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夢を見た。
懐かしいあの場所で、俺はいつも笑っていた。
俺の隣には、仲の良かったアイツ。
ああ、幸せだった。
眩しい朝日に、目が覚める。時計を見れば、目覚ましをかけた時間とそう変わらなかった。
ああ、今日も大学だ。
毎日毎日、長い電車通学を超えた先には山のような講義と課題。特に行きたくもなかった大学の、特に興味もなかった学部。じゃあなぜそこに進路を決めたのかと聞かれれば、「行けたから」。
よくテレビのクイズ番組とかで高々と名前が挙げられる大学を、両親と担任の先生の強い勧めで受験した。でも俺の本命は、そんな番組では到底名前の挙がらない芸術大学の音楽学部。小学校の頃から続けていたピアノを、自分の進む道にしたかった。
でも、現実は非情で。俺は芸術大学の受験で落ちて、両親たちの勧める大学には受かってしまった。
そして四月から、たいして興味もない学問についてひたすら学ばされている。
ああ、行きたくない。
そう思いながらも、気づけば体はいつもの時間に家を出ている。
駅までは徒歩で十五分ほど。住宅街が続く通学路は、まだ朝早いこともあって結構静かだ。
家を出てまっすぐ歩いて、しばらくしたら十字路を左に曲がる。そしてそのまま行けば最寄りの駅に着く。
その唯一曲がる十字路にたどり着いた時、道路の向かいに人気のない公園があった。
そういやここで、いつも遊んでたっけ。
小学生の頃からずっと、この公園の桜の木の下がいつも遊び場だった。そしてそこは、いつからか俺と、幼馴染のアイツの秘密基地になっていた。
「……行ってみるか」
覗くだけ。少し覗くだけなら、大学には間に合う。
左に曲がるべき道を、反対方向を向いて渡るべきでない道路を渡る。
公園の中に入ると、さっきまで静かだったのが嘘のように、頭の中にさまざまな声が聞こえてきた。
「名前は? オレはだいすけ!」
「……けんじ」
「や、やめなよ。危ないよ!」
「だいじょーぶだって! この桜の木、登れたヤツ誰もいないんだぜ? オレが1番に登ってやる!」
「けんじ、今日からここがオレたちの秘密基地な!」
秘密基地。この場所を最初にそう呼んだのは、アイツだった。
あれから、毎日のようにこの秘密基地に集まって遊んだ。大輔とは家が近くて高校まで同じ学校に通ってたから、高校を卒業するまで俺たちの遊び場はこの桜の木の下だった。気恥ずかしくて、中学に上がる頃にはもう秘密基地なんて呼ばなくなっていたけど。
だから、今ではここは秘密基地じゃない、「名前のない大切な場所」だ。
「さすがに、もう桜は散ってるか」
大輔と出会ったあの日はまだ桜が咲きほこっていた4月の上旬だったけれど、今は5月の中旬。桜はとっくに散りきって、青々とした葉ばかりになっている。
この桜が咲いていても、葉ばかりになっても、歯が枯れ始めても、葉も全部落ちた寒々しい姿になっても。俺たちはここに集まった。
大学で初めて進路が別れてからは、一度もここには来なかったし、アイツにも会わなかったけど。
「……今日は俺一人なんだ。ごめんな」
何となく、独り言をつぶやく。誰に言ってるのかと問われれば、強いて言うなら桜の木だ。60度ほどまで昇ってきた太陽の日差しがつくった木陰に入って、桜の木を見上げる。俺たちがどれだけ大きくなって、この場所を「秘密基地」と呼ぶことがなくなっても、この桜の木だけは何も変わらずに堂々と立っている。
ここで遊んだあの日みたいに、笑うことも楽しむことも俺はもうできやしないのに。
「一人じゃねぇぞ」
後ろから、声がした。
振り向けば、見慣れない金髪頭の下に見慣れた整った顔立ちが見える。
「だい、すけ?」
「よお、賢二! やっと来たな!」
駆け寄る姿と豪快な笑顔は、昔から変わらない。あの日、俺に声をかけてくれたのと同じ笑顔だ。
「びっくりした……染めたんだな」
「ん? ああ。気分転換! おかしいか?」
「いや、ぽいなって」
染めた割にセットはしていないらしく、風で無造作にかき乱された髪を大輔は整えることもしない。
「つーか遅せぇよ。一ヶ月半も待たせやがって」
「待たせた……?」
「約束しただろ! 卒業式の日!」
卒業式の日。あの日、俺は大学に楽しみが見いだせなくて、卒業したくないなんて卒業証書を片手にここで叫んでいた。
そしたら、大輔が『卒業してからもここで遊ぼうぜ』と言ってくれた。
あの時はその場限りの約束だと思っていたけれど、大輔はあれからもここに来て俺を待っていてくれたらしい。
「そ、それは……ごめん」
「まあいいけど! にしても、珍しいな。優等生のお前が大学サボりか?」
「えっ!?」
慌ててスマホの時計を確認すると、とっくに乗る予定だった電車の時間は過ぎていて、講義開始の時間が目前に迫っていた。
「うわ、どうしよ……」
「サボっちゃえば? お前のことだから、毎回ちゃんと出席して課題もちゃんと出してるんだろ?」
「そりゃ、大輔よりは真面目なつもりだけど……」
大輔は昔から、授業はサボるわ課題は出さないわで先生にいつも怒られていた。そのたびに俺が大輔の課題を見たり、テスト前に勉強を教えたりしてどうにか危機を凌いできたのだ。
「一回くらいの休みならそこまで成績には関わんねぇよ。じゃなきゃ風邪ひいたら全員一発アウトになっちまう」
「そうだけどさ……」
「たまには息抜きして、いっぱい笑えよ」
大輔は俺の隣に並んだかと思うと、むにっと俺の頬を横に引っ張ってから上に持ち上げた。
「いひゃいいひゃい!」
「はは、ぶっさいく!」
「おみゃえのしぇいだろ! はにゃせよ!」
「おもしれぇ顔してたぜ、今までで一番!」
大輔がスマホを取りだして、内カメにしてから俺の方に向ける。そこに写った俺の顔は、頬を少し赤くしながら、ぶさいくに笑っていた。
「たまには、楽しいことしようぜ!」
「……うん」
そして俺たちは、昔と同じように木に登ったり、駆け回って遊んだ。
そして、明日も会おうと約束をした。
もう秘密基地とは呼ばなくなった。名前のない、大切なこの場所で。
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