第二章:DANGEROUS

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第二章:DANGEROUS

 静寂の中、誰もが惨状に呆然としてしまう。  先程まで(わめ)いていた織兵衛は、血を垂れ流して倒れている。折れ曲がった体勢でぴくりとも動かない。  もう死んでいるだろう。  安路は心のどこかで確信していたが、何も出来ずに立ち尽くしていた。 「どいて!」  沈黙を引き裂き、時を動かしたのは明日香だった。  守を突き飛ばし、横たわる織兵衛に駆け寄り首筋に指を沿わせる。脈をとっているのだ。 「駄目、もう……」  だが、結果は死亡が確定しただけ。涙目の明日香はふるふると首を振る。  やはり、これは死体なのだ。生で見るのは初めてだ。患者仲間が亡くなる経験はあるが、死の瞬間を目の当たりにしたことはなかった。 「あ、あなたのせいよ」  玲美亜がキッと下手人(げしゅにん)へと目角(めかど)を立てる。 「な、なんだよ」 「あなたは人殺し、れっきとした罪人よ。いいえ、それだけじゃない。参加者が一人減ったせいで、あの文の条件が達成出来ないのよ」  “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める” 「つまり私達は、この場所から二度と出られないってことよ!」  そういう意味か。  どうして考えが及ばなかったんだ、と安路は自責の念に駆られる。  文章では“悔い改めし者が座する時”とあるが、それすなわち、座る者が何らかの自発的アクションを取るのが条件ということ。しかし、織兵衛が死亡し、座るべき六人に欠員が出た。これでは一人足らず条件は達成されず。デスゲームのクリアは不可能だ。 「これだから後先考えない低脳男は! あなたのせいで何もかも台なしよ!」  唾棄(だき)する勢いで玲美亜がまくし立てていると、 「なんで、なんで私がこんな目にぃいいぃいっ!」  今度は明日香の慟哭(どうこく)木霊(こだま)した。 「いつも私ばっかりぃいぃいいぃっ!」 「ちょ、落ち着いて下さい、申出さん!」  だだっ子のように手足を滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にばたつかせている。誰よりも早く生死を確認した人と同一人物とは思えぬ変貌(へんぼう)ぶりだ。  安路は(なだ)めようと震える肩に手を添えようとして、 「触らないでっ!」  指先が触れた瞬間、はたかれた。 「痴漢、セクハラ、強制わいせつだからっ!」 「えっ、え?」  彼女は、一体何を言っているのだろう。  安路の思考は完全に停止していた。否、他の者も、明日香の奇行に戸惑いを隠せずにいる。 「女性に触るのは犯罪って知らないの!?」 「べ、別に悪気があった訳じゃないんだけど……」 「そんなの関係ない! 男は生まれながらに(おおかみ)、ケダモノ、犯罪者なのよ! ちゃんと自覚しないと駄目なの!」  全く話についていけず、目が点になってしまう。  昭和時代の曲にそんな歌詞があったのは知っている。安路に割り当てられた生き物が狼というのもその通り。だが、ケダモノや犯罪者呼ばわりされるとは。  生きるか死ぬかの瀬戸際で気にすることか。実際に死者が出ている以上、もはや些末事(さまつごと)と言わざるを得ない。  まさか、これ程過激な思想だったとは。  書店で見つけた新書で、大方の人物像は知っていた。が、文字の羅列と実際の行動では印象が大違いだ。  “真の女性に男はいらない”。著者、申出明日香。  結婚や出産は当然という空気、女性は常に美しくあるよう努力するべきだ。そんな男尊女卑の社会、女性らしさの押し付けが蔓延(はびこ)る世の中で、いかに自分らしく生き抜くか。著者の男に(まつ)わる苦難の人生を踏まえつつ、未来を生きる女性の心構えがみっちり詰まった一冊である。  どうやら、明日香は一部界隈で有名人らしい。安路には縁のない話で、ピンとこなかったのだが。 「あのぉ、申出さん?」  また過剰な反応をされると困るので、そっと腰を低くして声をかける。 「申出さんの本、読みました。僕はまだその域には達していませんけど、とても頑張っているなって思いました」  我ながら、小学生の読書感想文並に無味乾燥だと嫌になる。  だが、仕方ない。人が死んで切羽詰(せっぱつ)まった状況だ、これ以上余計な軋轢(あつれき)を生まぬようにしなくては。 「……ホント?」  明日香の仏頂面が、ぱっとフラワーショップのように華やぐ。  一言褒めただけでこの威力とは、驚きである。 「で、でもあたし、よく“生意気だ”って批判されるし、運も悪くて酷い目に遭うし……」 「ひ、批判なんて気にしちゃ駄目ですよ。僕なんて、病弱なせいで悪口は日常茶飯事だし。それに運が悪いなんて、ここにいる全員がそうですから。一人で抱え込まず、みんなで解決しましょうよ!」  参加者が一人死亡し、ゲームクリアが不可能になったかもしれない。  しかし、まだ希望は(つい)えていないはず。  主催者が設定した条件は無理でも、裏技――ルールを無視し、この施設から脱出すればいい。むしろ、誰を座らせようかと蹴落とし合うよりずっと健全だ。 「なぁ。もうおしまいだ、なんて決まってねーよな?」  ずるずる、ずるずる。  守が、何か重たい物を引きずっている。 「満茂さん、それって……」  中腰姿勢で運んでいたのは血塗れの織兵衛だ。足首を掴み、手近な椅子――門を前方として、右側の前から二脚目――までずるずると。傷口から漏れた赤い色が、血の(わだち)を描いている。 「ほらコイツさ、座りたがってたろ? だからさ、冥土(めいど)土産(みやげ)によぉ……――どっこいせっと!」  守は死体の(わき)に両手を差し込み持ち上げる。 「ほら、よっ!」  手を離すと織兵衛の体は支えを失い、重力に従いどっかり腰かける。継ぎ接ぎの椅子が激しく(きし)む。だが、壊れる様子はない。老人の死体を取りこぼすことなく受け止めていた。  すると直後に――ガチャッ。椅子の内部で何かが起動した。 「うおわっ!?」  至近距離の守が一番に飛び退いて、つられて他の者も後ずさる。  この施設の中で最も怪しかった器具が、遂にその全貌を明らかにするのか。ガチガチと響く椅子の(うな)りを前に、誰もが固唾を呑んで見守る。  そして、それは飛び出した。  ――ガシャンッ!  肘掛(ひじか)けにあたる部分の下部から、本体同様の錆び色をしたベルトが伸びる。薄い金属の板らしい。ベルトはあっという間に織兵衛に巻き付き、その体を座席に固定した。  椅子はそれ以上の動きを見せず、再び室内は静まりかえる。 「は、はは、ははは」  守が乾いた笑いを漏らす。  椅子の仕掛けは想像より優しかった。忌憚(きたん)なく言うのなら拍子抜けだ。  拷問道具あるいは処刑道具と恐れていた。が、(ふた)を開けてみれば、ベルトで拘束されるだけだ。デスゲームと称する割に肩透かしである。もっとも、拘束されれば二度と抜け出せないだろう。甘く見てはいけない。 「モニターを見なさい」  恵流が患者衣の(そで)を引っ張った。  何事かと彼女が指さす先を見ると、表示が変わっている。蝸牛(かたつむり)のマークは点灯したまま、その隣の“笛御織兵衛”の名前が消えていた。  何故、このタイミングで。  織兵衛が死亡しても変化しなかったのに、椅子に座ったら名前が消えた。  まさか“六名の罪を悔い改めし者”の一人としてカウントされたのか。否、既に死亡した者が座って“悔い改め”た扱いはおかしい。これでは、六人分の死体を集めて座らせるだけで、生き残った最後の一人がゲームクリア扱いになってしまう。 「どうやら、デスゲームは続行らしいな」  にたり、と守の口角が(いびつ)な三日月を描く。お得意の恫喝(どうかつ)とは別種の恐れを抱かせる、胸の奥が凍えそうな笑みだった。
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