おかえり

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おかえり

 夏も終わるし花火をしようよ。  一か月ほど姿を見せなかったルームメイトが、帰宅して開口一番そう言った。その手には割引シールが貼られた花火セットが一つ。  彼女はいたって元気そうで、何の音沙汰もないことを心配していた旨を伝えれば軽い謝罪が返ってきた。表情はどこか硬いような気がするが、それだけだった。 「心配して損した」  呆れてそう言えば「今度からは書き置きしていくね」と言う。確かに、それがあればまだましかと思い「そうして」と返した。  それよりも、と彼女に急かされて外に連れ出される。だけど、彼女はここで待っててと言って、私と入れ替わりに家に入っていった。しばらくして、彼女はマーマレードジャムが入っていた中瓶に水を汲んで戻ってきた。 「ジャムまだあったでしょ」 「適当な皿にうつしといた」  ジャムは彼女の母が仕送りで送ってきてくれたものだ。ルームメイトにもどうぞ、なんて手紙までついていたらしい。手作りだそうで、瓶の側面にはかわいいラベルが貼られている。とてもおいしくて、彼女が留守の間も私の朝食のお伴だった。 「ね、行こ」  これ持ってと花火セットを渡されて、その反対の手を掴まれた。そのまま歩きだすので、なんとなく彼女の少し後ろを歩いた。  たぶん、彼女が向かっているのは角にある空き地だろう。そこに至るまで、ぽつぽつとある電灯の明かりを頼りに暗くなった道を進む。明かりに集まる羽虫がうっとうしいので本当はこんな夜道歩きたくない。  ただ、今の彼女を一人で送りだしたくはなかった。  空き地についたところで、彼女はさっそくとばかりにポケットからろうそくとライターを取り出して、適当な石でろうそくを支える。そのままそっとろうそくの芯に火をつけた。ぼんやりとした炎が彼女の顔を暗闇に浮かび上がらせる。火を見つめる目がゆらりと煌いた。私といるのに、一人っきりのような寂しさを携えた目だった。 「……じゃあ、はじめよっか」  花火セットを開けてみると中身はかなり数が少なくて、線香花火と、他に三種類ほどあるだけ。その一つに火をつけると、しゃらしゃらした音とともに薄い緑色の光がまっすぐに伸びた。 「きれいじゃん。私もそれにしよ」  彼女も同じ花火を手に取ってろうそくに近づける。他にも、時間が経つと色が変わっていくものや、全方向に飛び散る激しい光のタイプがあった。やいのやいの言いながら、それらに火をつけ、消えるまでを二人で楽しむ。そうこうしていくうちに、残りは線香花火だけになってしまった。  「もう終わりか。線香花火は? する?」 「これが手持ち花火の醍醐味でしょ」 「そうかな?」  意見の相違はありつつも、線香花火も使い切ることにした。どうせ残ったって、忘れられて、しっけて、捨てられる。  適当に火をつけて、最後の二本になったところで、私は彼女に提案した。 「勝負しようよ」 「じゃあ負けた方が明日のご飯担当」 「いーよ」  先ほどまではお互い上手とは言えなかったのに、時間が経っても花火は生きている。ここにきて線香花火の才能が開花したかもしれない。 「ねえ」  しばらく無言でいたけれど、やっぱり私は口を開いた。隣にしゃがんでいる彼女の目が線香花火のぱちぱちとした光に吸い込まれそうだったから、それを止めたかったのだ。 「結局どこ行ってたの」 「実家」 「へえ……お母さんやお父さん、元気だった?」 「ん」  なんとなく居心地が悪そうでそれが不思議だった。彼女と実家の心の距離は、それほど遠くないと思う。定期的に仕送りはくるし、彼女も家に送っているらしい。うちの家よりずいぶん関係はいいと感じる。だからただの帰省なら先に言っておいてくれたらよかったのだ。 「実はさ」 「うん」 「……お見合いしろってさ」 「へ」 「お見合いだよ」  お見合いの為だけに、一か月近く実家にいたのだろうか。縁のない話だったのでよくわからず首をひねる。 「一か月も必要だったの」 「ううん。だけどなんか、嫌になって。お見合い終わった後は適当に電車乗って、知らないところをぶらついてた」 「ふうん」 「……何?」  私の反応が思っていたようなものではなかったらしい。彼女は訝し気な声でそう言った。私は仕方なく、思ったことをそのまま口にした。 「別に、旅行だったら付き合ったのにって思って」  どこに行ったのか、おもしろいものは見つけたか、お土産は。なんてことを矢継ぎ早に尋ねる。彼女の持っている線香花火が大げさに揺れた。そのまま火花をまとったまま、ゆっくりと光の玉が落ちていく。 「私の勝ちだね。じゃ、私オムライス食べたいなー」  そう言って、彼女を見る。私の火も彼女の火を追うようにすぐに消えてしまった。それから、ある程度片付けてあったごみがほかに散らばっていないか確認する。  その間も彼女はどうしてか、火の消えた先をしばらく見つめていた。彼女の燃え殻も手からひっこ抜いて瓶の水に差し込む。 「さ、帰ろ」 「……それだけ?」 「うん」  彼女は言葉を探しているようだった。立ち上がってもうろうろと彷徨った視線は、最後に私の元にやってくる。 「勝手すぎるって、怒らないの?」 「というより、そう思うなら旅行につれてけって話」 「それはごめん……」 「一人でうじうじしちゃってさ。なんか悩んで、それで一人旅しちゃったんでしょ。何? そんなにお見合い相手ヤな奴だったの」  そう言うと、それは違うと首を横に振った。 「いい人そうだった。でも、その人は断った」 「ふうん」 「だけど親は、またそういう席を用意するって」  なるほど、家のことはそれで話しづらそうだったのか。  彼女はぽつり、ぽつりとこの一か月の間に考えたのであろうことを並べ始める。 「もし結婚したらさ、こうして二人で花火もできないのかな。簡単に遊びに行ったり、二人で家でだらけたり」 「うーん。突発的には難しいかもね」 「……実家で、お見合いしたあと言われた。家に入ったら自由なことなんてほとんどなくなるけどいいわよねって」  彼女の実家はなかなかお堅い家だったようだ。詳しくは知らないけど、彼女はそれが肌に合わないんだろうなと思った。仲は悪くなく、失望させたくもないから従うけど。うちのように決定的なことがないだけで、息はしづらいのだろう。  だからって私には。 「まあ私はいつでも付き合ってあげられるけど」 「ん?」 「今回だって一か月っていってもそこまで遠いところ行ってないでしょ? 次の休みとか、どうせなら行ったことない場所に行こうか」 「旅行の話?」 「それ以外にないじゃん」 「……一か月も連絡しなかったような人間だけど、行ってくれる?」 「これまで何年一緒だったっていうのよ。これから先も、いつだって時間を作るから、どこだって行こうよ」  そうやってちょっと語気を荒げてみれば、彼女は拍子抜けしたようだった。捨てられると思ってたら捨てられなかった、そんな感じ。 「そっか」 「うん」  見合いがあったからなんだ。結婚したってなんだ。私には関係ない。あなたが誰かを選んだって、私とあなたの間を変える必要ないんだよ。暮らしは否応なく変わってしまうだろうけど、それくらい大丈夫。あなたの自由が限られたものなら、そのとき必ず私が迎えに行くから。  だから、ずっと友達でいようよ。 「そっかぁ……」  心の底から安心できた。そんな声で、彼女は呟いた。それからしゃがみ込んで、ろうそくに顔を近づける。ふっ、と彼女が息を吹きかければ火が消えた。煙がちょうど私と彼女の間に線を引くように伸びる。それもすぐ風が吹いてあちこちに蹴散らしてしまった。 「帰ろ、ね」  行きとは違い、今度は私が彼女の手を取った。片方の手で片付けたごみを持って、彼女のもう一方の手も瓶とろうそくを持っている。 「うん」  素直な返事のあと、彼女は私の隣に並んだ。それから家に帰るまで一言も会話はなかったけど、彼女は返ってきたときより何倍も柔らかい表情をしていた。私は、それだけで満足だった。
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