第漆話

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第漆話

 青年は眼をこれ以上ないくらいに大きく見開き、ふんっと鼻を鳴らした。 「アイツ、勝手にオレの顔を真似しやがって」  途端に今までの艶かしさは霧散し、子どもっぽく怒りを表す。 「まあ、そう怒るな。ここに人間はお前しか居らぬ。模するのに調度良いのは、お前だけだ」 「オレの顔で、あんな男とキスするなんて」 「では……口直しをしてやろう」  両の掌で頬を押さえられ、近づいて来る顔は、色っぽさよりも、どちらかと言えば、駄々を捏ねる子どもをあやしているような表情。  唇が重ねられようとしたその瞬間。その間を青年の拳が割り込んでくる。  手に握られているのは、自分の下にあった桜の花。一掴み。  それを、男の口の中に押し込めた。 「……………………」 「華桜(かおう)、おまえの好物だろ。ゆっくり、味わえ」  にやりと意地悪げに笑う。  青年はぴょんと起き上がり、胡座をかいている華桜の片膝の上に座った。 「あ、そうだ。恐怖感の気も好物だったな。良かったな」  腕組みして、あははと笑う。為て遣ったり、という表情だ。  しかし、彼は気づいていなかった。華桜に背を向けて座っている為に。  華桜がどんな表情をしているのか。何をしようとしているのか。 「何を言っている、(かなえ)」  耳許で囁く言葉に甘いものが混じる。  項を隠すふんわりとした髪を、爪の先でそっと掻き分けた。    爪が微妙に肌を滑り、背筋がぞわぞわしてくる。余裕の顔は、もうそれだけで固まってしまう。 「俺の好物はお前に決まっているだろう、供物殿」  髪の下から現れた白い項に顔を寄せ、人間(ひと)よりも長めの舌で嘗め上げる。  叶はふるっと僅かに身体を震わせたが、声が漏れてしまいそうな唇は、食い縛って耐えている。  何度か嘗め上げた後、唇を強く押し付け、吸い上げ、所有の印を刻む。  そして、歯を使って、叶の首に下がっている革の紐を引っ張った。  己れの片側の角がついた紐。   「あ……」  とうとう彼は唇を割って、声を漏らす。  革紐が首を滑り痛みが走り、それが全身に甘い痺れを呼び起こした。   「これは、お前が俺の供物だという証だ」  革紐を口に加えながら、器用に物言う。  やっと反応を示した青年に、満足そうな笑みを浮かべている。  先程の小生意気そうな表情はもう消え、その面に再び艶を滲ませているのを、見なくとも華桜には解っていた。  華桜は口にした革紐を外した。  華奢な背の後ろから腕を回し、ぐっと己れの身体を密着させる。  大きな掌を彼の頭に当て、自分の方に上向かせる。自らもまた、やや身体を傾け叶の顔を覗き込む。  もう片方の手の爪の先で、革紐の先端にある己れの角を弄りながら。  ふたりは、互いの瞳の中に互いがいるのを見た。
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