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戦略的撤退
「ええ、東京に御帰りになられるんですか?また急に……ま、まさか、企画中止ではありませんよね!?」
「いーえ、違いますよ。機材不足の懸念と、企画もここだけではないんでね。同時進行でいくつかやってますんで、東京での定期撮影もあるんですよ。俺も、美礼さんもね。だからあくまで一時帰京ということで。ご心配なく、ちゃんと一週間以内にはこの家に戻って参りますよ」
ホラ、こちら予定表です。と源太は普段撮影しているルーティン予定を町長父子に渡した。美礼の撮影分もちゃっかり混ぜてある。どれも田舎の老人にはピンとこないであろう
『新チャンネル開設に向けて会議。読者投稿型のため別チャンネルとの完全合体を検討?』
『リスナーリクエスト動画。海に行けないからすみだ水族館に行ってみた!空飛ぶペンギンは撮れるのか!?』
『【書評】陰陽師が書いた?実録なので行ける範囲で凸してみた【検証】』
『案件動画。ロムのオータムコレクション、イエベ春に合う色はあるのか』
といった内容が羅列されていた。熊井父子はお互い何かをぼそぼそと呟き合ってはしきりに首を傾げ合っている。源太の仕事はともかく、美礼の仕事内容がさっぱり理解できないのだろう。すみだ水族館の存在も、ロムというコスメブランドも知らないのだろう。ましてや、動画の趣旨も。
「これはどうしても、我が町での企画を中断して撮らねばならないものなんですか!?」
なおも食い下がる熊井息子を片手であしらい、美礼は冷たく言った。
「そぉですよー。こう見えてあたしもこのロムさんっていうのが海外の化粧品メーカーさんなんですけどぉ?お取引相手がいるからお仕事止められないんですよねー。テレビ番組のロケとかもそぉーでしょー?撮影しに来てもずーっととどまる事なんてないでしょー?」
「まさか、東京で『グズ』のことやこの町のことを暴露もしくは告発するおつもりではありませんよね?」
ふふふ、と息を潜めるようにして、熊井父子の後ろに控えるようにして立っていた太夫が言った。恐らく、人権団体等に垂れ込まれることを内心では恐れているのだろう。やっていることは精神障害者の監禁なのだから。
「昨夜はよくグズが鳴きましたね。あ奴は雨の前になると『頭が痛い』と言ってよく鳴くのですが、それだけでしょうかねえ?何事もないといいのですが?」
太夫は優雅な足取りで美礼の前にやって来ると、長身を曲げてその顔を覗き込んだ。美礼は相変わらず剣呑な顔で睨み返す。イケメンなら誰でもいいわけじゃねーんだぞ、バーカ!と内心で怒号を浴びせる。
「東京の方では『ドウブツアイゴ』などと言って人を襲う害獣まで守ろうとする動きがあると聞きます。しかしそのようなものは全くの的外れ……人を噛む駄犬には罰が必要ですし、人を食い殺す害獣は撃ち殺さなくてはならない。それが山で生きることの必須条件ですから。どうか、東京に戻られて勘違い召されぬよう」
「それは美礼もわかってますよ。あんたの言うことにも一理あるいうこともわかります。けどね、害獣認定する人間の側がおかしかったらただの弱った犬でさえ殺されてしまいますよ。お互い離れて、頭冷やしましょうか。その間にグズになんかあったら、それこそ企画はポシャりますし、ニュースになるでしょうね。ネットニュースに、デカデカと」
しばし、無言で太夫と源太が睨み合った。美礼は源太のスカジャンの裾を無意識につかむ。この太夫と言う男、睨むくらいなら自分でもできるが、口論になるとやはり薄気味悪い。
「……わかりました。お互い、何事もなくまたお会いできることを願います」
太夫は再び薄笑いを浮かべ、身を熊井父子の後ろに再び隠した。源太の実質的な粘り勝ちだった。
「……ありがと、源さん」
帰京用に用意された社用ワゴンの最後部座席でピンクの毛布にくるまり、同じく前の席で横になって電子書籍を読んでいる源太に美礼はぽそりと礼を述べた。その目の前で、源太があの予定表をひらひらと片手で摘まんで振って見せる。
「な?あんな田舎のジジイ2人と流行から取り残された『神の子』ひとり騙くらかすのなんざ簡単だったろ?横文字に弱いなんてのは偏見かもだが、都会の地名やメーカーに弱いってのは存外ガチだぜ。それに、そもそもこの企画表自体がでっち上げなんだから問い合わせしたって話がこんがらがるだけだ。ざまーみやがれ」
そう言って、源太は企画表をくしゃくしゃに丸めてぽい、と放り捨てた。そう、どの予定も所謂カラ予定、大嘘だ。2人に東京での撮影予定など本来はない。がっちり熊井町での撮影が組まれていた。しかしここにきて、熊井町だけでの撮影は不利ということで、源太が所属会社「ヌー」の上層部に掛け合い、
「更に魅力的な撮影にしたい」という名目で一旦の帰京をねじ込んだのだ。
「んで、お前の方はあのロケ前の動画で通話してた『ゆうこす』とかいう女子大生だかにもう一度コンタクトを取れ。通話履歴が残るってことは、多分その前後のやり取りで相手の連絡先も残ってるだろ?ダメならもう一度動画で呼び出せ。なんとしてもだ」
美礼としては、ゆうこすこと優華に会うのは気が重かった。彼女の祖父である与三郎がグズに暴力を振るう消防団の筆頭だと知ってしまった以上、その秘密を抱えたまま優華にどんな顔をして会えばいいのか……うっかり、喋ってしまいそうで恐ろしい。
「何も対面で会わなくてもいい。通話だけでもいいんだ。とにかく欲しい情報がある。いいか、こいつなんだが……」
源太は上半身を起こし、美礼にA4サイズの紙を渡した。それはちぎったレポート用紙のようで、そこに書かれていることは雑然としていたが、確かに言われてみれば的を得ていた。
「あ、ああ……!確かに!!言われてみればこれ気になる!!これならおじいちゃんおばあちゃんのこと、話さなくてもいいし、優華ちゃんの子供の頃くらいの話だろうし……ありがと、源さん。すごいわかりやすいよ。源さんはどうするの?」
「俺は東京に帰った吉良川壮馬に会ってインタビューする」
「へぇあ?」
いきなりのビッグネーム登場に、思わず美礼は奇妙な声を出した。確かにグズは壮馬を慕っていたし、壮馬はグズを大切にしていたようだが、その壮馬も今や都会では秒刻みでテレビにラジオにと活躍する人気アイドルグループのナンバー2。そんな人物にアポが取れるのか?また「ヌー」の力を頼るのだろうか?そもそも壮馬はグズのことを欠片程度でも覚えているのだろうか?忌み子、犬神の子。ましてや都会に行けば美女に事欠かないだろう。すっかり忘れて彼女を作っていてもおかしくはない。
「そ、そんなさぁ、可愛い女の子ならともかく源さんみたいなおっさんをアテンドされても吉良川君のほうが困るでしょ!WINGSの仕事もあるんだし、それこそあたしのミッションより難しくない?ミッションインポッシブルじゃない?」
「俺を舐めてもらっちゃ困る」
窓も開けていないのに、相変わらず源太はフレーバーを吸い始めた。水蒸気が充満してそれはそれで不愉快だった。窓を開けようとすると止められた。吐き出した水蒸気は何故か、源太の胸元にわだかまっているように見えた。
「お前さっき、『女をアテンド』っていったな。何だっけか、ガシー?とかいう暴露系配信者のやってたアレだろ。女の紹介だろ。あながち間違いじゃないぜ。吉良川壮馬が練習サボってでも出てきちまうような女をアテンドする。ただし、女本人じゃなく、『女の情報』をアテンドする」
「グズさんの現状か!」
「わかるようになってきたな。いいぜ。その調子だ」
フレーバーをくわえたまま、源太は親指を立てた。確かに、いくら何でも幼馴染が寒村で檻に入れられ人扱いされていない、となると彼も心配して何か動くのではないか。そしてひいては彼の事務所も。そこに源太は期待している?
「吉良川のやつ、案外グズのことを覚えてやがる。デビューしてからの恋愛系のインタビューを漁ってみたが、大体好みのタイプが共通してわっかりやすい男だぜ。『教養がある』『純粋で大人びているけど仔犬みたいな』『ちょっと控えめだけど純情な子』『昔一緒に海を見た幼馴染』――ファンはヒスって特定班まで動いてるらしいが、まさか犬小屋にいるなんて吉良川もファンも夢にも思うめえ。現にさっき、松山マネを通して吉良川にグズの話をちらつかせてみたら早速食いついて来たぜ」
そう言って、源太はニヤニヤ笑いながらタブレットのメール画面を見せてきた。松山マネージャーから転送されてきた返信は吉良川壮馬本人のデジタル署名がされており、その内容は
〈インタビューのお申し出、ありがたくお受けします。
画像はプロダクションと交渉したところ掲載不可とのことですが、
その他発言の文字起こし及び録音でしたらなんなりと。
僕は自分が本格的にジュニアアイドルになってからの
狛井さんの村での様子を知りたいだけです。
彼女の連絡先なども教えていただけないでしょうか。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます〉
という必死さすら感じさせる内容であった。
「グズさん、苗字が狛井さん、っていうんだ……そっか!もしかしたら下の名前も吉良川さんが知ってるかも!」
「ナイスゥ!あのいけ好かねぇ太夫の術を解くにはなあ、村の外からの声が多分一番効く。それも、自分を大切に思ってくれた相手の声が。そりゃ、グズにとっては吉良川もそうだしおめーもそうだ、美礼。一番は吉良川に太夫をボッコボコに殴らせるのがいいんだろうが、さすがにそりゃNGだろうから録音と、名前を呼ぶのはお前にやってもらうぜ」
村に置いて来たグズがなにをされているかわからない、だからなるはやで済ませよう。そう言って、源太は下手くそなウインクをして見せた。それに対して、美礼はこなれたウインクで返した。
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