神判

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─14─ 「インフルエンザって、あのインフルエンザ?」 「はい。今も冬になると流行するインフルエンザです」 「その頃だって、インフルエンザのワクチンってあったよな?」  福原さんは、自分の記憶を遡るように上を向く。 「はい。でもこの村は、元から他の地域との関りが少なかったですし、情報も入って来なかったのです。テレビでも騒がれていませんでしたし。この村では、初めての流行だったのです」  これは田舎特有のものだろう。よそ者を嫌い、新しいことを避ける。『昔ながら』に依存してしまう。 「落ち着きを取り戻した村民は、未知の病を沈静化させた星野孝志を、救世主のように称え、神様のような扱いをしていたようです。そんな中、星野は決定打を打つのです」 「決定打……」  自然と拳に力が入る。 「ある日、一人の村民が星野に、大変な時に先生が来てくれてよかったと言ったのです。すると星野は『神からのお告げがあった』と、答えたそうです」 「神からのお告げ?」  黙っていた篤人が思わず聞き返す。 「はい。はっきりとそう言ったそうです。その話はすぐに広まり、本当の神のように崇められるのも、そう時間はかからなかったと母は言っていました」  冷静になれば、そんなことあるはずないとわかるだろうが、いざ、当時の村民の立場になれば、神にも縋りたい思いだったに違いない。そんな時、タイミングよく現れ、村を救った。そして、神のお告げがあったなど言われたら、信じてしまうのも理解できる。 「星野が村長の座に就いたのは、その後すぐだったようです」 「星野孝志は、インフルエンザの流行をうまく利用したということですね」  村民の不安を逆手に取り、自分が優位に立てる状況を確立したといことか。 「それにしても村長は、インフルエンザを未知のウイルスだと嘘をついていたんですよね? それがわかっても咎めないのはなぜですか?」  篤人は理解できないといった顔で腕を組む。 「最初に気づいていれば、こんなことにはならなかったと思います。しかし、気づいた時には既に、村長の立場は確立されており、村民の半数以上が洗脳されていたのです」  俊さんは、手に持つカップに視線を落とす。 「時すでに遅し……か」  福原さんが頭の後ろに両手を置き、天井を見た。 「さっき、信じることでしかここでは生きていく術がないって言っていましたけど、それってどういう意味ですか?」  あんな酷いことをされ、黙っているなんて俺には無理だ。 「恐怖を体の芯まで植え付けられたからでしょうね」  ずっと隣で聞いていた日奈さんが、呟いた。 「星野は、村長の座に就いてから人が変わったように権力を振りかざすようになったんです。これでも今は落ち着いている方だと周りは言っていますが、当時は悪魔が降臨してきたかと思うほどだったと言っていました」  救世主だ、神だと言われ、彼の中に眠っていた黒い部分が、目覚めたのかもしれない。 「その中でも一番村民を恐れさせたのが、神判です。自分は神の言葉を受け、神の言われた通りにしているだけだと言っていますが、真意はわかりません。村長の意見に背く人は裁かれる。村長に背くということは神へ背くことだと説いていたようです。そうして、どんどん逆らう人はいなくなり、今では週に一度ですが、当時は毎日行われていた会合で忠誠を誓わされ、逆らうことはできないということを植え付けていったのです。なので、私たちは、生まれた時からこの村を出たことはなく、教育も全て村の学校で学びました。もちろん、村長の授業もあり、村長が書いた本を読まされたり、功績を勉強させられたりし、小さい頃から洗脳されてきたのです」  俺の中にひとつの疑問が生まれた。 「行政はなぜこの村を放置しているのですか? 学校も、他の地域から先生が赴任してきたりすると思うのですが」 「そこは謎なのです。なぜ、こんな横暴が見逃されているのか。誰も怖くて暴こうとはしていません」 「うーん、怪しいな」  福原さんが口をへの字に曲げ、腕組みをする。 「みんな死にたくないですから、逆らうことはできないのです……」  日奈さんと俊さんは顔を見合わせた。  誰でもそうだろう。自由に暮らしてきた俺たちには到底わからないこの世界だが、実際目の前で人が理不尽に殺され、毎日毎日、忠誠を誓わされ続けたら、人は洗脳、もしくは諦め、従ってしまうのかもしれない。それが普通の日常になってしまうのだ。  俺は普通に暮らしてきて、自由を実感したことはないが、実際は自由の中で自分で選択し、自分の道を選んできたのだろう。当たり前ができない辛さは計り知れない。 「とりあえず村長のことはこの辺にして、夜も遅くなりましたし、そろそろ就寝しませんか?」  俊さんが手に持っていたカップをテーブルに置き、そう言った。 「そうですね。たくさんお話していただきありがとうございました」  俺がそう言うと篤人が「ここってもしかして、電波はない……?」と、スマートフォンを見せる。 「そうなんです。だから、私たちはケータイ電話を持ったことがありません」 「そ、そうですか……」と、篤人は肩を落とした。 「俺たちは二階へ上がろうか」  福原さんが立ち上がる。  すると、何か思い出したように日奈さんが「あっ……」と、声を上げた。 「どうかしました?」俺がそう聞くと「大事なことを話してませんでした」と立ち上がった。 「月曜日と木曜日は、夜の九時から外出禁止です。絶対に出てはいけません」 「それは、どうしてですか?」 「理由はわかりませんが、昔からのルールです」 「そ、そうですか。わかりました」  俺たちはすぐに逃げ出すんだ。特に気にすることもないだろう。 「おやすみなさい」と、二人に告げ、俺たちは二階へ上がった。
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