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5.
「月って、観覧車みたいだよね。だって、地球の周りをぐるぐる回ってさ、ずーっと宇宙を見てるんでしょ?」
そう言って笑ったツキの前歯はなかった。なんでも、昨日ポロッと取れたらしい。知的な印象があるツキだけれど、前歯がないとちょっと間抜けに見える。
「じゃあ、地球も観覧車だな」
「ん?」
「だって、地球って太陽の周りをぐるぐる回ってるんでしょ?」
「あ、そっか」
クラスのみんなとは、こんなに楽しく宇宙を舞台にした観覧車の話をできるとは思えない。この話は、ツキとだから膨らんでいる。そんな気がする。
「じゃあ、今踏んで歩いてるこの大地は、おっきなおっきなゴンドラだ! 揺れろー、揺れろー」
「ツキ、地震来そうだからやめて」
「へへへ。そうだ、テンくんは、エーデルワイスがどこの国の歌か知ってる?」
「あはは、急だね」
スピーカーから流れてきた時、聴いたことがある曲だとは思ったけれど、それが『エーデルワイス』だと認識したのは音楽の授業の時だった。その時、先生がいろいろ教えてくれたけれど、よく覚えてない。
「オーストリアだよ」
オーストリア? オーストラリアならすぐに分かるんだけどな。
「ツキは物知りだな」
「へへへ。すごいでしょ」
鼻の下をゴシゴシこする。ガキくさくて可愛い。まあ、ガキくさいもなにも、僕らはまだ、ガキだけど。
「オーストリアはね、イタリアの近く」
「イタリア、は何となく分かる、けど」
「そのイタリアのヴェネツィアって街はね、運河が通ってて」
「ん? ヴェネ……運河?」
「運河をゴンドラっていう手漕ぎのボートでお散歩できるんだって」
「ふーん」
「大人になってさ、親なしで旅行とか行ける歳になったらさ、一緒にゴンドラに乗りに行かない? 地球っていうゴンドラを、ゴンドラっていうボートでお散歩するの」
親なしで旅行なんて、国内ならまだしも海外となると、どう考えても10年、いや、それ以上先のことだろう。
その間に、クラスが変わったり、中学生になったり、高校生になったりする。もしかしたら、ツキがまた転校してしまうかもしれないし、僕がどこかに引っ越してしまうかもしれない。そうして、ツキとの関係は、たぶんどんどん希薄になっていく。
思い出はどんどん塗り重ねられて、時に大事な記憶すら上書き消去しなければならなくなる。
ツキが、頭の隅っこにちょこっと残ってるだけの存在になってしまう可能性は、大いにある。
僕だけじゃない。ツキが僕を忘れてしまう可能性だってあるのだ。
簡単に、約束していいものだろうか。
「その頃には約束したことを忘れちゃいそうだから、約束できないかな」
バカ正直に、断った。
「じゃあ、ツキがリマインダー? になってあげる」
「ハハハ」
「ツキがテンくんをもう1回お誘いするからさ、その時、もしよかったら」
「うん。その時は、行くよ」
「やった!」
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