第一章:LABYRINTH

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※  玲美亜は嘘をついていた。  “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”  モニターに映し出された一文から、集められた者は全員罪人なのでは、という疑いが浮上した時。必死に否定する安路の側につき、玲美亜は「自分にも覚えがない」と弁解した。  しかし、それは真っ赤な嘘だった。 「何よ、何よ、何よ。あんな軽薄そうな男が、なんで家庭なんか持っているのよ!」  ペットショップを覗いてみれば、そこには金属バットを手にした守。てっきり襲われるかと、反射的に悲鳴を上げてしまった。  それに関しては気にしない。叫んだ迂闊(うかつ)な自分にも落ち度はある。しかし、問題なのはその後の言葉。  守は「娘がいる」と言った。  信じられなかった。粗暴で知能が低い底辺男性が、幸せな家庭を築いている。その事実を認めたくなかった。 「私だって……!」  持たざる者の嫉妬(しっと)ではない。  玲美亜にも、愛する夫と一人娘がいた。幸せに満ち溢れていた家庭があった。  あった。そう、過去形だ。  彼女には離婚歴がある。俗な言い方ならバツイチ。現在は孤独な中年女性だ。  その原因こそ、玲美亜が自覚している罪。嘘で誤魔化(ごまか)した背負いし十字架。  自分の娘を死なせてしまったことである。  ゲームセンターを素通りし、衣料品店“Gene Do”に駆け込む。  誰にも会いたくない、見られたくない。  試着室に潜るとカーテンを閉め、(ひざ)を抱えて胎児のように縮こまった。  鏡に映る自分はみすぼらしい。目つきは悪く、体はげっそりと貧相。洒落(しゃれ)っ気のない服を身に纏うただの年増だ。  自身の現状を直視したくない。玲美亜はそっと壁へと目を逸らす。 「どうして、どうしてなの」  真面目一辺倒に生きてきた。  勉強、就職、結婚。順当に経験すれば必ず幸せになれる。親族からの「早く孫を見せろ」という重圧(プレッシャー)にも応えた。  それなのに、自分が幸せになれないなんておかしい。  我が子を失い、不幸のどん底に落ちるなんて、話が違うではないか。  娘は事故死だった。  灰色の青春時代を過ごした自分が、(ようや)く手に入れた人生の輝き。しかしそれは、砂上の楼閣(ろうかく)の如く崩れ去った。  辛くて苦しいばかりの子育てをこなした。良い母親であろうと血反吐(ちへど)が出る思いで努力した。  それなのに、事故を機に周囲はあっさり掌返し。「母親のくせに何をしていた」と罵倒(ばとう)叱責(しっせき)の日々。ろくに子育て支援をしなかったくせに、いざ失敗すれば途端に都合良く責め立ててくる。自分達の非は認めず、母親だけを狙い撃ちだ。子育ては母親の仕事、責任は全てそこに帰結する。そんな時代遅れの常識が蔓延(まんえん)しているせいなのだ。  ともかく、娘の死を機に全てを失ってしまった。  それなのに、どうして。 「あんな奴が……!」  幸せな家庭を築いたという事実が許せない。  守のような、何不自由なくおちゃらけて、後先考えず好き勝手した人間が。何故、自分にないものをたくさん持っているのだ。  真面目だけが取り柄。学生時代は勉強漬け。将来のために青春をかなぐり捨てた。  その結果が、娘の事故死と苛烈(かれつ)なバッシングとは何の冗談か。  不公平。  努力が報われない、真面目な人間が損をする世の中は間違っている。  玲美亜は唇を強く()み締めた。
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