あんうん

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 家で出勤の準備をしている時も、なんか楽しくて。事務所に入る時も、普通の日なのにわくわくしていた。  扉を開けたら自然と目当ての人物を探して、目が合うとどちらともなく距離を縮めた。  周りには付き合っていることは内緒だから、接触は避けた方がいいのかもしれない。  それでも俺達は顔を合わせ、微笑みながら挨拶を交わした。 「おはよう紫崎」 「おはようございます」 「今日も一日よろしくな」  一日だけじゃなく、これからも末永く。そんな意味も込めて改めて告げると、彼は理解した様に「こちらこそ」と返してくれた。  それで怪しまれない様、自然にさっと離れ、朝礼を行った。  自分を偽っていた仕事場で、一人だけ。俺のことを全て知ってくれている人が居る。  その人の視線が俺の気を引き締めてくれるし、生活に張りを持たせてくれた。  仕事での注意事項や心構え等をいつも通りハキハキと喋り、締めに入る。 「それじゃあ今日も一日よろしくお願いします!」  元気の良い社員達の返事を聞いた後、外に出掛けていく紫崎達作業員を見送る。  その時に、紫崎とアイコンタクトを取った。 (今日も頑張ろっ)  一瞬だけど幸せな気持ちに浸りながら、彼を送り出して俺も仕事に取り掛かろうとした。  が、自分のデスクに座る前に課長が目の前に立ちはだかった。 「皐月くん、ちょっといいかい?」 「はい!」  今月末には定年退職を迎える課長。課の仕事はほとんど俺に任せてくれていた。でも丸投げじゃなく、ちゃんとフォローしてくれるし、責任も果たしてくれている。穏やかだけど、かなり頼りになる人だった。  この人のお陰で、俺は自由にのびのび働けている。  最近は、仕事の引き継ぎや後任に関する話が課長から出ていたから、多分その話だろう。  そんな大事な時期に、俺はパニクって退職願を出そうとしていた。  だから今は反省して、より真面目に課長の話を聞こうと務めている。  俺が聞く姿勢で居ると、課長はゆったりとした口調でにこやかに話し出した。
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