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2、私とは違う当たり前のこと
季節は流れ、八月中旬。
凪沙は東京に上京して一人暮らしをしている恵理那の住処である、六畳のワンルームマンションへとやってきた。
キッチンと部屋が一体化した一室は凪沙には自分の自由な空間に見え、羨ましく見えたが、恵理那にとっては少し物を買っただけで狭苦しく感じてしまう窮屈な空間であった。
フローリングの上にカーペットの敷かれた部屋で二人は飲み物を手にローテーブルを囲んで座った。
朝から慌ただしかったため東京ビッグサイトから疲れ切って帰宅し、ようやく落ち着いてティータイムを過ごすことが出来たのだった。
「ありがとね、売り子手伝ってもらって。凪沙がいてくれて助かったよ」
夏コミケを今年も無事乗り切った安堵感に包まれていた恵理那は売り子を手伝ってくれた凪沙を労った。
高校時代まで一緒の高校に通っていた二人、そんな二人も大学受験がきっかけで遠距離になった。
凪沙は引っ越しを経験することなく京都にある近くの大学へ、恵理那は漫画家の夢を目指して都内にある芸大に進学した。
恵理那は小さい頃から絵を描くのが好きで中学の頃に初めて自作同人誌を描き上げた。その実力は高校になってからさらに上達を果たしクラスの人気者となった。
凪沙が最初に恵理那に似顔絵を描いてと図々しくも願いを言って、描きあがった完成形を受け取った時はそのプロ顔負けの実力に感動を覚えたのだった。
「Vtuber頑張ってるみたいね。見に行ったら変な動画ばっかりだったけど」
恵理那は柔らかい笑顔のまま率直な感想を凪沙に言った。
エアコンの涼しさでようやく解放感を実感した恵理那は上機嫌だった。
「そんなことないって! ちゃんと歌も出してるからっ!」
凪沙は生配信をコンスタントにするというよりインパクトの強い動画でVtuber戦国時代を乗り切ろうとするタイプだったこともあり、芸人ばりのサムネだけで引きかねない動画を親友に見られてしまうことには一定の恥ずかしさを覚えた。
「まぁ……昔から歌は好きだもんね。歌だけじゃやっていけないのかぁ」
「そういうところはあるかもしれないね。方向性としては歌をメインにするのは全然ありだと思うけど」
二人は高校時代によくカラオケに行っていたこともあり互いの歌の上手さを知っている。特に凪沙は軽音楽部に所属し、部活を引退した後にも、当時のメンバーとライブハウスで時折ライブを開いていたほどだ。
そういったこともあり、歌をメインにした活動を展開するのも、もちろんありだと考えるのは共通見解でもあった。
実際のところ、女武将でありながら可憐に歌い上げる凪沙の歌動画はギャップがあって好きというファンが多数いる。彼女のみんなを笑わせたいという活動方針を大きく揺るがすほどではないが、好評を得ているのは確かな事実であった。
「あたしもやってみよっかな。漫画ばっかり描くのにも疲れちゃったし」
ガムシロップを三つ入れて甘ったるくなったミルクティーをストローでグルグルさせながら、恵理那は唐突に言った。
「忙しすぎるのは分かるよ、いい加減アシスタント雇ったりしないの?」
それにしても急な心変わりだなと凪沙は思った。漫画家を夢にしていた恵理那が憂鬱になるのも分かるくらい、漫画を描くので忙しいのは知っている。だからこその疑問であった。
「都会の一人暮らしにそんなお金ないって。仕送りもいらないって言って家を飛び出してきたんだから。あたしにはひたすらソロで描く以外に生きるすべはないんだから」
しみじみと恵理那は言った。一人暮らしの苦労が身に染みたと言わんばかりであった。
「それだったら……いいかもしれないね。今がチャンスなのかも」
Vtuberの世界に飛び出してはや四か月。
最近になってデビューした”後輩”も多くいるだけに、凪沙は今デビューすること自体、十分なやる気次第で生き残れる可能性があると感じていた。
「凪沙もそう思うかぁ……ちょうど連載もひと段落したところだから、いい機会かも」
ありがたくも仕事としてもらった漫画連載を完結させた恵理那。
新しいことに挑戦し、人生の選択肢を拡張させるにはいい機会であった。
*
久々に東京の地で二人揃ってみっちり話したこの日から一か月後、恵理那は漫画大好きニワトリ系Vtuber、縞鳥玉子として念願のVtuberデビューを果たした。
――知り合いのVtuber好きが、あたしがやりたいって言ったら格安でLIVE2Dモデリング作ってくれて……。あたしの描いた立ち絵を見せたら凄いやる気になっちゃったみたいで、一か月で配信開始できちゃった。ありがたいことよね。
準備に時間を要すると思われたが、あっさりとデビューを果たした恵理那は凪沙に早速通話で興奮気味に話した。
凪沙は”先輩”としてもちろん恵理那が命を吹き込む縞鳥玉子の初配信も当然チェックしており、そのインパクトから強力なライバルであり、今後が楽しみな新たなVtuberの誕生として刻み込まれていた。
「いやぁ……恵理那がVtuberをしたらこんな風になるのかって、死ぬほどビックリしちゃったよ」
凪沙はそう恵理那に初配信の素直な感想を告げた。
「あたしだって個性強めな原画を描いたから、実際可動するモデリングが上がって来た時、どういうキャラ付けすればいいか迷いに迷ったよ」
準備期間が短く、勢いに任せた恵理那の初配信に至る道のりは実に波乱だらけだった。恵理那の言葉を聞き、改めて頭の中で想像した凪沙は、恵理那の持つポテンシャルの高さを実感した。
*
ヒヨコを追い掛けるデフォルメされた縞鳥玉子の姿が映し出される待機画面から初配信は始まった。
同時並行で恵理那が行ってきた今日までの準備。
Vtuberとして生配信をすることに対しての抵抗感はないが、とりあえず必要なものをと一式配信機材を揃えたがために、オーディオインターフェースやwebカメラやマイクの設定に加え、おすすめの背景素材やBGMを取り揃えていったために、配信を始める前から作業量の多さに大変さを思い知ったのだった。
「はーい! お待たせしましたー!
漫画大好きニワトリ系Vtuber、縞鳥玉子だよー!
早速凄い盛り上がりになってるねー!
今日からたくさん配信していくからみんなよろしくねー!」
漫画連載や同人作家として活動してきたことから、初配信にも関わらず多くの視聴者が訪れ思い思いのリアクションをしていた。
「ちょっとヒヨコに魂乗っ取られてる間は漫画描けないから、代わりに生配信楽しんでいってねー!」
柔らかな軽いノリで詰め掛けたファンに語り掛ける恵理那。
そこまでの演技は加えず自然体で縞鳥玉子として声を届ける恵理那は、すぐにこれまでのファンにも受け入れられていった。
*
こうして恵理那も凪沙に便乗して縞鳥玉子としてVtuberデビューを果たし、二人はこれから互いに刺激しあい切磋琢磨していく……はずだった……。
”私は恵理那の才能の三分の一しかない”
その事実を、恵理那はデビューからたったひと月で数字として凪沙に突き付けてしまう。
デビューから一か月間、必死に取り組んでチャンネル登録者数三千人を達成した凪沙に対して、元々同人作家として活躍していた恵理那は持ち前のトークスキルも発揮し、デビューから一か月でチャンネル登録者数一万人を難なく達成するのだった。
”凪沙だってすごく頑張ってるよ!”
”チャンネル登録者数三千人って本当に凄いことだよ!”
”凪沙は歌が凄い上手だからこれからどんどん知られていってもっと伸びるよ!”
恵理那の励ましてくれる言葉が嘘偽りのないものであることは凪沙だってよく分かっている。
だが、自分に便乗するように始めた恵理那が簡単に自分を抜かしていくことに傷つかないほど、凪沙は聖人ではなかった。
(分かってる……分かってるよ……。恵理那に全く悪意がないってことも。元から全然持ってるものが違うってことも、分かってるはずなのに……どうしてこんなに胸が苦しいの……)
表向きには互いの活動の経過を報告しあい、応援しあう関係にあるのに、凪沙は日に日に嫉妬心、劣等感を心に溜めていくのだった。
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