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目覚めると、そこは病院でした。
「先生っ、意識が戻りましたっ」
そう言った看護師の傍らには、心配そうな表情で、父親が所在無さげに立っています。
弟のイスムと妹のジェファー、それに病気の母親までもが、二人に支えられるようにして粗末な丸椅子に腰掛けています。
どうやらここは、父親が入院していた病院のようです。
「大丈夫!? お兄ちゃんっ」
ジェファーとイスムが心配そうにナサブの顔を覗き込みます。
「あなた、列車の事故で気を失ってたのよ」
「え…?列車事故…?」
看護師が言うには、それは列車事故といっても、列車の前に何か白い鳥のような物が一瞬現れて、急停車したらしい事―病院に運ばれたのはナサブだけで、ケガ人はいない事―そして、その白い鳥のような物がなんだったのかは、結局分かっていない―という事でした。
ナサブは、その”白い鳥のような物”がソラだったのではないかと直感しました。
ソラは、逝ってしまったのだと。
”ソラ……”
ナサブの頬を、涙が伝って落ちました。
それは後から後から溢れ出て、心配する家族も医者も看護師も、全てを靄のように滲ませ、ナサブは両手で顔を覆いました。
覆った手の隙間からも、涙はとめどもなく彼の頬を伝っては落ちてゆきました。
「おいっ、この看板、全部青で塗り潰しておいてくれ」
親方に言われて、ナサブは勢いよく返事をしました。
あれから―病院を退院するとすぐに、ナサブはアリとは手を切って、程なくして看板描きの仕事に就きました。
看板描きの男性がナサブの父親の入院費を立て替える代わりにと、ナサブを雇ってくれたのです。
”ソラがオレに、この仕事を与えてくれたのかもしれない”
ナサブはそう思いました。
ナサブの父親は、ケガが治って退院すると、職探しを始めました。
そしてその傍ら、なにやら”絵の具の作り方”を、親方やその知り合いに聞いたりして勉強しているようでした。
父親が河原でケガをした理由―それはあの、昔の家族の思い出のある河原で、絵の具の顔料になる石が採れると、人伝てに聞いたからだと、入院中、バツが悪そうに告白しました。
「おまえに、その…絵の具を作ってやれないかと思ってな…」
「それでケガしてりゃ、元も子もないじゃないかっ」
ナサブは口では怒っていましたが、内心では少し嬉しかったのです。
父親がまだ自分の事を、思っていてくれた事に。
「とにかくもう、ケガはしないように気を付けろよっ」
暇を見ては河原に出掛けてゆく父親に、念押ししました。
「また入院でもされたら、困るのはオレなんだから」
憎まれ口を叩いても、父親はもう、ナサブを怒鳴ったり殴ったりはしません。
酒に溺れる事もなくなりました。
僅かでも自分が働いた金で母親に薬を飲ませてやる事もでき、家の中は次第に元の明るさを取り戻しつつあります。
ナサブは青いペンキを片手に看板塗りの作業を始めました。
仕事を始めたばかりで、今はまだほんの雑用係だけど、いつかちゃんとした絵を描かせてもらえるように、独学でデッサンの勉強もしています。
そうして―そうしてできる事なら、雲の上からでも見えるような、ソラのいる場所からも見えるような、大きな大きな空の絵を、広い地面いっぱいに描いてみたい―そう思っていました。
それは勿論、綿菓子のような白い雲をぽっかりと浮かべた、いかにも爽やかな、晴れた日の青空です。
ソラは今頃、本物の空をすぐ間近で見ているのかもしれないけれど、それでもナサブは自分の描いた空の絵を、ソラに見てほしいと思いました。
”お花畑の絵、見たいな”
ソラはそう言っていたけれど、それよりもナサブは、”硝子越しでない、本物の空を見せてあげたい”と思ったあの時の気持ちを、真っ先に伝えたかったのです。
もう二度と、会う事もできないけれど。
と、その時、
「それって、別々じゃなきゃいけないの?」
不意に背後で声がして、ナサブは驚きのため、すぐには振り返れませんでした。
この声は、まさか―。
ゆっくりとした動作でやっと振り返ると、そこに立っていたのは、やはりソラでした。
「神様がね、あたしに特別に手品をしてくれたの」
微笑み乍ら、そう言いました。
「病院で眠っていたあたしに、命の灯が消える前に、新しい命を吹き込んでくれた…」
それは、白い鳥のように飛んで来て、ソラの体の中に溶け込んできたのだと彼女は言います。
白い鳥―それは列車の前に現れたという、あの鳥なのでしょうか?
”死んだんじゃ、なかったのか…?”
”ソラの中に宿った、新しい命だったのか…?”
ナサブが半信半疑で見ると、ソラは今迄着ていたような白いワンピースではなく、淡いピンクの、花びらのような裾をしたワンピースを着ていました。
それは、そこにいるのがもう実体を離れたソラではなく、本物の、生身の女の子である事を、如実に物語っているかのようでした。
それでも、俄かには信じ難い思いで立ち尽くしているナサブに、ソラはおどけた口調で言いました。
「お花畑に、一面の青空―そのほうが、素敵だと思わない?」
ね? と、にこやかに微笑んで。
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