太夫と「グズ」

1/1
前へ
/21ページ
次へ

太夫と「グズ」

「この度は、お客様に『あの筋の者』が非礼を働き申し訳ございませんでした」  改まって、町長父子を従えて「太夫」なる人物が謝罪と称して古民家に訪れた。「太夫」は整った顔をした源太と年齢の変わらない青年だったが、源太が 「『■■■■流の太夫』ってのはわかってんですよ。名前くらい教えてくれませんかね。謝罪の流儀ってもんがあるでしょ」  と食って掛かっても、青年は清流のような笑みを浮かべて 「私に名前などありませんよ。この町が村だった頃から、ずっと『太夫様』『太夫様』と呼ばれてきましたから『そういうもの』として私は生きてきました」  と、薄気味悪くいなしている。源太は敢えて踏み込まなかった。ピンクの毛布をかぶって震えている美礼の前に「お邪魔します」と上がり込んだ「太夫」は立つと、何の許可もなく美礼の頭を撫で 「お嬢さん、あそこを覗いたらいかんで。あいつはグズやけ。メダレヲミル獣やけ。何でも羨んで、何でも欲しがって、そのくせええことはなんもせん死んだ方がええ犬よ。町おこしのために置いとるだけよ。ホラ、よう見とき」  そう言って、折り紙で折った犬の形代をかざして見せた。そして、町長が恭しく取り出したライターを受け取ると、美礼の目の前で火を点け形代に炎を近づける。 「駄目っ!」  炎が犬の後ろ足を炙った瞬間、美礼は毛布を脱ぎ捨てて形代を奪い取り炎ごと握りつぶした。「うぎっ」と苦痛の声を上げる。その声を掻き消すように、あの小屋の方から  ギャイイイイイィーンッ……  という犬の吠え声がした。 「お嬢さん、無茶をしなや。あのグズは犬なんやから、悪さをする犬には躾が必要やろ?犬好きなんかもしれんし、優しい人なんかも知れんけど、グズにそないなんは不要やき。まかり間違っても、心を通わすとか思わんことよ。恩知らずに食い殺されるんがオチじゃ」  美礼は鼻を啜りながら、じろりと太夫を睨み上げた。 「……確かにあの人は怖かったけど、リンチしたり、火を点けたり、そんな不良高校生のイジメみたいなことはしたくないですから……てか、今日日犬の躾でも痛みを与えるようなことしませんから。虐待って知ってます?」  美礼は強気に出た。この男が、「太夫」「太夫」ともてはやされ、あの憔悴しきった「グズ」の生殺与奪を率先して握って悦に入っている様子が鼻持ちならなかった。 『ア゛オ゛ォ゛!ア゛オ゛ォ゛!!ア゛オ゛ォ゛!!ア゛オ゛ォ゛!!ア゛オ゛ォ゛!ア゛オ゛ォ゛!!ア゛オ゛ォ゛!!ア゛オ゛ォ゛!!』 『くぅーん、くぅーん、きゅぅーん、きゅぅーん……』  同じ鳴き声を繰り返していた時、あの「グズ」は確かに恐ろしかったけれど、必死そうに見えた。怒っている様にも、確かに自分に嫉妬をしている様にも見えたけれど、何かを必死に訴えているようにも見えた。どうしてだろうか。自分がお人よしだからだろうか。それとも、自分もまた「見世物」にされ時に石を投げられる職業だからだろうか―― 「いずれにせよ、『グズ』のことは『因習ホラー』のネタとしてエンターテイメントとして消費していただくのは構いませんが、くれぐれもそれ以外の目的で『グズ』を紹介すること、まして『グズ』を手懐け解放することなど無いように頼みますよ。『犬神統(いぬがみすじ)』を御するには次は私の命すらなげうつ必要があるかも知れない……」  自己陶酔を匂わせる美少年に対しチッ、と小さく源太が舌打ちするのを美礼は聞き逃さなかった。太夫と町長一味を追い出し、何か新たに仕込まれた機材やまじないの類はないか探り、ようやっと源太と美礼は一息ついた。 「はあー……ほんっとごめんなさい、源さん。全部あたしのせいだ。あたしが何だろう、呼ばれた……?って言ったらあの『グズ』って人のせいになっちゃうな……引っ張られちゃったから?あの『グズ』って人に会っちゃったから、あんな嫌な奴まで招いちゃって……」 「構わねえよ。寧ろ上出来だ」  そう言って、源太は今度は欄間の影に隠した自前のカメラを回収し、フレーバーではなく自分で巻いた紙巻きたばこを吹かした。薬草か何かの匂いが鼻先をかすめて、美礼は一瞬「ヤバイ草はやめな?」と言いかけたが、源太がすぐにその煙草を火が点いたまま「太夫」が去っていった玄関に向けて放り出したのを見て、何かの意味があったのだろうと言葉を飲み込んだ。「結界」という言葉を何故か思い出した。  もう日常は終わった。ここは異界も同然、オカルトの世界なのだ。たとえそれが妖怪幽霊魑魅魍魎の類によるものでないとしても、世間一般的に言われている「オカルト」「ホラー」「因習」であるには変わりない。  少なくとも「グズ」は妖怪に見えない。どちらかと言えば、というか紛れもなく「人間」に見えた。少々精神的に問題がある「被差別民」しか見えなかった。それを町全員が、寄ってたかって「犬神」「犬神」と。 「何が『太夫様』だ、ただのメサイアコンプレックス野郎が。小さな庭でつけ上がりやがって、鳥なき里の蝙蝠のいい例だな。成人とはいえ精神薄弱者を虐待して楽しむド変態ヤローがよ。だが、今のもいい撮れ高だし、何より被害者と加害者の炙り出しが出来た。美礼、マージーで上出来だ」 「源さん」  美礼は膝を抱えて、源太をおずおずと見上げていた。 「あの『グズ』っていう人のこと、あたし何か見棄てておけないよ。あの人、ただ喋れない状態なだけで、何かを訴えたがってる気がする。少なくとも、さっきの『太夫』って奴よりはマシに思える。あたし、もう一度あの『グズ』と話してみたい。話すのが無理でも、ちょっと関わってみたい」  駄目だ、と言われると美礼は決めつけていた。ぎゅっと目を瞑り、答えを待つ。源太はしばらく答えなかった。しばしの沈黙。 「……いいぜ」 「え」  源太の答えは、思いのほかはつらつとした声音で乗り気であった。源太を見上げると、にやにやと笑いながら無精髭を撫でている。 「こいつは最高の撮れ高になる。あんたがここまで『犬神統の娘』に入れ込むとは思わなかった。もっと『因習ガー呪いガー』ってオカルト迷信にどっぷりの頭空っぽ女かと思ってたけど、やっぱり見立ては間違いなかった。胆力もあるし、なにより『素養』がある。じゃ、夜に向けて寝るか」  そう言って、源太は万年床として引きっぱなしにしている布団の上にごろりと寝ころんだ。美礼はぽかんとしてその背中を見詰める。 「えー……え?夜に『グズ』に会いに行くの?夜の方が目立たない?」 「アホか。こんなド田舎だ。大半の住人は一次産業従事者かリタイアした高齢者だ。大半が疲れ果てて早寝してスヤッスヤだろ。昨夜外を一通り確認してみたが、灯りを付けてギャースカやってる家もねーみたいだからな。問題は犬小屋のセキュリティだが、お前がノコノコ近づいたところで騒ぐまで誰も気づかなかったんだから、『太夫』の呪符よりも『グズ』の切実な祈りが勝ってるんだろうな」  犬の切実な祈り。切実な啼き声。あの小犬のような声を美礼は思い出していた。スマホよりも大きなタブレットを取り出し、wi-fiに繋いで乳幼児用のひらがな表をダウンロードする。これで簡単な意思の疎通が図れるはず。新鮮な水と、都会から持ってきた握り飯と、簡単な会話のためのひらがな表と地図。  あの「グズ」は確かに恐ろしかった。男か女かもわからない、まさに人犬、「犬神統」。吠える声は犬、気性が荒いと言われれば納得するし、自分に嫉妬して吠えて来たと言われればそれも納得する。  しかし、あの縋りつくような同じ吠え声。自分を呼ぶか細い鳴声。覚えがあるのだ。自分には覚えがある。  ――苦しいよ。怖いよ。助けて―― 「……源さん、あたし、子供の頃実家で犬を飼ってたんです……」 「……おーん……」  源太は横たわったまま、背中の狐を向けたまま美礼に答えた。半分寝かかっているのか、ぼんやりとした声だったが、美礼は続けた。寝物語にでもなれば、という、ただの自分語りであった。 「真っ白な日本犬で、種類はわからないんですけど、ある日祖父がもらってきて……私はスノーとかノエルとかカワイイ名前つけたかったんですけど、祖父が『ハヤタロウ』って名前にして……『この名前にしたら、美鈴と美礼を守ってくれる』……美鈴、ってあたしのママなんですけど、そう言ってその名前にしたらしいです。後から調べたんですけど、早太郎っていう白い犬が、女をさらう悪い猿を退治する昔話があるんですね」 「早太郎の……狒々退治……だな……」 「さっすが源さん」  クスクス、と美礼は笑った。悲し気な笑いだった。 「早太郎は、あたしのこと、守ってくれました……成犬になってからだったんですけど、あたしが近所で不良に絡まれた時に、外飼いの綱を杭ごと引っこ抜いて、飛んできたんですよ。不良に噛みついて、不良5人くらいいたのに、うぉん、うぉん、って吠えて、今でも覚えてる……結局その騒ぎで警察が来て、不良は全員捕まったんですけど、早太郎もナイフで致命傷……」  源太はもう何も返さない。美礼は泣いていたが、例え源太が聞いていなくてもこれだけは伝えなくてはならないと言葉を継いだ。 「結局、早太郎は死んじゃったんですけど……動物病院での、死に際の鳴き声が、あの人の鳴き声と同じなんです……苦しそうに、同じ鳴き方を繰り返して……くーん、くーん、あおおー、あおおー、って……思い込みかも知れないけど『苦しいよー、怖いよー、痛いよー……』って……」  だからあの人も見捨てられないんです――そう言い切って、美礼は嗚咽を漏らした。源太は一言 「もう寝ろ」  とだけ言い、それきり振り向かなかった。    
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加