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雨上がり
「良かった。本当に雨が上がってる」
「言った通りだったでしょ」
「…ありがとう。何だか、不思議な時間だった。宿代にしては、ちょっと高かったと思うけど」
「珈琲代に、食事代、シャワー代に、秘密暴露代を加算したら、大体そのぐらいだよ」
「何それ」
冗談を言う姿が、余りにも想像とかけ離れていたので、思わず笑ってしまう。
「…そしたら、もう帰るよ」
「うん。まだ、水残ってると思うから、ズボン濡らさないようにね」
「分かってるよ」
私は、夜を過ごした古民家に背を向けて、朝日が反射して眩しい水濡れの地面に、足を踏み出した。
「あのさ」
数歩、足を進めた所で、一つ用事を思い出した私は、古民家の方へと振り返る。
「名前」
雨上がりの朝は、格別に眩しくて輝いて見える。
だから、目の前の人物の表情さえ、しっかりと見る事が出来ない。
「俺…、いや、私の名前。あさひって言うんだ。雨後あさひ。それが私の名前」
「知ってるよ」
そう答えた彼の表情は、やはり眩しくて、私には分からなかった。
「そっか」
でも、きっと、笑ってる。
何故か、私にはそう思えた。
「じゃあ、またね。七下君」
彼に、別れの挨拶を告げた私は、今度こそ、家路へと足を進めた。
もう、雨の音は聞こえない。
ただ、鉛筆の走る音と、彼の染み入るような声だけが、今も尚、私の耳に、木霊していた。
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