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「っ……慈雨!」
思いきり振りかぶってしまった右手がガッと慈雨の顔に入った。
「ッ…!」
「っ……ごめ、大丈夫か!?」
咄嗟に手が出たことによろめいた慈雨の顔を慌てて覗き込んだ。虹輝のこぶしが当たった唇が切れたらしく、血が滲んでいる。
「……ほんと、虹輝ってそういうとこ」
慈雨は切れた唇に指をやって、それから呆れたように笑った。困ったような傷ついたような、だが、昏い目で虹輝を見つめる。
「ねぇ、今また俺をコントロールしようとしたの、気づいてる?」
「っ……」
「俺が名前を呼ばれること喜ぶって知ってるもんね。そう呼んだらやめると思った?……やめるわけないだろ」
急にトーンの変わる声で怒っていることが伺える。今更ながらにいつもは杏奈や家族の手前、自制して荒いところを極力出さないようにしていることを思い出した。いつもの人当たりのいい温厚な性格も慈雨だが、赦せないことには容赦がないことも知っている。
「俺の『好き』はこういう『好き』だ」
「慈雨、話を聞……っん」
「人の話は聞かないくせ自分の言い訳だけ聞いて貰おうなんて思うなよ」
噛みつかれるように唇を奪われ、低く呟かれた言葉に身体が竦む。
また唇を重ねられ血の味のするキスに、自分がつけた傷だと思えば怯む。
慈雨が嗤った気がした。おそらく慈雨は虹輝が抵抗できない理由に気づいたのだろう。ぐっと顎を掴まれ、上を向かされキスを深くされたところで一向に虹輝の話を聞く気はないのだと分かった。
それに無性に腹が立つ。
「ッ痛!」
入り込んできた舌を思い切り噛んで、虹輝は慈雨の身体を押し返した。
慈雨は口元を抑えて虹輝を睨む。
「……俺がお前を傷つけたことで抵抗できないと思った? そんなわけないだろ」
先ほどの慈雨の言葉を真似するように言い返す。
「……俺もお前の話をちゃんと聞かなかったのは悪いけど、こんなことするなんて最低だ」
きっぱりした虹輝の言葉に慈雨は一瞬傷ついたような顔をした。戦意を喪失したような慈雨に虹輝はできるだけ落ち着いた声でその名を呼ぶ。
「……慈雨、俺の話を聞いて」
コントロールしようとしたわけではない。ただ、真剣に話したくて心からの哀願だった。
だが、虹輝の手首を掴んでいた慈雨の手がぱたりと落ちる。
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