第二章:DANGEROUS

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※  衣料品店“Gene Do”のレジカウンターが荒らされている。 「ない、ない、ないっ。ここもハズレなの!?」  武器が見つからず、玲美亜は焦りと苛立ちの悲鳴を上げる。  屈強な男性二名が武装する中、か弱い女性は丸腰。襲われたら抵抗する間もなくあっさり死亡、ジ・エンド。  守は精神不安定、春明は囚人で危険極まりない。  早く対抗手段を手に入れなくては。  焦燥感は募るばかり。喉がみるみる渇いていく。 「まったく、何が“運が悪い”よ。私の方がよっぽどなんだから!」  思い起こされるのは、先程明日香が吐露(とろ)した言葉だった。  運の善し悪しなど、人生において大した差異はない。むしろ「運が悪かったから仕方ない」と諦めもつくだろう。突如降りかかる天災に近い。人の力ではどうしようもない領域なのだ。  それよりもっと辛いのは、信じたものに裏切られることである。 「真面目にやってきたのに、報われない世の中の方がおかしいのよ!」  幼少期、玲美亜は素直で一途な子だった。  両親や教師の言葉は全て正しい。言いつけを守ればきっと幸せになれる。盲目的にそう信じ、大人の期待に応えようと努力してきた。おかげで成績は常にトップクラスだ。  しかしその一方、友人は一人もいなかった。真面目一筋な玲美亜は遠ざけられがち。ガリ勉だけが取り柄の人間は、スクールカースト最底辺なのだ。 「丹波さんってつまらないよね」 「全然オシャレじゃないし、流行(はや)りのドラマも見てないし」 「いるだけで空気が重いっていうか、幽霊みたいっていうか」 「関わりたくない人ランキング、ぶっちぎりでナンバーワンでしょ」  というのが、当時のクラスメイトの評価である。  いない者扱いが基本で無視され続けた。もっとも、本人は気にしなかった。低脳な周囲は気にせず、勉学にだけ励めばいい。優秀さに磨きをかけて見下してやる、と。  しかし、その願望はいとも簡単に打ち砕かれる。  玲美亜の成績は、とある生徒に追い抜かれた。  自分より頭脳明晰な女子の登場だ。  もしそれが玲美亜と同じ、ガリ勉だけが能の人間なら、どれほどよかっただろうか。  その子は誰とでも仲良くなる天性の才能を持ち、クラスメイトの大半がお友達。スポーツも得意で、皆に愛される人気者だ。  愕然(がくぜん)とした。  自分の努力は何だったのか。  人格全てを否定された気がして、日々枕を濡らし唇を噛みしめる。  だが、真の試練はもっと後。  高等学校卒業後、大学生活や就職活動で求められたのは、コミュニケーション能力と女性らしい愛嬌。玲美亜にない、これまで(ないがし)ろにしてきたスキルである。  化粧すら経験がなく知識もない。最低限の水準を身に着けるだけで一苦労。友人が皆無の玲美亜にとって、飲み会や合コンで男性と話すのは重労働。灰色一色のキャンパスライフだった。  勉強さえ完璧なら幸せになれるのではないのか。  校則で化粧や不純異性交遊を禁止した意味はなんだったのか。  従順にしてきた正直者ばかりが苦労し馬鹿を見る世の中を正しいと言えるのか。  大人にとって都合の良い子供にするために。反抗しない育てやすい子供にするために。後先考えない教育をしたくせに、いざ育成に失敗すれば「(あずか)り知らぬ」と(てのひら)返し。  なんたる無責任。裏切りだ。  信じてきたものは有害無益でしかなかった。 「まだ結婚しないの?」 「誰か良い相手がいるでしょ」 「早く孫の顔が見たいのよねぇ」  母親からの催促が辛かった。  血反吐を吐く思いで就職したら、すぐにコレである。  誰のせいで真面目なだけの、面白味ゼロの人間になったと思っている。おかげで人は寄りつかず、男性どころか同性の友達すらいないのだ。良い出会いなどない。逆立ちしても無理だろう。  と、諦観していたが、意外にも運命の出会いはすぐ訪れた。 「ぼ、僕と、つつ、付き合ってくれませんか!?」  入社したばかりの後輩が、愛の矢印を猛烈に向けてきたのだ。  その後輩男性は――人のことをとやかく言えないが――冴えない男だった。顔面偏差値は平均かそれ以下、体格は中肉中背の平凡さ。一歩踏み外せば、古の秋葉原に生息していそうだ。 「そ、そんな、私、つまらない女だし」  と、言いつつも、内心歓喜の舞を踊っていた。  人生で初めての愛の告白。嬉しくないはずがない。なんだかんだ理屈をこねつつも、玲美亜はその男を受け入れるのだった。  ほどなくして後輩は夫となり、玲美亜は妊娠を機に寿退社。初めての出産は不安だったが、安産でするりと産まれてくれた。女の子だった。  恋愛、結婚、出産。世間一般で幸せとされるステータスを達成出来たのだ。  しかしここから、玲美亜の人生は谷底へと急転直下で落ちていく。
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