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吸い寄せられるように工事現場のガードをすり抜け、暗闇に足を踏み入れようとしたところで、強い力に腕を引っ張られた。
「何やってんだよ、先生!!」
腕を掴み上げられたほうを見上げると、すごい剣幕で怒鳴る坂田と目が合う。
「蓮……」
思わず涙が溢れ出た。
雨の雫なのか、涙なのか分からない洪水で目の前がぼんやり滲む。
「蓮こそ何やってるの、こんなところで。お父さんもお母さんも心配してるんだよ」
安西の込み上げる感情には答えず、しばらく黙ってから冷たい声でぼそりと呟くように言った。
「あいつに言われて、探しに来たんですか」
本当に坂田が言ったのかと、耳を疑うくらい冷たい言葉だった。
「大雨のなかをずぶ濡れになるまで探して、一歩間違えば死ぬかもしれない工事現場まで入ろうとして。教師って、保護者に頼まれたらこんなことまでするんですか」
「なに言ってるの。僕はそんなつもりでここに来たんじゃない」
だったらどういうつもりで危険を冒してここまで来たのだろう。暗がりで見下ろす坂田の冷たい瞳を見つめ返しながら自問する。
「ご両親に言われたからじゃない。僕だって真剣に、蓮のことを心配してる」
それが精一杯の答え。けれど、本音ではない。胸の奥から迫り上がってくる言葉を必死に押し留めた。
「そういうのがイヤなんだよ。親は俺のことが心配、心配……って。結局、親父みたいな医者に育てることしか考えてない」
坂田の表情が苦しげに歪んだ。
「先生も、優しくしてくれたりこんなところまで探しに来たり――教師としての義務感でやってるならやめてくれ!!」
「蓮……」
胸が押し潰されそうだった。
本当は違う。両親も、担任としての立場も関係ない。
本当の気持ちは――
「義務感なんかで、こんなところまで来たりしない」
坂田の視線が痛いくらいに刺さって、俯いてしまいそうになる。けれど、吹き付ける雨が髪を濡らし、雫が頬に垂れても、じっと坂田を見上げた。
「蓮に何かあったら、生きていけないって――蓮を失ったらと思うと怖くて。怖くて、死にそうだったんだから」
坂田の瞳が燃え上がるのを感じた。
「先生、それどういう意味?」
返事をする前に、坂田の体が近づいて冷たい手が頬に触れた。坂田の手が冷たいせいか、自身の頬が熱くなっている気がした。
雨に濡れて肌寒いのに、全身が火照っている気がする。
「先生も、俺と同じ気持ちだと思っていいの?」
すべてを捨てる覚悟で頷いた。
ずっと押し留めていた気持ちを、ここで開放しなければおかしくなりそうだった。
坂田の、狂おしいほど切ない表情を浮かべた顔が近づいて、そのまま唇が重なった。
安西は坂田とキスしていた。
ずぶ濡れの体が密着するのも、雨水が服に染み込んでくるのも構わずに、唇を重ねたままどちらとも動かない。
すべてを失うことになるかもしれない――そう思ったのに、全身が隙間もないくらいに満たされていく気がした。
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