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遠い海へと続く道
カランカランと、乾いた金属音のような音が不規則に響く。
どうやらその音は、ぼろぼろの白い自転車が、いくつもの鉄くずを後方にぶら下げたまま、人の歩行速度よりもわずかに早いスピードで走っている音のようだった。
自転車の轍を掻き消す鉄くずの跡。
自転車が通り過ぎた砂だらけの白い地面には、跡が筋のように残っている。
自転車にまたがったまま壮年の男は、無精ひげだらけの汚れた面構えのまま前だけを見据えていた。
白いような灰色のような、空のような砂のような、ここに景色は何もない。
先の戦争で残された躯のような鉄くずが、時折砂だらけの地面から顔を出している。男は鉄くずを見つけると自転車を止め、ゆっくりとした所作で自転車から降りて、鉄くずを拾った。
今までも素手で拾ってきたに違いない。彼の手は黒く汚れてかさかさに乾いていた。その手が握った鉄くずは、そのまま自転車の後ろに垂れさがったロープに新たにくくりつけられた。
自転車が走り出せば、再びカランカランと鉄くずは音を奏でる。
静寂のみが広がる白いような灰色のような世界では、その音だけが男に生きている今を知らしめた。
男は無精ひげだらけの顔で、おそらく薄っすら微笑んだ。
今生きていることが、男にはバカらしくて、少し誇らしかったのかもしれない。
「さあ、きっともうすぐだ。」
男はただ前だけを見据えていた。
その先には、広大な海原が広がっていると人伝に聞いた。
男にとってそんなあいまいな道しるべのみが指針だった。
男の名はグラウという。
先の戦争で、正義の名の下で殺戮を繰り返した「人斬りグラウ」と同じ名であった。
* * *
鉄くずを拾いながら海を目指すグラウが道なき道をカランカランと駆け抜けている最中、一台の自転車とすれ違った。
その自転車はとてもきれいな青色の自転車で、薄曇りの空の下でもピカピカと目に眩しかった。グラウは思わず足を止め、青い自転車が通り過ぎるのを見送った。
青い自転車には背筋の伸びた青年が乗っており、グラウに一瞥くれることもなく通り過ぎて行く。
その後ろ姿をグラウはちらりと見つめ、彼は海から来たのだろうか、とぼんやり考えた。
だとしたら羨ましい。
そんな感情が脳を過って、グラウは小さく笑った。
「かまうな、俺ももうすぐ、」
誤魔化すように声に出して、グラウは再びペダルに足をかけた。
カランカランと、しばらく自転車を走らせた。
やがて、白いような灰色のような砂漠地を抜け、小さな宿場町に到着した。
まばらながら人の気配のする街を、カランカランと音を立てて走りぬける勇気はなく、グラウは自転車を降りて、ゆっくりと、自転車を押しながら道の端を歩いていった。
掘っ立て小屋のような建物がいくつも並ぶ。
どの町にも、必ず鉄くずを買い取る鉄工場があることを知っていたグラウは、キョロキョロと辺りを見渡しながら、カラカラと自転車を押す。
しばらく歩くと、グラウの自転車が奏でる鉄くずの音の比ではないほどの騒音が遠くから轟いた。ガシャンガシャンと、けたたましい。
グラウは無精ひげだらけの顎を何度も擦っては安堵に似た息を吐いた。
ここで鉄くずを売れば、何日かぶりの食事にありつける。
せめて宿屋に泊りたいが、グラウは視線を鉄くずに投げ、今度は落胆に似た息を深く吐いた。
(食事にありつけるだけでもありがたい。)
強がりでもなく当然のように自身に言い聞かせてグラウは再び歩み始めた。
* * *
鉄くずは銅一粒と交換できた。
銅一粒あればパンが買える。
グラウは音のしなくなったボロく白い自転車を押しながら、いくつかの掘っ立て小屋を回り、できるだけ安価で大きなパンを売っている店を探した。
「いらっしゃい。」
やがて一軒の小屋の前を通りかけたとき、中年女性に声をかけられ、思わず足を止めた。
「お兄さん、パンでもいかが?」
中年女性は無精ひげだらけのグラウを真っ直ぐ見据えたまま、柔らかく微笑んだ。
それが営業のための作られた微笑みだとしても、
「………」
グラウは、呆けてしまうくらい嬉しかったのだ。
鉄くずを売るときも、グラウは一言も話さなかった。
鉄くずを買い取る男も、グラウに話しかけることはなかった。
ただグラウは鉄くずを引き渡し、男はそれを受け取り、男はグラウに銅一粒を手渡し、グラウはそれを受け取った。
ただそれだけ。いつものことだった。
「お腹、空いてるんだろ?」
中年女性は微笑みをたたえたまま、グラウに声をかけ続けた。
グラウは咄嗟に言葉を発することができずに、唇を何度も震わせた。
「いくら持ってるの?」
そう問われ、グラウは汚れた手の平に握りしめていた銅一粒を差し出した。
「なら、これだけ買えるよ。買うかい? 」
中年女性は、紙袋に三つのパンを詰め込んで、グラウに見せた。
グラウは目を丸くしたまま、何度も頷いた。
「じゃあ銅一粒はもらうね。あ、これはサービスだよ。持ってきな」
銅一粒は、パン三つとミルク一瓶に姿を変えた。
渡された紙袋はほんのりと温かかった。
「ありがとうね、またおいで。道中気を付けてね。」
中年女性の言葉に、グラウは深く頭を下げた。
白い自転車を押すグラウの脇にはパンの入った紙袋がある。
グラウの顔はほんのりと紅潮し、口元は薄っすらと緩んでいた。
「…こんなに恵まれてて、いいのかな。なあ、メーア」
グラウは、何日も洗っていないシャツの胸ポケットに視線を落として声をかけた。
グラウのシャツの胸ポケットは小さく膨らんでおり、何かしらが忍ばされていた。
それが人骨であることは、グラウしか知らない。
メーアは、グラウの愛する人だった。
グラウはメーアに海を見せてやりたかった。
美味しいものを食べさせたかった。
きれいな服を着せたかった。
たくさん笑ってほしかった。
いい暮らしをさせてやりたかった。
そのために、先の戦争で武勲を上げたかった。
「人斬りグラウ」と呼ばれようとも。
「見つけたぞ!グラウ!」
突然の声に、グラウは驚き、自転車を離してしまった。
自転車はガシャンと大きな音をたてて倒れた。
グラウはパンの入った紙袋を抱えたまま、駆け出した。
その先に、広大な海原が広がっていると信じていた。
グラウはただ、メーアに笑ってほしかった。
ただ、それだけだった。
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