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「……もういい」
「慈雨?」
「もういいよ、虹輝。ごめんね、俺の想いばっかり押し付けて」
「っ……慈雨、」
完璧王子の張り付けたような綺麗な笑顔。
何の感情も映さないようなよそ行きの笑顔は完璧なのに、次の瞬間不思議な色の瞳から零れる涙に虹輝は息を呑んだ。
虹輝の好きな綺麗な瞳にたまった涙は表面張力に抗うように流れ落ちる。今もなお作られた笑みには似つかわしくなく。
慈雨も自分が泣くとは思っていなかったのか、自嘲気味な顔をして手の甲で乱暴に涙を拭った。
早く誤解を解いて自分の気持ちを慈雨に伝えなければと焦り、縋るように腕を掴む。
「慈雨、俺はっ……」
「もういいから!」
慈雨がパンッと音を立てて虹輝の腕を払った時だった。はしゃぐような人の声が聞こえて大学生くらいの男女の姿が見えた。
「え、何、喧嘩?」
ちょうど腕を振り払うところを見たのか、女性の方が驚いたように声を上げる。
虹輝はびくりと身体を固くした。
「っ……ごめんね、虹輝、ばいばい」
「慈雨!」
慈雨は突然現れた来訪者に背を向けたままそう言って虹輝の横をすり抜けた。
慌てて名前を呼ぶも、ずきりと足が痛んで欄干に手をつく。
「っ……なんで」
どうしてこうなった。じんじんと痛む足の指に虹輝は項垂れる。
大学生くらいの男女は気まずく思ったのかすみませーんと言って登ってきた階段を戻っていった。
「なんでこんなことにっ……」
虹輝は茫然自失と呟く。
唐突に告白されて本気なわけがないと責め立て、訳も分からず唇を奪われ、自分の気持ちさえ伝えられずにそのままジ・エンド。
どんな喜劇だ、笑える。
虹輝は這い上がるような震えに思わず両腕を抱きしめた。
触れた唇は余韻をもって熱い。血の味がまだ口内に残っていて、奇しくもそれがこれは現実だと教えてくれる。
「痛い……」
貼った足の絆創膏に血が滲む。
その足元を見つめていればぱたりと何かが落ちた。
「あ、れ……」
なんだろうと思っていればもう一つ。ぱたぱたと落ちていくそれは生暖かく虹輝の足の甲を濡らしていく。
視界が歪んで、ようやくそれが何かを悟った。
「なんで、俺……」
顔を上げれば頬を伝うのは涙。唇の端から感じるそれは血の味を上書きするように塩辛い。
「う、うぅっ……」
虹輝は嗚咽を漏らしてその場に蹲った。
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