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「幸!! 大丈夫なの!?」
「へへ。今日はね、調子がいいの。帰る前に少しだけ我儘言っちゃった」
左隣にペタンと座り、僕の洋服の裾をクイッと引っ張る。
「座ろ」
言われるがまま僕も座り、幸と同じ景色を見つめた。
「あのさ……東京に帰っても会えない?」
幸は切なさそうな表情で首を左右に振る。
「好きな人に弱っていく自分、見られたくない。慎一君の記憶の中だけは笑顔でいたいんだ」
「じゃ、じゃあ、これ。僕の住所と電話番号。なにかあったら」
僕が手持ちのメモ帳に住所を書き始めるのを幸は止めた。
「ごめん。それもらっちゃうと、私、甘えちゃう」
「甘えればいいよ」
「甘えちゃったら、私、今よりもっと生きたくなる。もっともっと生きて、慎一君の傍にいたくなる」
「でも……」
「ずっと好きでいさせてくれるだけで、いいの。桜貝、大切にするね。もし、慎一君が私を思い出す事があるのなら、約束して。私の笑顔だけ思い出して」
僕は彼女の願いに小さく頷き、もうそれ以上は言葉にできなかった。
苦しい時に傍にいてあげられない辛さ。でも、それ以上に幸の意思を尊重したかった。
沈黙が続く。
規則的に聞こえる波の音。
天使の梯子はいつの間にか消え、雲は茜色に染まっていた。
永遠の別れが刻々と僕らに近づく。言葉を口にすると、更に時が進んでしまいそうで怖かった。ただただ苦しくて、切なくて、胸の痛みに耐えながら、僕らは黙って海を見ていた。
彼女はそっと僕の左手に触れ、指を絡める。
こんなに傍にいるのに。触れられるくらい傍にいるのに。
あどけなさが残る瞳を見つめ、彼女の柔らかい頬に手を添えた。ゆっくりと顔を寄せ、彼女の唇に唇を重ねる。
「じゃあね……」
とうとう彼女が口にしてしまった言葉に僕は目をつむり、小さく息を吐いた。
「うん、じゃあね」
彼女は立ち上がり、とびっきりの笑顔を見せる。
「じゃあね!」
「じゃあね」
僕も穏やかに微笑み、彼女を見送る。
「じゃあね!!」
「じゃあね」
涙を隠そうと我慢している君の声は震えている。僕の声も震えている。僕達はお互い気づかない振りをした。
今、僕達の、夏が終わる。
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