お誕生日クーポン

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 大学の委員会活動を終えると、外が暗くなり始めているのに気がついた。出席者が2人しか居ない日に倉庫整理をするのは、やはり骨が折れる。 「ふはー。やっと終わった。これはお家帰ったら動けんやつですわ~」  私が久し振りに腰を下ろして一息ついていると、後輩くんが戻ってきた。 「倉庫の施錠オッケーです。鍵も戻しといたんで」 「ありがとう。あー疲れた疲れた」 「お疲れ様です」  手の先から足先まで身体を真っ直ぐにして伸びをする私に、後輩くんが労いの言葉をかけてくれた。  その真っ直ぐなだらしない格好で、私は今日の晩ご飯をどうしようか考えていた。家の鍵を開けた次の瞬間、間違いなくソファにダイブを決め込むことだろう。自炊なんてきっとしない。多分、買い置きのカップラーメンがあったとしても、お湯を沸かすことも苦悩な所業に思えることだろう。うん。今日はよく頑張ったんだ。外食にしよう。 「んじゃあ、また来週ですね」  帰り支度を済ませた後輩くんが、今にも帰ろうとしている。 「ちょいとお待ち」 「へい、何でございやしょう?」  ノリのいい後輩くんでありがたい。 「この後、空いてる?」 「空いてますよ」 「どっか食べに行かない?」 「ご馳走様です」 「早いって早いって」 「コンビニで何か買って帰ろうとか考えてたんで、ちょうどいいです。先輩から飯の誘いって珍しいですね」 「そこのファミレスから誕生日クーポン来ててさあ。どうせ安くなるなら、誰か奢ろうかなって」 「やっぱ奢ってくれるんですね。先輩、誕生日いつでしたっけ?」 「15日。まあクーポンは今月いっぱい有効なんだけど、君の労に感謝して使ってあげようかと」 「そんなこと言って、ほんとは自炊がめんどいだけなんじゃないですか?」 「そ~んなこ~とは、ないよ……」 「玄関空けたら即ベッドにダイブで、カップ焼きそばのお湯を沸かすのすら煩わしいとか思ってたんじゃないですか?」 「……ほぼ正解だよ」 「仕方ないですね。ここは後輩として奢られてあげましょう」 「なんで奢られる側が偉そうなんだよ」 「い~ですから。早く行きましょうよ♪」  楽しそうな後輩くんを見ていると、少しだけ疲れが取れていく気がした。  思い返してみると、男子と1対1で食事をするなんて初めてかもしれない。いつもは友達と固まってることが多いから、男子と密接に会話することすらも、数少ない貴重な機会だ。友達と駄弁るのによく来るこのファミレスが、少し新鮮な場所に感じられてくる。  自分たちの座る席を決めると、後輩くんはすぐにセルフサービスの水を注いで、席に運んでくれた。気が利くじゃないか。 「お冷に氷って入れる派ですか?」 「ん~冷房ちょっとい寒いし、氷は無い方がいいかな」  後輩くんは、既に手にしていた氷無しの水を私の前に置いてくれた。もう片方には氷が入っている。 「あ、おしぼりもか」  忘れ物に気づいた後輩くんは、また給水所の方へと向かっていく。私が水をゴクリと飲んでいる間に、後輩くんは瞬く間にスサッと着席していた。テーブルにはピッチャーまで置かれている。 「わータッチパネルで注文なんだ」  後輩くんはこのお店に慣れていないようだ。パネルを手に取ると、ポチポチっとしてメニュー画面を開いてくれた。 「さて、どれにしましょうか」  メニュー画面は私の方を正面に料理を映し出してくれている。 「いつものとか決まってたりするんですか?」 「んへ?」  色々、気にしていたら。なんか変なリアクションになってしまった。 「ここ、何回か来たことあるんですよねえ? いつもは何頼むのかなって」 「あー、友達と来るから、とりまフライドポテトかな」 「いいですねー。行っちゃいましょう」 「私、オムライスでいっかなー」 「あ、パエリアあるんだ。俺、これにしよー」  後輩くんは3点を注文かごに登録した。 「先輩は甘いのとか好きですか?」 「うん。ここのチョコケーキ美味しいんだよねえ」 「チョコケーキねえ……。ほい、注文完了です」  後輩くんはパネルを元に戻した。そして、私のグラスに水を注ぎ足してくれた。  奢ってやらんとばかりに連れてきたのに、後輩くんに至れり尽くせりされてしまっている。この子、意外と気が利く。これでは先輩の面目が立たない。私がリードしなければなのに。私は気を引き締めて、水をゴクリと飲んだ。 「ここ来るの初めて?」 「はい。コンビニ通いな人間なんで、こういうとこに居るのがなんか新鮮です」  後輩くんは私のグラスに水を注ぎ足してくれた。  私もなんだか新鮮な気分だ。いつも友達と来る場所に、今日は男子と二人きりなんだから。  そうなんだよなあ。目の前に男子座ってんだよなあ。しかも二人っきりで。今までに無かった。こんなこと。  男子と関わるのが苦手な節があって、なんとなく女子同士で固まりがちな私だ。けれど、この後輩くんはなぜか受け入れられる。何でだろう。気が合うから? 優しいから? 好きだから?  いやいや好きって言っても後輩くんだし、そういうことは……。てか、そういうことなのか? 先輩であれ同期であれ後輩であれ、この目の前の男子には、他の男とは違う特別な何かを感じている。気がする。  それに気づくと、なんだか少しだけ緊張が走る。気をつけた方がいいよねえ。食事の所作とか。言葉遣いとか。いや、気にしすぎか。気を使いすぎだ。たかが後輩くん相手なんだし、もっと楽に接したらいいんだよ。  そう思いつつも、会話が無いと目のやり場に困る。手持無沙汰を埋めるために、私はまた水をゴクリと飲んでしまう。 「先輩って何が好きなんですか?」 「うっ、ぷへっ、ゴホゴホ……」 「大丈夫ですか?」 「う~むせた~」  なんで動揺してんだ。私。 「……好きって?」 「どんな食べ物が好きなのかなって」 「えと……オムライス……とか?」 「あーなるほどです」  後輩くんは私のグラスに水を注ぎ足……。 「注ぎ足し過ぎじゃない?」  ピッチャーを手に黙ってしまった後輩くんに、三段落ちのツッコミを入れる他なかった。 「えーっと、満タン入りましたー」 「ガソスタかよ」  料理が運ばれてきて、卓上が黄色く華やかになった。仄かで優しい黄色味のフライドポテト。光沢のある黄色の膜に赤いケチャップのかかったオムライス。バレンシア米の黄色い絨毯の上にシーフードが鏤められたパエリア。一気に食欲がそそられる。そして、黒茶色いスイーツが2つ……。 「え!? チョコケーキ頼んだの?」  後輩くんの返事は、至って平然としていた。 「私の奢りをいいことに」 「美味しいものは食べないと身体に悪いですよ」 「どういう理屈よ」  食事の時間は口が塞がっている。ゆえに、会話が止まりがちで、その間に思考が妄想を掻き立てる。  そういや、倉庫整理で重い荷物とか運んでくれてたな。高いとこに上げるのとかほんとに助かった。棚の上の方とか私、届かないし。「届かないんだろ」って男子が後ろから手を伸ばしてくれるシチュエーションなんて、マンガの中だけだよねえ。  けど、もし私が無理して背伸びしながら高いとこの整理していたら、後輩くんは助けてくれたのかなあ。助けてくれるか。めっちゃ積極的に働いてくれてたし。それじゃあ、やってみても良かったかなあ。ドキドキのシチュエーション体験ができたかも。いやいや、たった今気になりだしただけで、あの時にそんなことがあっても特には何も起こらない……いや、そこから後輩くんを気になりだす可能性もあるのか。  そんなことが頭を巡っていたから、心なしかいつもより料理の味がしない。最後に啄んだチョコケーキですら、もう少し甘さが欲しいと感じてしまっていた。  後輩くんは逐一、私のグラスに水を注ぎ足してくれた。ありがたいけど、なんだかお酌されている気分で、微かな動揺も相俟って促されるように飲んでしまった。  食事を終えて、私はお手洗いに向かった。不意に後輩くんへの見方に変化が生じてしまったけれど、だからといって何かあるわけでもない。今日はこれでお開きだけれど、もう少し一緒にいても良かったかな。そう思ってしまった。  席に戻って伝票を確認したけれど、テーブルには見当たらなかった。店員さんは、確かに伝票を伝票入れに挿し込んでいた。どこへ行ってしまったのだろうか。 「ねえ、伝票知らない?」 「会計は済ませときましたよ」  食後の後輩くんは何食わぬ顔でそう言った。 「……払ったの? 全額?」 「はい」 「……なんでそんなケロッとした顔してんの?」 「爬虫類顔ってことですか?」 「カエルは両生類だけどね。え? 私が奢る前提だったじゃん。なんでよ?」 「魔が差して……」 「それ食い逃げした方の言い訳でしょ。ここは先輩の顔を立ててくれなきゃ」 「そうですねえ。せっかくのお誕生日クーポンだったのに」  なにやら白々しい。一体、どういうつもりなのだろうか。 「お誕生日クーポン、まだ期限あるんですよねえ?」 「あるけど?」 「じゃあ、もう一回誰か誘えばいいんじゃないですか? 僕とか」  私と後輩くんの間を店内BGMが流れていく。私は後輩くんの意図をようやく汲み取った。 「君ってやつは……」 「いいんですか~先輩? 後輩に奢られちゃったままで」  私の内燃する感情を、後輩くんの煽りが増幅させる。なんで、なんで嬉しいって思っちゃうんだろう。 「次、同じ事したら赦さないからね!」  だめだ。声色も表情も緩んでしまう。
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