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稲穂が頭を垂れる頃、祖母が死んだ。
「この前、米寿のお祝いをしたばっかりだったのにね」
葬儀場に掲げられた案内看板の名を見て、祖母の名前が「ナツ」であったと知った。夏生まれだったからだろうか。そういう私も、秋生まれで、紅葉をもじって「紅羽(くれは)」と名付けられたらしいから、こういう思考回路の一族であるのかもしれない、なんて思うと、ちょっと可笑しい。
「ちょっと、散歩してくる」
「あんまり遠くに行っちゃ駄目よ」
「はぁい」
祖母の死を淡々と流してゆくような空気が嫌で、フラリと家を出た。知人など当然いない、田舎の道を当てもなく歩く。
祖母の夫、私にとっては祖父である人は、早くに死んでいる。と言っても、祖父が死んだのは50代だったというし、祖母は20歳になるかならないか、の歳で嫁入りしたそうだから、30年くらいは一緒に過ごしている。
(30年かぁ……)
元々は他人の、一人の異性と、30年も一緒に暮らす、その想像が全く出来ないな、と思う。それともいつか、その想像が出来る誰かと、結婚をする事になるのだろうか。
葬儀への参列者は、親戚、近所の人、それから祖父の知人ばかり。祖母の知人として訪れたのは、訪問ヘルパーの会社の人くらいだった。友人という人は、いない。
(それでも、お祖母ちゃんは)
祖母は、いつ訪れても笑顔だった。孤独も、不満も、悲嘆も、見た事がない。
(幸せだったのかな)
一緒に暮らしていなかった私達が知るのは、祖母の一面だけ。月の裏側が見えないのと同じように、祖母は、私達に綺麗な面だけを見せてくれていたのかもしれない。そういうそれも、もはや推測でしかないけれど。
「…………」
道の脇、草葉の陰で、その命を精一杯、使い果たした蝉が力尽きていた。
20230912
鳥鳴コヱス
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