第肆話

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第肆話

 彼は不思議そうに私の顔を見ていたが、やがて、すうっとその顔の輝きが消えていく。 「そう……そうですね……」  呆然として呟く。 「貴方は--さま、ではありません。では……--さまは、何処に行ってしまわれたのでしょうか……。わたくしの--さまは……どうして、わたくしの傍にいないのでしょうか……。こんなにお待ちしておりますのに……ずっとずっと待っておりますのに……」  詠うように言葉は綴られる。  彼はもう既に私のことなど見えてはいないようだった。  それにしても。  --さま。  --。--。  何処かで聞いたことがあるような……。  そう思っていると、突然。 「ああ!」  感嘆の声が上がる。 「--さま!こんなところにいらしたのですね!!」  え………?  誰か……?  そう思って見てみても、そこには誰も居らず、その青年は桜の樹に向かって話しかけている。  桜の……樹の、根元に向かって……?  背筋をぞわぞわと何かが這い回るような、とてつもない恐怖感。  私は一歩後退った。それでも、眼は彼から離せない。  枝垂れ桜の下に降り積もった花びらを、白い両の手で掻き分ける。そうして、その下の土をも。土は掘り返された後のように、妙に柔らかそうで、簡単に払われていく。 「見ぃーつけた」  何を見つけただって……? 「ーー様ったら、こんなところにお隠れになっているなんて。意地悪なさらないでください────ほうら、捕まえた」  彼のその声に、それよりもっと高い、そう、女の声が被って聞こえた。  払い除けられた土の下には、白い何か。  彼はそれを大事そうに両の手で取り出した。    それは────人の頭蓋(とうがい)だった。月光を浴びて、真珠色に輝く。 「ああ……愛しい方……もう、わたくしから離れないで」  その声は、もう完全に女のものに変わる。  彼は──彼女は。  元は柔らかな肉が付いていたであろう、その頬に愛おしげに頬擦りをし、ただ固い歯が剥き出しになっているだけのそこに、艶やかな朱い唇を寄せる。  そして、美しく微笑む。可愛らしい笑い声を立てる。  私は、二、三歩後退ったところで、足が縺れて尻をつく。  それでもなんとか、立ち上がると、桜の森の中をひた走る。  あの鳥居は、あんなに遠かったろうか。  走っても走っても、あの朽ちかけた鳥居は、まだ先にある。  
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