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その名を聞いてスタジオの司会者二人は顔を見合わせ、観客達も隣同士顔を合わせて疑問符を浮かべる。『愛子』なんて名前はこのスタジオに居ないのだ。それに市倉と一緒に居る女の名前は『千恵』だ。左胸に差してある手書きのネームプレートにそう書かれてある。
小さなざわめきの中、唯一、一人だけ唇を震わせ市倉を見る女がいた。
「ど、どうして、私の本名を知っているの……」
震える手で千恵――愛子は口元を覆い隠した。
市倉はただ愛子の肩に触れたまま彼女を見下ろして未動作しなかった。
愛子は『スピリチュアルな世界へ』という特番へ応募した。この番組は様々なスピリチュアル・カウンセラーを呼んで霊視を使い観客の中からランダムに選び、彼らの心に抱えた悩みの相談を受け、解決へ導くという番組だ。
若い頃、男に騙された上、その男に貢いでいた彼女は今では良き伴侶と出会い、今では過去が嘘のようにお金に困らない安定した生活を送っていた。しかし彼女の中にずっと過去の罪が重くのしかかっている。フトした瞬間に、自分を育ててくれた祖父の物を盗み質屋に入れた記憶が蘇るのだ。
ここ数日不幸な事ばかり起きた。まずは旦那が運転中、後ろからおかまを掘られた。たいして大きな事故ではなかったものの、愛子の旦那は首を痛めた。
車に乗ると痛みが増し、不思議と車から降りると痛みが嘘のように引く。この症状のせいで営業の仕事に支障をきたしている。
それからもう一つの不幸は、五歳の息子が原因不明の熱に魘されている事だ。病院で診てもらっても原因が分からず、解熱剤しか処方されない。
こういった不幸なことが起きて、その根源は私ではないかと愛子は悩んだ。彼女の祖父は愛子が盗む姿を目撃して、家を飛び出した彼女を追いかけようとしたが、心筋梗塞を起こしてしまう。回覧板を届けに祖父の隣に住んでいた友人がインターフォンを鳴らしても出てこない事を不思議に思って家に上がると、彼は畳の上で絶滅していた。発見が遅かったせいで愛子の祖父は帰らぬ人となった。自分が盗まずにいれば祖父はもう少し長生きし出来た筈なのに……。
この罪が、自分ではなく愛子の大切な人へ影響を及ぼしているのではないかと彼女は考えた。ちょうどその時『スピリチュアルな世界へ』が霊視されたい人を募集している事を知りテレビ局に葉書を送り見事に当選。しかし、彼女は本名を知られたくないとスタッフに申して、偽名の『千恵』のネームプレートを作ってもらい胸につけていた。
「どうして私の本名を……」
震える声でもう一度市倉に問う。
「愛子や」
皺がれた声――この声、聞いた事がある。
「お、じぃちゃん──?」
観客たちが小さな悲鳴をあげ、司会者二人は声も出さず市倉と愛子に釘付けとなっていた。もはや司会者二人は仕事を忘れ、観客の一部と化していた。
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