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「今日はお時間頂きありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ遠い所からありがとうございました。来月からはどうかよろしくお願いしますね」
立ち上がり、お辞儀しながら打ち合わせの締めに入り始めた二人。
俺は課長の隣に立ち、ほっとしていた。
引き継ぎに関する話し合いはだいたい二時間程。
世間話とかも含めての話だったから、わりと長引いたけど。作業員達が戻ってくる昼休みの時間までまだもう少しある。
だから今日は水無瀬さんと紫崎の対面はなさそうだと思っていた。
しかし。
「あの、来月赴任する前に事務所の雰囲気をもう少し知っておきたいので、許可頂けるならもう少し見学してもいいですか?」
「えっ」
そして、水無瀬さんはソファとテーブルの間から歩み出て、俺の腕を引っ張った。
「応対は皐月に頼むので」
嫌そうな声を出した俺への嫌がらせみたいに、彼は満面の笑みで俺を隣に引き寄せた。
課長は心が広くてノリの良い人だから、答えは決まっているも同然。
「こちらは構いませんよ。皐月くんと話したいことは多々あるでしょうし、ゆっくりしていって下さい」
「ありがとうございます」
(マジか……)
俺は頬をひくつかせた。
穏やかな笑みを浮かべる課長から、要求が通った水無瀬さんに視線を移す。したり顔で俺を見ていた。最初からこうするつもりだった気がする。
俺は観念し、肩をガックリ落として応接室の扉を開けた。
「係長?」
これからのことを不安に思いながら応接室から出ると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「っ!? 紫崎っ」
今日一番恐れていた、元彼と今彼の対面がここで起こってしまった。
ちょうど、依頼先から戻ってきたらしい。作業員が使う階段のすぐ近くに彼は居た。
汚水の運搬等で、作業員は一度会社に戻ってくることもある。それを頭に入れてなかった。
紫崎は俺の隣に居る水無瀬さんを無表情で見ている。水無瀬さんはきょとん顔。
今は、第一印象が確立する前段階だ。幸い、お互いの位置付けも二人はまだ知らない。
俺がぽろっと喋ってしまわない限りは、安全だと考えた。
とりあえず水無瀬さんを手で指し示し、スタンダードな紹介をすることにした。
「紫崎、この人は来月から新しくここに配属される課長の水無瀬さんだ」
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