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「昨日の、意味わからなかったんですけど……何か変な事考えてないですよね?」
「べ、別に変な事なんて考えてないぞ……」
(昨日のって、どれだ……)
冷や汗を掻きながら笑う俺と、俺を怪しむみたいに睨む紫崎。
事務所内で異様な雰囲気を放つ俺達に、他の社員達が注目し始めていた。
勘繰られるのも避けたいと思っていたら、タイミング良く始業のチャイムが鳴る。
あからさまな笑顔を浮かべて、彼に見える様に腕時計を指差した。
「と、とりあえず……朝礼始めるから……紫崎、整列してくれ」
「……後で話、しますから」
不服そうではあるが、紫崎は素直に他の作業員達の列へ交ざっていた。
朝礼は、いつもよりテンション低め。終始、一人の視線が気になって仕方がなかったが、何とか終えられた。
俺の変化を気にして声を掛けてくれる優しい部下達にいくらか癒されたけれど。今日、この天国からはおさらばしないとならない。
自分のデスクで茶を啜る課長の方へ歩み出し、俺はジャケットの懐に手を差し込んだ。
表情が強張っていて、さながら拳銃を取り出す犯人の様。だが、取り出そうとしているのは退職願。
(紫崎を襲ったんだから、責任は取らないとな……)
課長との距離を詰めて、デスク前に立ち尽くし、極限状態みたいに荒く呼吸して。
「課長っ、お話がっ」
覚悟を決めて持っていた物を周囲に晒そうとした時。
「すみません。係長借ります……」
上の方を振り返ったら、仏頂面した紫崎に羽交い締めにされ、俺はそのまま連行された。
引き摺られていく俺を目にして、部下や課長がどんな気持ちになっていたかは知らない。けれど、現状よりも在らぬ誤解が生まれそうだった事は云うまでもない。
─ ─ ─ ────
空いていた会議室に連れ込まれると、後ろから退職願を紫崎に掠め取られた。
「あっ」
咄嗟に振り向き、俺は焦る。
「初めて見た、こういうの」
しみじみそう告げたと思ったら、彼は何の躊躇いも無くそれを破り捨てた。
そして、半分になって床に散らばる退職願を目で追った後、紫崎の顔を見れば激怒状態で。身が縮み上がった。
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