第二章:DANGEROUS

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※  久しぶりに取り乱してしまった。 「はぁ。悪い癖だよね」  通路を一人歩きながら、明日香は深く溜息をつく。  思い通りにならないと、我を忘れて泣き喚いてしまう。三つ子の魂百までと言うが、幼少期の癖が抜けないのは厄介である。  子供時代なら別に良い。泣けば誰かが助けてくれる。口喧嘩で負かされても、こちらが涙を見せれば形勢逆転。それ以上責めてこなくなる。  しかし、歳を重ねれば逆効果。中学生になると打って変わり、「泣けば許されると思っている女」というレッテルを貼られてしまった。  その経験から、平常心を保つよう気を張り続けた。自分を押し殺してきた。  窮屈(きゅうくつ)で生きづらい環境。日々|(ほぞ)を噛む思いだった。 「ホント、酷過ぎて困っちゃう」  周りは敵ばかり。  学校だけではない。両親は厳しく学生生活を束縛、就職先でも人間関係が悪化。いつも占いで凶を引いている気分。とかく人に恵まれないのだ。  酷さといえば、就いた職業も問題である。  子供と遊ぶのが好きだから保育士になったが、その実態は朗らかなイメージと真逆。命を預かる立場として責任重大で気を抜く暇などない。なのに山のような書類に追われ、ろくに休めず日々睡眠不足。給料が良ければまだしも、得られた賃金は(すずめ)の涙。責任と給料の釣り合わなさに辟易(へきえき)する。  と、溜まりに溜まった不満をSNSに吐き出していたのだが、それが人生を変える転機になった。  共感した人が次々とフォロワーになり、その人気に目を付けた団体に引き抜かれ、あれよあれよという間に同志を牽引(けんいん)する先導者になったのだ。おかげで自身の思想――生きづらさを抱える世の女性を勇気づける言葉を(つづ)った著書を出版。運勢最悪だった人生が一気に花開いた。  もう昔の自分には戻らない。  幸福と充実の絶頂を謳歌(おうか)し続けるのだ。  しかし、先程の出来事は衝撃的で、思わず感情が爆発してしまった。  織兵衛の死のせいではない。それよりも玲美亜の推測した、クリア条件が揃わなくなった方が問題。もう助からない、と絶望しかけたのだ。もっとも、幸いデスゲームは続行、全て杞憂(きゆう)で済んだのだが。  しかし、そうなると別の問題が発生する。死体でも“罪を悔い改めし者”扱いなら、他の誰かが皆殺しの手段に出るかもしれない。そうなれば、身を守る(すべ)は絶対必須。だが、明日香は一般女性の平均並の体力しかない。武術にも(うと)い。ついでに武器もなく、むしろ男性陣が武装している始末。鬼に金棒。襲われればひとたまりもない。 「となると、やっぱ武器だよね」  そこで明日香が訪れたのは、歯科医院“ヘルノデンタルクリニック”だ。書店とフードコートの間に建てられた小さな区画。白く無機質な外観で、看板にはデフォルメされた歯の絵が描かれている。  どこかに武器が隠されているはず。  なんとしても身を守る手段を手に入れなくては。  本当はクロスボウが欲しかったが、UFOキャッチャーの景品では足踏みしてしまう。プレイ経験はあるが入手出来るか不確定。また、全員がクロスボウの存在を知っており、強力な武器を巡り争奪戦になりかねない。  そのため、敢えて人が寄りつかないだろう歯科医院にやってきたのだ。 「うわぁ、暗いなぁ」  院内は一般的な歯科医院と変わらないが、照明が点いておらず薄暗い。狭さも相まりコンクリートの部屋よりどんよりしている。  待合室を通り抜けて奥へ向かうと、そこには治療用の椅子――ユニットというらしい――が三つ並んでいるだけ。水が出る以外、これといった収穫はなし。武器になりそうな器具は何一つ見当たらなかった。 「空振りかぁ」  当てが外れた。  落胆して待合室のソファーに座る。  またも運のなさが発揮されたらしい。  忌々(いまいま)しく思いながら顔を上げると、虫歯防止の標語ポスターが目に入った。  それは小学校低学年くらいの児童が描いたような絵だった。イガイガ虫歯菌の大群を前に、(おの)で退治する子供の様子が描かれている。下部に載せられた標語は“虫歯を倒せ! 武器はお尻の先!”という意味不明な文章だ。  虫歯防止で何故お尻が出てくる。口と肛門では入れると出す、真逆の穴だ。雑菌の多さから口の方が汚い、という話はあるものの関係ないだろう。 「あっ。これ、もしかして」  そこで(ひらめ)きの電流が走った。  武器の隠し場所は無駄に凝っているらしい。それならこのポスターも、武器のありかを示すヒントなのではないか、と。 「お尻、お尻、歯医者でお尻……」  明日香はあまり頭が良くない。なぞなぞも不得手だ。  しかし、今日は珍しく()えていた。命が懸かっているせいだろうか。火事場のくそ力頭脳版かもしれない。自分でも驚きだった。  歯科医院に似つかわしくないお尻という要素、それが指し示すものとは何なのか。 「あはっ。見ぃつけた♪」  その答えは、明日香が座っていたソファーの下。  薄暗い部屋の更に暗い隙間を覗き込むと、そこには斧が隠されていた。手斧と呼ばれる小ぶりなサイズの物だ。 「でも、これだけじゃ心配だよね」  本来は(まき)割りに用いる道具。人の頭もかち割れるが、命を奪うのは本来の用途ではない。それに非力な明日香が使いこなせるのか(はなは)だ疑問。  やはり協力者――出来れば男の仲間が必要だ。  現在明日香が提唱する思想では、男は女性の敵で潜在的に皆ケダモノ。しかし今は有事なので話は別。何がなんでも引き入れたい。  では、誰を味方に付けるべきか。  選択肢は守、安路、春明の三人だ。  まずは守。彼は論外だ。野蛮な性格が気に食わない。それに織兵衛を事故死させて精神的に不安定。むしろ、いの一番に襲いかかってきそうである。  次に安路。彼は悪くない。理屈っぽい性格が鼻につくが、冷静に状況を考察する姿勢は高評価だ。何より(くだん)の著書を読んだらしく、その成果を褒めてくれた。しかし、彼は病人だ。身体能力は自分より劣るだろう。それに低身長がマイナス点。女子と変わらぬ体格は男としてどうなのか。  となると、残るは春明だけだ。彼は外国人らしく彫りの深い端整な顔立ち。しかも高身長で筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の鍛え抜かれた肉体。ボディガードとしても彼氏としても優良物件。服役中の囚人というのがネックだが、彼を味方に引き入れるのが一番得ではないか。 「ふふっ。今こそ、もう一つの武器の使い時かな」  どんな男でもたちまち無力化する、女性が生まれながらに備えている最終兵器。  自身の美貌(びぼう)、そして魅力溢れる肉体。  三十路(みそじ)を間近に控え化粧で底上げしているが、かつては男が――良くも悪くも――大勢群がり求めたのだ。今だって、その気になれば簡単に籠絡(ろうらく)出来るはず。  明日香は自信たっぷりにほほ笑んだ。
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