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「……虹輝」
表情と同じくらい甘い声で名前を呼ばれびくりと震える。伸びてきた指先が虹輝の目元にかかった前髪を払い、そろりと頬を撫でた。
そのまま固まった虹輝の肩にぽすんと額を載せてくる。
まるで甘えた子供のようだ。
「っ……」
あまりに近い距離に思考がショートした虹輝の首筋をミルクティー色の髪が擽る。
「はー……やっぱり虹輝が好きだなぁ」
溜め息をつくように熱い吐息と共に吐かれた言葉はまるで毒のようだ。
虹輝から考えることと身体の自由を奪っていく。
「っ……」
固まったままの虹輝に慈雨がふと笑った気がした。慈雨が高い鼻梁を首筋に擦り寄せながらそろりと顔を上げる。そうして至近距離で虹輝の顔を覗き込んだ。
「虹輝のそばは息がしやすい」
蕩けるような、見たこともないような甘く柔らかな表情。
虹輝の経験値ではどうしたって勝てるわけもない。
至近距離の綺麗な顔がぼやける。
それ以上近づけば触れてしまうと、まるで他人事のように考えた時だった。
控え目なノックの音。
「……はい」
「慈雨さん、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとうございます」
慈雨が何事もなかったかのように虹輝から離れ立ち上がるとドアを開く。
虹輝はぎくしゃくと立ち上がった。
「虹輝?」
「えっと、その、お手洗いに」
まるで自分じゃないように自分の声が遠くで聞こえる。
「それでしたら私がご案内いたします」
優しい微笑みを浮かべる家政婦について慈雨と目を合わさないように部屋を出る。
「こちらになります」
「ありがとうございます」
さっきの廊下とは別の、奥の位置にあるトイレへと入って鍵をかける。
「っ……な、にっ……いまのっ……」
トイレではあるが崩れるように屈み込む。
全身から火が出ているように熱い。顔を覆うように触れた掌が驚くほど熱い。
「なに、あれ、……あんなのっ……」
深い意味などないのだ。
そう思うもあれではまるで……
虹輝はオーバーキャパシティーでごつんとトイレの壁に額をぶつけ脱力した。
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