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朝のニュース
朝、起きたら、まずはテレビをつける。
殺人事件も大臣の失言も、社会情勢に興味はない。芸能人の不倫や最新スイーツなんて、本当に、どうだっていい。けど、普通の社会人として生きていくには、『常識』がいる。興味がないことも頭に入れておく作業は必要だ。
五百之木花王は、そう思っていた。
窓際で、テレビの音を聞き流しつつ、お気に入りのミネラルウォーターを飲む。
見上げた空は青天。太陽の独壇場だ。地上をじりじり照りつけて、高笑っているかのよう。すでに九月だというのに、夏はまだ終わりそうにない。
今日も暑くなりそうだ。
少しだけ、花王はうんざりした。
背後では、朝の情報番組が、昨日の台風の被害を伝えている。
風に流されたタンカーが、橋に衝突……。
工事現場の足場が倒壊し……。
全国で浸水の被害が……。
列島を横断した超大型の台風は、各地に甚大な爪痕を残したようだ。
それを背中で聞きながら、花王は窓の外を確認する。この辺りも、雨と風はすごかったが。見る限り、大きな被害は出なかったようだ。近くの街路樹も倒れてはいない。
まぁ、大丈夫そうか。
そう思っていると、アナウンサーが、聞き慣れた地名を告げた。
「……✕✕市の、こちらのお寺では、昨日の台風で、国の天然記念物に指定されている、玉姫桜が折れてしまったとのことで……」
「玉姫?」
つぶやいた声とともに、勢いよく思い出が跳ね上がった。
記憶の片隅に追いやっていた彼女の姿が。今でも鮮やかに。今なお、くっきり、脳裏に蘇る。
テレビを振り返れば、ちょうど、中継が切り替わり、裂けて折れた枝垂桜が映し出されていた。
あぁ、これは、もうダメだ。
花王は直感する。
「ご住職に話をうかがったところ、この玉姫桜は、三年前の台風の時にも、枝が折れてしまったそうなんですね。それもあって、桜の木自体が弱っていたようなんです……」
神妙な顔でリポーターが話しているのを見ながら、花王はスマホを手に取った。
上司に電話する。コールが響く中、どうやって話を切り出そうか、考えていたが。挨拶を交わしたあと、上司から話題をふってくれる。
「そっちは、台風、大丈夫だった?」
「俺は何ともなかったんですが、知り合いが、大怪我をしたみたいで」
花王は言った。
嘘ではない。テレビの中では、樹齢五〇〇年の桜が、無惨にも倒れ、生白い断面をさらしている。
「大丈夫なの?」
「かなり、ひどいみたいです。それで、様子を見に行きたいんですが、今日、休ませてもらってもいいですか?」
「あぁ、そうね。それは、心配よね。分かったわ。有給扱いにしておく」
「ありがとうございます」
花王は通話を切ると、身支度を整え、アパートを出た。
❀ ❀ ❀
彼女とは、当てもなく、全国をぶらぶらしている時に出会った。ケガをしていた彼女を助けたのがきっかけで、親しくなり、あっという間に惹かれていた。
あちこち放浪するのは、やめた。もちろん、彼女の側にいたいから。
一年、一緒に過ごして、花王は彼女に言った。
『これからは、自分とともに生きて欲しい』と。
──しかし。
『あなたとは、生きている時間が違うのよ』
それが、彼女の答えだった。
彼女にふられたあと、花王は、また放浪を始めた。
ふらふらと全国を渡り歩き、たまに知人と会って酒を飲み、気に入った場所があれば逗留し、気まぐれにバイトしてみたりする。おもしろおかしく生きているつもりだった。でも、彼女のことを忘れてはいなかった。
だから、三年前、未練がましくも、この地へ戻ってきたのだ。
もしかしたら、なんて。また、会えるかもしれない……なんて、下心を抱きながら。
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