背を向けて木陰に繋いだ馬の綱を解き始めた。 「おい、怒ったのかよ」 「怒ってない」 「怒ってんだろ」 「うるさい。どうでもいい」  オルフィニナはクインが馬に乗るのを待たず、ヒラリと鐙に脚を掛けて馬に飛び乗り、そのまま屋敷への山道を駆けていった。  父親に呼ばれたのは、その夜のことだ。  夕方内緒でオルフィニナと訓練していたことがバレて大目玉を食らうか、オルフィニナ殿下を怒らせたことを咎められるかのどちらかだと思っていたクインは、父親の第一声を聞いて拍子抜けした。 「オルフィニナ殿下を明日の夜宴でエスコートしろ」 「は?エス…何て?」 「エスコートだ、バカちん」  父親のルッツ・アドラーが腕を組み、白髪交じりの茶色い髭の下で苦々しく唇を歪めた。 「ニナと踊ればいいのか?」 「一曲だけな。あとは、他にダンスを申し込んできた男たちの番だ。その中に婚約者候補になり得るものがいるかもしれない」  クインは酷く不快な気分になった。そしてそれを父親の前で隠せるほどには、この少年は器用なたちではない。 「なんだそれ。国王がニナを娘に欲しがったのは、どこかの誰かに嫁として売るためかよ?今までほったらかしてたくせに、急に王家に迎えるなんておかしいと思ったんだ。親父も親父だ。実の娘と同じくらい大事だって言ってたのは、嘘かよ。まるで、家畜を育てるみたいに――」  この時、横っ面を打たれた衝撃でクインは身体を床に打ち付けた。 「口を慎め!このクソたわけが!」  訓練以外でこれほど激昂する父の姿は、初めて見た。  クインは口の中に広がる血をベッと吐き出して唇を袖で拭い、父親を睨め付けた。  自分は何も間違ったことは言っていない。都合よく側近を利用して隠し子を育てさせ、成人したから今度は非嫡出の娘として王家に迎え入れるなど、そんな勝手な話があっては堪ったものではない。オルフィニナは、クインにとっては誰より大事な家族なのだ。物心つく前から兄妹として誰よりそばにいた。それを突然奪われるなど、耐えられない。それは、実の子同然に育ててきた両親こそ、そうであるべきだ。  しかし、こちらを見つめ返す父親の目からふっと怒りが消えた瞬間、クインは悟った。  ベルンシュタインの長であるルッツ・アドラーは、国王への忠誠と、オルフィニナへの愛情の間で苦しんでいる。 「…いや。お前はそれでいい、クイン」  父が絞り出すように言った。 「常にニナのためだけを思え。ニナのために怒り、ニナのためだけに闘え。ニナのために、お前が一番に剣を抜け。お前の主君は国王陛下ではない。オルフィニナ殿下だ」  主君という言葉に、クインは素直に首を縦に振ることができなかった。無理もないことだ。十六歳の少年が、実の妹として接してきた少女を突然主君として崇めるなど、理解が追いつかなくて当然だった。  忠誠など、どういうものか知らない。  クインのベルンシュタインとしての初めての仕事は、この夜宴で行われた。  十五で成人した女公オルフィニナ・ドレクセンを披露し、議会や貴族にその存在を認知させ、王の実子であると認めさせるためのものだ。オルフィニナはこれからアドラー家を離れ、正式に王族として政務に就く。その第一段階として、この宴が設けられたのだ。  クインは、騎士の装いでこの場にいる。全身黒の正装の上に暗い色調の織物の外套を斜めに羽織った容姿端麗な少年は、地味な色合いでも周囲の目を集めていた。 (馬鹿馬鹿しい宴だ。早く終わればいい)  内心で悪態をつきながら主君を待つクインの前に、絢爛な馬車が停まった。中から現れたのは、小さな妹のニナではなかった。  金の狼の紋章が縫い取られた緋色のドレスを纏い、美しく編み上げられた赤い髪には真珠やダイアモンドの散りばめられた金細工の髪飾りが輝き、細い首を繊細な彫金の美しい真珠と琥珀の首飾りが囲んでいる。  琥珀色の目と凜とした唇は、いつもと変わらない。それでも、化粧のせいか、衣装のせいか、いつもより大人びて見えた。  侍女の代わりに介添えを務める姉のエミリアが、眉を上げてクインに目配せした。「どう?わたしの妹、可愛いでしょ」と、その目が誇っている。  普段なら姉の悪戯っぽい表情に変な顔をして返事をするものだが、この時ばかりは何もできなかった。  琥珀色の眼がクインの視線を捕らえたとき、一瞬息が止まった。 「お前は正しい、クイン」  女公殿下が珊瑚色の唇を開いて、涼やかな声を発した。 「これは身売りのようなものだ。クソみたいな気分だよ」 「…あれは、俺が言い過ぎた。悪かったよ」  クインは腕を曲げてオルフィニナが掴まってくるのを待った。そうしろと父に言われていたからだ。目の前には、ギエリ城の古びた巨大な門がある。煌々と照る篝火が石柱に彫られた狼の影をユラユラと踊らせ、城壁にその牙を巨大に映していた。  オルフィニナがクインの腕に手を添えたとき、クインはオルフィニナの肩を抱いてぽんぽんとあやすように撫でた。 「俺も一緒にいるから、大丈夫だ」  オルフィニナは小さく顎を引いた。  ダンスが始まったあと、クインは父が自分をオルフィニナの最初のダンスの相手として命じた理由がわかった。  オルフィニナと息がぴったりだからでも、年が近いからでもない。周囲の視線を観察し、敵になり得る人物に目星を付けろということだろう。オルフィニナへの注目は、痛いほどだ。普通の少女ならとっくに逃げ出している。オルフィニナほどの胆力がなければ、この視線に耐えられるはずがなかった。  疑念、羨望、敵意――これらを、オルフィニナは一身に受けている。が、オルフィニナは緊張こそしていたものの、冷静だった。 「明日にでも暗殺者を送ってきそうな人物をもう三人見つけた」  密やかにクインに告げるオルフィニナの声は、面白そうに弾んでいる。 「俺は四人だ。あと、あんたを下品な目でじろじろ見てるクソ野郎が最前列に八人」 「うぇ。気持ち悪いな。わたしはまだ十五の小娘なのに」 「関係ないさ。十五の小娘でも子を産める王族の女だ。それも、庶子のな。後ろ盾がないから好きにしていいと思われてるぞ」  クインがオルフィニナの腰を抱き上げて宙に浮かせ、ぐるりと回ると、オルフィニナは快活に笑い声を上げた。 「そういう不届きものはわたしとお前で()してやろう」  クインは失笑した。 「そんな必要はねぇよ」  汚れ仕事は、クインだけのものだ。  その後のクインは、オルフィニナがダンスの誘いを堂々たる態度で次々と受け入れるオルフィニナを見守ることに終始した。不埒な目でオルフィニナの胸や尻を凝視する遊び慣れた年頃の男たちにはさすがに手が出そうになったが、そういう手合いを牽制し、(あしら)うくらいのことは、オルフィニナにとっては難しいことではなかった。 「きれいだな。見違えた」  と、自分とそっくりな声を聞いて、一瞬、心の声が口に出ていたのかと錯覚した。隣に視線を巡らせると、兄のイェルクが立っている。まるで貴公子の出で立ちだ。世間的には王の側近の息子であるだけのイェルクが、そこらへんの貴族の男よりも派手に着飾っている理由は、クインの知るところではない。 「派手な(ナリ)して気配を消して来んなよ」  クインは肘で兄を小突いた。 「ハハ、目立ってるか」 「ああ、でもニナの方が目立ってる」  クインはニヤリと笑った。 「それならよかった。主役よりも目立っては、ベルンシュタインの名が廃る」 「いや、兄貴もじゅうぶん目立ってるぞ」 「理由があるんだよ、クイン。実は、今夜求婚したい相手がいる」  クインは目を丸くした。確かにイェルクは二十六にもなるから、そろそろ身を固めてもいい頃合いだ。しかし、そんな相手がいるとは知らなかった。 「誰だ」 「スヴァンヒルド・ゾルガ嬢」  イェルクの目が柔らかく細まって、弟を見た。ゾルガ家と言えば、国内随一の軍人の家系だ。王国の軍隊は、この一族にほぼ掌握されている。 「冗談だろ。ゾルガの令嬢が表向きには爵位もないアドラー家なんかに降嫁するはずがない」 「わたしが、婿になるんだよ。ゾルガ家に入る。既に根回しも済んだ。今日の求婚は形式的なものだ」  クインは言葉を失った。 「…じゃあ――」 「ベルンシュタインの後継はお前だ。国王陛下によく仕えろ、クイン。頼んだぞ」  イェルクが軽快に肩を叩いてその場を離れ、ちょうどダンスを終えたオルフィニナを誘いに行くのを、クインは茫然と眺めた。まだオルフィニナの周囲にはダンスの順番を待つ煌びやかな貴族の男たちと、彼女と話したい貴婦人たちが鳥の群れのように集まっている。  この数日で余りに多くのことが大きく変わりすぎた。  ベルンシュタインの次期頭領としての重圧、妹を王家に奪われた苛立ち、女公殿下の騎士として生涯を捧げる覚悟、それらが小さな嵐の渦となって、クインの腹の中に闇深い怒りを産んだ。  怒りの矛先は、オルフィニナを下品な目で見、陰でどこかに連れ込もうという下劣な計画を仲間たちと話していた貴族の男に向かった。  クインは男たちを城の外へおびき出して、三人を相手に立ち回り、散々に腹や急所を殴ったあと、動けなくなった彼らをゴミを見るような目で見下ろして、吐き捨てた。 「身の程を弁えろ、このクズどもが」  クインは血でべっとりと汚れた革の手袋を城の用水路に棄てた。  苛立ちは、収まらない。こんな感情は初めてだった。  夜宴が続いている大広間へ戻ろうとしたとき、柱廊の影から貴婦人が現れて声を掛けてきた。 「女公殿下の騎士さま」  嫋やかな身ごなしに、科を作るような声だ。十歳は年上に見えるが、肉置きがよい割に腰が細く、まっすぐに伸びた長い髪は、どことなく少女らしさを雰囲気に残していた。 「大広間に戻りたいのですけど、迷ってしまいましたの。送ってくださらないかしら」  遊び慣れた女の口説き文句だ。  こういう火遊びは経験したことがないし興味もない。が、この夜のクインは少々感情的だった。それに、この女は、赤い髪をしている。 「道ならあんたが教えてくださいよ、ご婦人」  クインは柱廊の影へ溶けるように迫っていった。 「あッ…!」  女の嬌声が耳を突く。  初めて触れた女の肉体は熱く、どろどろと湿って、クインの身体を柔らかく包んだ。 「ああ、いい!あなた、本当に初めてなの?」  クインは小さく呻きながら女の臀部を掴み、腰を押し付けて中を突いた。たくし上げたスカートの中で女の白い脚が濡れ、腿へ体液が伝っていく。 「んぁっ、ああ!」 「…うるせぇな」  クインが背後から女の口を押さえると、内部が急速に狭まった。どうやら乱暴にされるのが好きらしい。 (ちょうどいい)  相手の顔を見なくて済む。揺れて乱れる髪だけ視界に入れておけばいい。  クインは昂ぶった感情を吐き出すように腰を叩き付け、女が抑えられた口の中で悲鳴を上げて身体を痙攣させると、クインは自身を引き抜いて女の尻に自分のものを放った。  大きく開いたドレスの襟から覗く女の肩が激しく上下し、赤い髪が乱れて背に広がっている。  この時クインがひどく戸惑ったのは、それを見ただけで小さな安堵を得たからだった。この女は、オルフィニナではない。オルフィニナではない女に欲望をぶつけ、それを発散する方法があると知った。それが、安堵の理由だった。  クインが自分の中の劣情を見つけたのは、この時だ。血が繋がっていないと知った瞬間に覚えた喜びは、この薄汚れた感情を倫理的に正当化できるという、卑怯な理由に基づいたものだった。  自分がひどく下劣な生き物になったような気がした。さきほど意識を失うほど殴ってやったあの男たちと自分は、一体何が違うというのだろう。  柱廊の小部屋を出て大広間へ戻ると、相変わらずオルフィニナは大勢に囲まれていた。目が合った瞬間、不貞を働いたような、ひどい罪悪感に襲われた。おかしな話だ。オルフィニナと自分の関係は男女のものとは程遠いものであるはずなのに。 「放蕩者のお帰りだな、クイン」  オルフィニナが取り巻きの輪から抜け、クインの元へまっすぐに歩み寄った。顔は機嫌良く笑って見せているが、目の奥の怒りがクインにだけは分かる。 「嘘つき。一緒にいると言ったくせに」  オルフィニナがクインだけに聞こえるほどの小さな声で詰りながら、クインの曲げた腕につかまった。 「悪かった」  この時クインが周囲から受けた眼差しは、穏やかなものではなかった。刺すような敵意、若い男たちからは、嫉妬さえ感じる。 「女公殿下、その者に代わり、わたくしがエスコートさせていただきます。女公殿下におかれましては、ご自身に釣り合うものをお選びになるのがよろしいでしょう」  そう言って進み出た若い貴族の厚かましい申し出に、オルフィニナは冷笑して見せた。 「‘その者’とは、わたしが選んだわたしの騎士のことか?閣下」  この時、その場にいたものはみな背筋が凍るような思いがした。  存在を隠されていた王の非嫡出子として軽侮の対象であった小娘は、王家の誰よりも鋭く気高い狼の目をしていたのだ。 「よい機会だから皆にも覚えておいてほしい。オルフィニナ・ドレクセンは自分に相応しいものは自分で選ぶ。それに異を唱えるのであれば相応の覚悟をすべきだとな」  オルフィニナはクインの腕を掴み、煌びやかな大広間を後にした。腕を掴む手が、小さく震えている。  この瞬間に、クインの中で何かが決定的に変わった。――いや、明確になったという方が正しい。 (俺はニナに選ばれた)  騎士として、従者として、そして、兄として。  これが、他の誰とも違う自分の価値だ。オルフィニナが望む限り、この場所は自分のものだ。 「怒ってるのかよ」 「怒ってる」  オルフィニナが暗い庭園の石畳を踏んだとき、クインは前へ進み出て、膝をついた。オルフィニナは、今までにないクインの行動に驚いた様子で立ち尽くしている。 「どうかお赦しを。殿下」  クインがオルフィニナの手を取り、甲に口付けした。 「あんたがどこに行こうが、何をしようが、俺はずっとそばにいる。もう離れない。だからあんたは、なんでも好きにやれよ」  オルフィニナの琥珀色の瞳に光が踊った。 「言ったな。約束だぞ」  クインの手を引いて立たせ、飛び跳ねるように腕の中に飛び込んできたオルフィニナを、クインは抱き止めた。腕の中にいるのは、妹であり、永遠の女であり、生涯の主君であるオルフィニナ・ドレクセンだ。 「ではクインはわたしの騎士だ。一番にわたしのそばにいて。死ぬまでこき使うからな」  胸が苦しく締め付けられ、内側からどろりと何かが溢れた気がした。この感情が、どういう類のものであったかは、まだ十六の少年であるクインには根底から理解することはできない。  愛、欲、憐憫、優越感、そして、忠誠――これこそ忠誠だ。誰よりもそばにいろという主君の初めての命令が、人生で最大の誇りになった。  まるで生まれる前からそう定められていたかのように、運命がふたりを在るべき場所に導き、在るべき関係性に収めたのだ。  あれから、十年が過ぎた。 「わたしの夫が嫌いか?クイン」  オルフィニナが暖炉脇のソファに背を預け、葡萄を一粒口に放り込んだ。 「いつでも殺してやりたい程度にはな。だがもうあんたの選択に口を出す気はない」  クインは向かいのソファに気怠げに座り、脚をサイドテーブルに乗せて低く答えた。 「あれはあれでいい男なんだよ」 「顔がだろ」 「ふふ。顔はお前も負けていない。城の女中たちにきゃあきゃあ言われているの、知ってるか」 「知ってる」 「罪な男だな。いい人ができたら教えるんだぞ、クイン。逢瀬のための休みぐらいは取らせるから」  クインは鼻で笑った。いつからか、こんな風に言われても心に波風が立たなくなった。 「ああ、でも――」  オルフィニナはソファの肘掛けに頬杖をつき、クインに悪戯っぽく笑いかけた。 「そうなったらわたしだけの騎士ではなくなってしまうからな。少しばかり嫉妬してしまうかもしれない」 「あんた――」  クインは渋面を作った。 「そういうところだぞ!何が罪な男だ」  クインはムスッとして琥珀色の強い蒸留酒を喉へ流し込んだ。たちの悪い主君だ。 「なんだ、怒ったのか」 「怒ってる」 「どうして」 「うるせぇ」 「…まあ、いいさ」  オルフィニナは依然として納得いかない様子で、もう一粒葡萄を口に入れた。 「お前はわたしが一番大事だからな。腹を立てても結局許してしまうんだ」 「フン」  クインは喉に焼け付くような酒をもう一口飲み、勝ち誇ったように笑うオルフィニナの顔を見た。  そうだ、ニナ。あんたはそうやって笑っていればいい。  そして願わくは、永遠の眠りに就くとき、最後に見るものであってほしい。
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