49人が本棚に入れています
本棚に追加
第三章:INVASION
※
“ヘルノデンタルクリニック”を退店した明日香は、向かいのトイレに寄った後、手斧を小脇に抱えて周囲を見回す。
イケメンでセクシーな男、春明はどこにいるだろうか。
彼をボディガードとして雇いたい。お代は女体、性を対価に肉の壁になってもらうのだ。
全ては自分が生き残るために。
「あ、いるじゃん」
春明は案外近くにいた。
すぐ隣の“書天堂”内レジカウンターで読書中だ。余裕なのはお国柄か、それとも荒事に慣れているのか。どちらにしろ、頼り甲斐がありそうだ。
「ね~え、春明さぁん。ちょっといいかな?」
注文客のようにひょっこりと。明日香は十代頃の猫なで声を再現する。両の腋を締めて胸の谷間をぎゅっと強調。ただでさえ豊満なそれは、よりたわわに実った果実だとアピールする。
大抵の男はこれで釘付け。湧き上がる情欲を抑えられず、ある者は口説こうとし、またある者は前屈みにもじもじする。
しかし春明は、
「ワタシ、暇に見えるか? 邪魔するよくないですよ」
興味なさそうに読書を続けている。
まさかの完全スルーだ。
刑務所生活で性欲が溜まっているはずなのに。大人の女性を恐れ忌み嫌う、こじらせ童貞かヘタレロリコン男なのか。それとも、自分の魅力が全盛期より大幅ダウンしたのか。
後者の可能性が高い。実際三十路が目前に迫っている。アラサーに踏み入れた時点で、女性の武器は年齢と共に目減りすると判断。現在の“真の女性に男はいらない”思想に切り替えたくらいなのだ。
見通しが甘かった。口惜しさに目尻をひくつかせてしまう。
「えー、聞いて下さいよぉ。あたしぃ、春明さんに頼みたいことがあるんですぅ」
「ワタシに得あるですか? ないでしたらマネキンに聞くする建設的です」
「もちろんお得ですってぇ」
こうなれば粘り強くゴリ押しだ。
しつこく喧伝すれば自然と賛同者が集まり、反対する者も折れて心変わりする。
そのセオリーを、これまでの活動で学んできたのだ。
執念深く隙を突き、勝機を見出してみせる。
「春明さんって、とぉ~っても強そうじゃないですか。だからぁ、あたしのことを守ってほしいかなぁって」
「まぁ、鍛えるしましたから。自己流ですけど」
よし、褒めたら食いついた。
春明はこちらを一瞥、二瞥。目線が興味を示している。
「ほら、なんか不穏なかんじっていうかぁ、守さんの様子が変じゃないですかぁ。また人を殺しちゃいそうな危なさ、みたいな?」
「同意しますですね。今にも血の祭り始めそう感じするです」
昔から、あの手の輩が苦手だった。
若い頃は不良、大人になれば「当時はやんちゃだった」と武勇伝。被害者の気持ちはお構いなし。更生したから偉い、というねじ曲がった自己肯定感も性質が悪い。まさに自己中心的な人間だ。
そんな奴に殺されるなんてまっぴら御免。自殺する方がまだマシだ。
「あたしぃ、無事にここから出たいだけなんですぅ。そのために、春明さんとは手を組みたいっていうかぁ」
というのは建前だ。嘘ではないが本当でもない。
彼はあくまでも盾代わり。自分が助かるためなら平然と切り捨てる。
女性は強かなのだ。単純な男と一緒にしないでほしい。
「ワタシ、貰える利益は?」
「それは当然、あたしを好きにしちゃっていい権利、ですよぉ。これでもあたしぃ、色んな男の人を楽しませてきたんだもん。きっと満足出来ますよ?」
核心を突く質問にも迷いなく答える。
体を売ることに躊躇いはない。それで命が保証されるなら安いものだ。
これこそ、生まれながらに持つ最高の武器なのだから。
「女性に触れるは犯罪、じゃなかったですか?」
「そ、それは……」
だが、春明は鋭く矛盾を指摘する。
自身が掲げる思想と真っ向から対立する、女性の武器の行使。冷静に考えればダブルスタンダード。論破するのは容易いだろう。
余計なことを口走ってしまった。取り乱したのが尾を引いている。
どう言い訳すればいいのだろう。大慌てで思考を巡らせていると、
「まぁ、いいです。ワタシが明日香を守るしましょう」
意外にも、春明は取引に応じてくれた。
何よもう、焦ったじゃない。
計画がご破算になったかと肝を冷やした。やはり男はチョロい。性欲優先の単純な生き物でしかないのだ。
「それじゃあ早速、ここで一発しちゃう?」
「いえ、今はしないです」
かと思えば、がっついてくることもなく。黙々と読書を再開している。
「ま、別にいいけど」
正直なところ、イケメンとの快楽を貪りたかった自分もいる。
ここ最近、ずっとご無沙汰だ。「男は不要」と息巻きモテない女性を味方につけるため、異性関係がすっぱ抜かれぬよう我慢の日々。男はケダモノだが、性欲を満たすには必要不可欠だ。自慰で済めば苦労しない。
と、肩透かしに溜息をついた瞬間、口を塞がれた。
「むぐっ!?」
岩のような手がぴったりくっつき離れない。唇がのり付けされたみたいだ。振り解けそうにない。
前言撤回。早速がっついてきた。
こういう時、力の弱い女性は辛い。男の暴力には対抗出来ない。なすがままだ。やはり男は単純で、卑怯な生き物である。
侮蔑の色で春明を睨みつけると、
「静かに。あなたを襲うしません。クールダウンするの大事です」
などと供述してくる。
「むっ?」
「“Gene Do”から守出てくるました。野球のバット赤い色しているです」
「むぅ!?」
「きっと、玲美亜の血。肉叩きされた確実でしょう」
どうやら、嫌な予感が当たったらしい。
遂に守がおかしくなった。このまま全員殺し、自分だけ脱出するつもりなのだろう。
「隠れるしてやり過ごす。それ一番でしょう」
「むぐ」
春明に従い、レジカウンターの陰に身を縮こませる。体格の良い男と一緒では窮屈だが、文句を言える状況ではない。
本格的に命懸けのゲームが始まってしまった。泣こうが喚こうが、もう後戻りは出来ないのだ。
最初のコメントを投稿しよう!