0人が本棚に入れています
本棚に追加
3.
今日はタクヤが水筒を忘れて、「ひとりじゃやだ」っていうから一緒に冷水機を使ったのだ。だから僕は、水筒の中身を飲むタイミングを失っていた。
今、口にして、ようやく気づいた。
水筒に、なんか変な匂いがするお茶が入ってるってことに。
たぶん、母さんがお仕事の時に持って行くマイボトルに入れようとしていたお茶のはず。
ってことは? 母さんは今ごろ麦茶を飲んでいるってことかな。
「どうかしたの?」
体がビクンと跳ねた。月見里さんが不思議そうに僕を見ていた。
なぜだか恥ずかしくなって、のどが勝手に口の中のお茶を体の中へ押し込んだ。
あまりに急のことだったから、お茶は食道だけに流れず、気管にも入り込んで、だから僕はゲホゲホとむせた。
「ご、ごめんなさい」
月見里さんが慌てて謝る。
とりあえずって感じじゃない。本当に、謝ってる。
怯えた顔を見ながら僕は、この子、優しい子なんだなぁって思った。
「あれ、何だかふんわり……湿布、じゃないな、なんか不思議な匂いがする」
「あ、なんか、母さんが入れる飲み物間違えたみたいで」
「そうなんだ」
月見里さんの靴入れはいちばん下らしい。しゃがんで靴を入れ替える。落ちた視線は、僕のランドセルを見ていた。
「あ、プリンスアンドホースもピンクリボンだ」
「プリンスアンドホース?」
「王子とウマ」
なかなか難しいことを知っている転校生だ。やっぱりこの子、気になる。
「も、ってことは、月見里さんも大山公園の方なんだね」
「そうそう。ヤマナシのくせに、ヤマノウエに住んでるの。笑えるでしょ?」
そうはいっても、山が無いと書くわけではなく、月を見る里なわけで。別に笑いたいだなんて思わない。
「月見里さん。途中まで、その……一緒に帰る?」
入学してすぐは先生が途中まで送ってくれたけれど、ゴールデンウィークが開けた頃には勝手に帰るようになっていた。大山公園の方に住んでいる人は少ない。数少ない大山公園仲間は学童にいったりするから、僕はいつもひとりだった。
カッコつけたことを言うなら、女の子をひとりで帰せないから。でも、本当は、誰かと一緒に帰ってみたかった。そんな欲は、僕の中で叶わない夢としてずっと心の中で泣いていて、今、叶う夢へと成長しようとしている。
想いに水をあげた。
育て、芽を出せ、花咲け――。
「あ、えっと……信号のとこまでママが迎えに来てくれるって言ってたから」
「じゃ、じゃあ信号まで」
「信号までっていうか、バイバイするところまで、一緒に帰ろ」
月見里さんのお母さんは、信号を渡った先で待っていた。僕はお母さんの姿を見て、心の中で舌打ちをした。
この信号が、僕らがバイバイするところだって気づいてしまったからだ。
「昨日、一緒に帰ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「ママがすっごく喜んでたの。もうお友だちできたの? ってさ。ママ、途中で転校だなんて、ってさ、すっごく心配してて。だから、ひとりじゃなかったのが嬉しかったみたい」
「そっか。よかった」
僕らの話を邪魔するように、エーデルワイスが鳴り出した。
一日の始まりの合図だ。
最初のコメントを投稿しよう!