第三章:INVASION

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第三章:INVASION

※  “ヘルノデンタルクリニック”を退店した明日香は、向かいのトイレに寄った後、手斧を小脇に抱えて周囲を見回す。  イケメンでセクシーな男、春明はどこにいるだろうか。  彼をボディガードとして雇いたい。お代は女体、性を対価に肉の壁になってもらうのだ。  全ては自分が生き残るために。 「あ、いるじゃん」  春明は案外近くにいた。  すぐ隣の“書天堂”内レジカウンターで読書中だ。余裕なのはお国柄か、それとも荒事に慣れているのか。どちらにしろ、頼り甲斐がありそうだ。 「ね~え、春明さぁん。ちょっといいかな?」  注文客のようにひょっこりと。明日香は十代頃の猫なで声を再現する。両の(わき)を締めて胸の谷間をぎゅっと強調。ただでさえ豊満なそれは、よりたわわに実った果実だとアピールする。  大抵の男はこれで(くぎ)付け。湧き上がる情欲を抑えられず、ある者は口説こうとし、またある者は前屈みにもじもじする。  しかし春明は、 「ワタシ、暇に見えるか? 邪魔するよくないですよ」  興味なさそうに読書を続けている。  まさかの完全スルーだ。  刑務所生活で性欲が溜まっているはずなのに。大人の女性を恐れ()み嫌う、こじらせ童貞かヘタレロリコン男なのか。それとも、自分の魅力が全盛期より大幅ダウンしたのか。  後者の可能性が高い。実際三十路(みそじ)が目前に迫っている。アラサーに踏み入れた時点で、女性の武器は年齢と共に目減りすると判断。現在の“真の女性に男はいらない”思想に切り替えたくらいなのだ。  見通しが甘かった。口惜しさに目尻をひくつかせてしまう。 「えー、聞いて下さいよぉ。あたしぃ、春明さんに頼みたいことがあるんですぅ」 「ワタシに得あるですか? ないでしたらマネキンに聞くする建設的です」 「もちろんお得ですってぇ」  こうなれば粘り強くゴリ押しだ。  しつこく喧伝(けんでん)すれば自然と賛同者が集まり、反対する者も折れて心変わりする。  そのセオリーを、これまでの活動で学んできたのだ。  執念深く隙を突き、勝機を見出してみせる。 「春明さんって、とぉ~っても強そうじゃないですか。だからぁ、あたしのことを守ってほしいかなぁって」 「まぁ、鍛えるしましたから。自己流ですけど」  よし、褒めたら食いついた。  春明はこちらを一瞥(いちべつ)二瞥(にべつ)。目線が興味を示している。 「ほら、なんか不穏なかんじっていうかぁ、守さんの様子が変じゃないですかぁ。また人を殺しちゃいそうな危なさ、みたいな?」 「同意しますですね。今にも血の祭り始めそう感じするです」  昔から、あの手の輩が苦手だった。  若い頃は不良、大人になれば「当時はやんちゃだった」と武勇伝。被害者の気持ちはお構いなし。更生したから偉い、というねじ曲がった自己肯定感も性質(たち)が悪い。まさに自己中心的な人間だ。  そんな奴に殺されるなんてまっぴら御免。自殺する方がまだマシだ。 「あたしぃ、無事にここから出たいだけなんですぅ。そのために、春明さんとは手を組みたいっていうかぁ」  というのは建前だ。嘘ではないが本当でもない。  彼はあくまでも盾代わり。自分が助かるためなら平然と切り捨てる。  女性は(したた)かなのだ。単純な男と一緒にしないでほしい。 「ワタシ、貰える利益は?」 「それは当然、あたしを好きにしちゃっていい権利、ですよぉ。これでもあたしぃ、色んな男の人を楽しませてきたんだもん。きっと満足出来ますよ?」  核心を突く質問にも迷いなく答える。  体を売ることに躊躇(ためら)いはない。それで命が保証されるなら安いものだ。  これこそ、生まれながらに持つ最高の武器なのだから。 「女性に触れるは犯罪、じゃなかったですか?」 「そ、それは……」  だが、春明は鋭く矛盾を指摘する。  自身が掲げる思想と真っ向から対立する、女性の武器の行使。冷静に考えればダブルスタンダード。論破するのは容易いだろう。  余計なことを口走ってしまった。取り乱したのが尾を引いている。  どう言い訳すればいいのだろう。大慌てで思考を巡らせていると、 「まぁ、いいです。ワタシが明日香を守るしましょう」  意外にも、春明は取引に応じてくれた。  何よもう、焦ったじゃない。  計画がご破算になったかと肝を冷やした。やはり男はチョロい。性欲優先の単純な生き物でしかないのだ。 「それじゃあ早速、ここで一発しちゃう?」 「いえ、今はしないです」  かと思えば、がっついてくることもなく。黙々と読書を再開している。 「ま、別にいいけど」  正直なところ、イケメンとの快楽を(むさぼ)りたかった自分もいる。  ここ最近、ずっとご無沙汰(ぶさた)だ。「男は不要」と息巻きモテない女性を味方につけるため、異性関係がすっぱ抜かれぬよう我慢の日々。男はケダモノだが、性欲を満たすには必要不可欠だ。自慰(じい)で済めば苦労しない。  と、肩透かしに溜息をついた瞬間、口を塞がれた。 「むぐっ!?」  岩のような手がぴったりくっつき離れない。唇がのり付けされたみたいだ。振り(ほど)けそうにない。  前言撤回。早速がっついてきた。  こういう時、力の弱い女性は辛い。男の暴力には対抗出来ない。なすがままだ。やはり男は単純で、卑怯な生き物である。  侮蔑(ぶべつ)の色で春明を睨みつけると、 「静かに。あなたを襲うしません。クールダウンするの大事です」  などと供述(きょうじゅつ)してくる。 「むっ?」 「“Gene Do”から守出てくるました。野球のバット赤い色しているです」 「むぅ!?」 「きっと、玲美亜の血。肉叩きされた確実でしょう」  どうやら、嫌な予感が当たったらしい。  遂に守がおかしくなった。このまま全員殺し、自分だけ脱出するつもりなのだろう。 「隠れるしてやり過ごす。それ一番でしょう」 「むぐ」  春明に従い、レジカウンターの陰に身を縮こませる。体格の良い男と一緒では窮屈(きゅうくつ)だが、文句を言える状況ではない。  本格的に命懸けのゲームが始まってしまった。泣こうが(わめ)こうが、もう後戻りは出来ないのだ。
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