夏の終わり、波の音、僕は天使に恋をした

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「見ないで!!」  顔を伏せた幸が必死に出したであろうかすれた声に、僕はゴクリと唾を飲む。 「救急車! 救急車呼ぶ!」  スマホを取り出す僕の腕を握り、顔を伏せたまま首を横に振った。 「でも!」 「大丈夫……すぐ落ち着くから……」 「でも、あんな……病院行った方が」  幸はハーハーとゆっくり呼吸を整えると、おもむろに立ち上がった。 「大丈夫……だから……」 「幸……どこか悪いんじゃ……」  ずっと感じてた不安。僕の胸が早鐘を打つ。幸がぎこちなく笑った。 「病院は通ってるから。私ね……あと少ししか生きられないの」  僕は目を見開き、幸を凝視する。 「信じられないでしょ? ほら……私、今生きてるし、喋ってるし、歩いてるし、笑ってるし……でも……死んじゃうの。今もね、病魔が少しづつ蝕んでて…………もう、ダメなの」  (せき)を切ったように涙声で話す幸。僕は息苦しくなり、自分の胸をギュッと押さえる。  どうしてもどうしても嘘だと言って欲しくて、何度も聞き返したい衝動に駆られるも、彼女の哀しげな瞳がすべてを物語っていて、僕はこれ以上問いただす事はできなかった。 「なんて……病……気なの」  病名なんて聞いても、僕が役に立つことはできない。それでも、幸の病気を知り、寄り添いたかった。クスリと彼女は笑顔を見せる。 「内緒!」  何もできない自分がもどかしい。ありきたりの慰めの言葉は言いたくない。そんな言葉、きっと沢山の人に言われてきたはずだから。  病状が落ち着いてきたのか、昨日と変わらない明るい声で幸はクスクス笑い始めた。 「今日はね、ちょっと調子が悪かったの。びっくりさせてごめんね」 「そんな……僕こそ、ごめん。誘っちゃって」 「ううん。だって、私が慎一君に会いたかったんだもん…………あーあ、慎一君と会ってる時間くらいは笑っていられると思ったのにな。やっぱり、調子、悪いみたい。帰るね」  無理していたのか、歩き始める幸の足元が覚束(おぼつか)ない。僕は幸の腕をガシッと掴んだ。 「危ないから、送ってくよ」 「……ありがとう。大丈夫。実はね、お父さんとお母さんが近くで待ってるの」 「でも……」 「ホントに大丈夫だから。こんな姿、いつまでも慎一君に見られたくないよ」  にっと笑う幸に僕の胸は張り裂けそうな痛みを感じた。 「僕にできる事は…………」  僕をじっと見つめると、幸は口を開く。 「私ね、慎一君を見た時から、この人に恋しようって決めたの……死ぬまで慎一君に恋しててもいいかな」 「……っ。僕だって……幸に……恋してる」 「やった……初恋で両想いなんて、私ってラッキー」  弱々しく笑う幸。何も言えず、ただ見つめている僕。よたよたと去っていく幸の背中に羽が浮かぶ。  僕に舞い降りた天使は、僕を置いて天に帰るのか。  神様は意地悪だ……お願い……僕の天使を奪わないで……
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